ちくま新書

経済や文化の発展、
同時に気候不順やペストの流行も
まさに歴史は繰り返す!

お待たせしました! 「読めば世界が一つにつながる」大人気シリーズの第三弾がとうとう刊行となりました。十字軍の遠征、宋とモンゴル帝国の繁栄から崩壊へ、ペストの流行、百年戦争、そしてルネサンス・・・・・・1001年から1500年の500年、人類は激動の時代へ突入した。ペストの大流行の時、果たして人類はどうなったのか? 冒頭を公開します。

 第五千年紀の初めは、気候の温暖化に伴い、ユーラシア全域にわたって人口が増大しました。ヨーロッパでは、人口圧力が十字軍と呼ばれた東方世界への侵略をもたらす遠因となります。また、ローマ皇帝(ドイツ王)に従属していたローマ教皇が自立を模索し始め、両者の軋轢が叙任権闘争という形で顕在化しました。中国では、江南の豊かな経済力を背景に宋が繁栄を極めます。澶淵システムと後に呼ばれるようになりますが、北方の遊牧民と漢民族の宋が上手に棲み分けて三〇〇年の平和を実現した時代でした。
 ユーラシアの中央部ではテュルク(トルコ)系の人々の活動が活発となり、セルジューク朝をはじめとするいくつもの大帝国が誕生します。南宋が滅んだ後、一三世紀のユーラシアでは空前の地理的スケールを持つ寛容なモンゴル世界帝国が成立しました。交易を重視したモンゴル世界帝国のもとで、人類は、グローバリゼーションの自由を存分に謳歌したのです。タタールの平和あるいはパクス・モンゴリアと呼ばれた一三世紀後半から一四世紀初頭まで、人や物の交流が盛んとなり、経済や文化が大いに発展しました。
 しかしその直後、気候が不順となり、ユーラシア規模でペストなどの病原菌が猛威を奮ったのです。グローバリゼーションの負の側面が表にでてきたのです。モンゴル世界帝国は、短い光芒を放って瓦解しました。その後は、退嬰的な明が中国を支配し、中央ユーラシアでは、ティムール朝などトルコ系の人々が再び台頭します。イスラーム勢力は、インドやサブサハラの中央アフリカにも覇権を確立し、ヨーロッパでは、バグダード〜カイロ〜アル・アンダルス(やシチリア)を経由して、古代ギリシャやヘレニズムの文化が再発見され、イタリアのフィレンツェを中心に、各地でルネサンスが、何度も花開くようになりました。
 この時代は、また、個性的な巨人が各地で登場しました。不世出の政治家、王安石。世界の驚異と呼ばれたローマ皇帝、フェデリーコ二世。フランスとイングランド、二つの王国の王妃となったアリエノール。モンゴル軍を撃破し十字軍に実質的な止めを刺したイスラーム世界の英雄、バイバルス。そして、間違いなく人類史上最高の君主の一人であったクビライ・カアンなど枚挙に暇がありません。英仏百年戦争が戦われ、ジャンヌ・ダルクが短い生涯を流星のように駆け抜けた時代でもありました。
 

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