単行本

特別対談 未来のキム・ジヨンのために

チョ・ナムジュ×斎藤真理子

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』が日本でも10月9日(金)から公開決定!そして3月8日の国際女性デーを記念し、『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョ・ナムジュさんと、同書の翻訳家・斎藤真理子さんの対談をお贈りいたします。 2019年8月31日に同志社大学で駐大阪韓国文化院ほかの主催で行われたものです。

●衝撃のラストシーン

司会 最後の場面は恐ろしい現実を我々に突きつけていると思います。日本では、「悲しい」「衝撃的だった」という感想がかなり聞かれました。どのような考えでこのような結末にされたのでしょうか。

チョ キム・ジヨンの人生を時系列に沿って読んでいくと最後のほうに精神科医が出てきて、そこで一回驚きがありますよね。最後まで読んでみると、キム・ジヨンの人生を理解しているのかと思っていた精神科医が、最後の最後に裏切るセリフを言います。韓国では、それがあまりにも衝撃的で裏切り感があったという読者の意見が多かった。この精神科医の態度ですが、韓国の男性の中では普遍的だと思います。公式な場では女性に対して理解があっても、個人の利益に関わる問題になると、その判断が変わることがしばしばあると思います。

 女性は何か判断するときに、「あなたのお母さんや家族の立場になって考えなさい」と強いられる場面が多い。しかし、家族のために自分を犠牲にするのではなく、自分の考えをちゃんと語ることが当然だと言いたかったのです。が、あえて、最後に精神科医のセリフとして、本当は個人的な利益が絡んだらこのように判断を変えてしまうことが多いということを結末に持ってきました。

同志社大学内にある、尹東柱の詩碑の前で。左から、チョ・ナムジュ氏、斎藤真理子氏。

 

●未来のキム・ジヨン

司会 キム・ジヨンはその後どうなったのか、皆さんも気になっていると思います。あるいは、未来のキム・ジヨンはどうなるのか。何か構想などはありますか。

チョ 精神科医に相談をしても症状は好転しないまま小説は終わっています。それが悲しいとも言われています。でも、キム・ジヨンが一人で努力したり、一生懸命精神科医に相談しても、周りが変わらないと、治るとは思えません。ですから、悲劇的な結末ですが、こう表現しようと決めました。

 ここ数年、韓国社会は目まぐるしい変化を見せています。この間も女性たちは、本当にたくさんの声を上げているし、性暴力やセクシャルハラスメントの事件も、いままではあまり表に出なかったものが可視化される段階にあります。ですから、キム・ジヨンは、精神科医の相談のお蔭よりも、この社会が大きく変わったために、ハッピーエンディングに生きていくのかなと思っています。いまはハッピーな生活を続けているのではないかと私は思っています。

 この本の中で生まれたキム・ジヨンの娘は、いまごろは幼稚園に行く時期です。韓国では幼稚園に入園するためにすごく高い競争率を突破しないといけないのですが、ちゃんと幼稚園にも入って、最近韓国のマンションは値段が急騰していますが、マイホームとしてマンションも購入して暮らしているのではないかと私は思っています。

トーク翌日、梅田 蔦屋書店にて、チョ・ナムジュ氏。『82年生まれ、キムジヨン ストーリーブック』所収の西村チツカ氏のイラストパネルとともに。
チョ・ナムジュさんのメッセージ入り色紙。「大阪のキム・ジヨンを応援します チョ・ナムジュ」と。大阪・梅田 蔦屋書店にて。

 

 

●装丁や注の意図

司会 ありがとうございます。ところで韓国版の装丁と日本語版の装丁ではデザインが違います。韓国版は、グレー地に後ろ姿の女性と、その女性から伸びる影が描かれています。日本語版は、女性の顔が空洞になっていて景色が見える。裏表紙では、鏡には自分の顔が映っていないという、何とも不思議な表紙になっています。先に日本語版のほうから、斎藤さんにお話を伺いたいと思います。

 

斎藤 こちらのデザインは、装丁も、絵を描いてくださったのも女性です。装丁は名久井直子さんで、本の内容を聞いてすぐにこの絵(榎本マリコさんの絵)を選んでくださったそうです。顔がないというのが重要なポイントで、名久井さんは、社会の中で自分の顔(主体)があやうい状態を表したかったということでした。裏表紙の鏡にも風景が映っているのは、鏡にさえ、自分が映らないという喪失感のようなもの、を追加したかったとおっしゃっています。社会の中で自分の顔や名前がないように感じている心境を表していますね。 

 
 

 顔の中に映っている景色は、画家の榎本さんがメキシコ旅行をしたときの風景だそうですが、榎本さんは、乾いた風の音や鳥の声しか聞こえない中に立っていると、自分の心が浄化されるような感覚がある、そういう景色をイメージしたということです。


チョ 韓国語版は、民音社という出版社のシリーズ「きょうの若い作家」の13番目の本です。このシリーズでは装画家も若い画家たちから選んでいます。韓国版は、後ろ姿の女性より、伸びている影のほうがもっと大きくて圧倒するような絵になっていますが、私にとってもこれは印象的でした。

 

 

 

司会 この作品の日本版は、訳注が非常に多いと感じました。例えば、「ポルチプ」や「名誉退職」など、韓国語の表現をそのまま使いながら、意味を括弧付き注で説明していく方法を取った理由をお聞かせください。

斎藤 私は、ほかの小説を訳すときには、こんなにたくさん訳注は入れません。この本は訳注が多いとよく言われましたが、読んでいったらそのことが気にならなくなったと言ってくださった方もいてほっとしました。この小説は報告書やカルテ、ノンフィクションのようなスタイルなので、注を入れても違和感がないんじゃないかと思いました。やはり、韓国の人たちの気持ちや生活の仕方などを少しでも知る機会にしてほしいと思ったので、たくさん入れました。例えば、「名誉退職」というのは、経済危機のときに年齢の高い人たちが、若い部下たちの仕事を守るために、自分たちが先に辞めるという選択肢だったのですが、それを名誉のあることだと名前をつける。そこに、経済危機を乗り越えたときの韓国の皆さんの気持ちが表れているのではないかと思いました。これを普通の日本語に直して「早期退職」や「勧奨退職」として、「名誉」という言葉が抜け落ちると、何か大事なニュアンスが落ちてしまうと思いました。

 それから、「ポルチプ」というのは、キム・ジヨンのお母さんが若いとき、工場で働いていたときに住んでいた集合住宅で、ハチの巣みたいに小さな部屋がたくさん密集したようなアパートのことです。単に「狭いアパート」と言ってもよいのですが、「ハチの巣」という表現から来る視覚的なイメージ、そこに働きバチがひしめいて、小さな空間で暮らしながら仕事に通っているというイメージを具体的に受け取れると思ったので、その名前を残しました。この小説は日常のことを日常の目線で書いているため、この本が二倍になってしまうぐらい、注で説明したいことが多かったのですが、ちょうどよいと思われるところに収めました。この本を通して初めて韓国を知る人もいらっしゃると思います。また、『キム・ジヨン』は、出版される前からK-POPファンの方々がとても心待ちにしてくださっていたのですが、K-POPファンは向学心があって、いろいろなことを学びたい若い方が多いです。なので少しでもいろいろな豆知識を持っていただけたらと思いました。

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