海をあげる

3月の子ども

 3月になってから、娘は毎日、新しい歌を歌っている。卒園式間近の保育園では、卒園式に歌う歌を教えるらしく、この時期の娘の歌はいつもとびきり新しい。
 月曜日は同じ保育園のひとつ年上の子どもを私が迎えて、夕食を一緒に食べてお風呂に入れてからその子を家に帰す日で、私はふたりの女の子を車に乗せて家に帰る。水曜日と木曜日のお迎えはその子の母親がひきうけてくれるから、私か夫のどちらかは、その日はゆっくり仕事をしてから家に帰る。
 最初のころは、「ママは風花だけをみて!」といって私を独占しようとしていた娘だったが、いつのころからかひとつ年上の女の子のことを、お姉さんという意味の「ねぇねぇ」と呼ぶようになった。食卓に娘の大嫌いなほうれん草のおひたしや野菜炒めがならんでいると、娘のねぇねぇは、「ねぇねぇが食べさせようね」と話しかけ、娘の口元まで野菜を運んで食べさせる。車のなかやお風呂場で、どの歌を歌うかを決めるのはねぇねぇで、ねぇねぇは娘に言葉の意味を教えてくれる。

 車のなかで、今日も娘のねぇねぇは歌いかける。

 「ちいさい子、ちいさい子、おまえはなにをしています?」

 娘は歌う。

 「私は梅を嗅いでます」

 ねぇねぇはまた歌いかける。

 「梅を嗅いで、それから?」

 娘は歌う。

 「それから、歌を歌います」

 卒園式で歌われるこの歌は、ひとと鶯のやりとりになっている。ひとが鶯に問いかける箇所は大人が歌い、鶯がひとに答える箇所は子どもが歌う。
 鶯が歌をさえずるのは、その止まり木を守るひとがいるからだ。それでもそれを守るひとの存在に、鶯が気づくことはないだろう。この歌はちょうど大人と子どもの関係みたいだと私は思う。

 それにしてもふたりとも大きくなった。この子は自分の母親の出張中、うちにお泊りすることを自分で決めて、パジャマを用意してやってきた。ご飯を食べて、お風呂に入って、歯磨きをして絵本を読んであげるまで、その子はいつものようにかいがいしくお姉さん役をやっていたのに、電気を消した途端、「ママに会いたい」といってしくしく泣いた。いつもはお姉さんに甘えるだけの娘が神妙な顔つきで頭をなでて、私がふたりの背中をトントン叩いていると、ふたりはすとんと眠りに落ちた。
 しばらくたってから寝室をのぞくと、娘は大の字になって眠っていて、その子は自分の身体を抱きしめるように眠っていた。固く結ばれた小さな手をほどいて布団をかけなおし、朝になってから、「昨日はよく頑張ったね、出張が終わったらママはすぐに迎えにくるよ」と言って、私はその子を抱きしめた。その子の母親の出張が終わったあとの週末は、その子と娘は一緒に遊び、その子の服を着てダンスを覚えて、夕刻に帰ってきた。

 このところ、子どもを預かったり預かってもらったりするおうちが増えてきた。
 一昨年の夏、娘の通う保育園が認可外園から認可園に変わるときに、町外の子どもは強制退園させることをその保育園の所在地の自治体は決定した。私たちは何度も自治体と話し合い、街頭署名を行って、希望するすべての在園児を強制退園させないでほしいという裁判を起こして、在園児すべてを入園させるという結果を引き出した。
 裁判で原告になった十家族はお互いの生活について話すようになり、どうしても抜けられない仕事が入ったときや、どこかに遊びに行く週末は、お互いの子どもも一緒に連れて行く。そうやって子どもたちと過ごすようになってから、子どもの名前がかかれた歯ブラシが、うちの洗面所にはいくつも並ぶ。
 子どもの行き来が増えると、子どもどうしの喧嘩も増えた。喧嘩がなかなか終わらないときは、私も仲裁に出て行ったりする。前は喧嘩をしている子どもひとりひとりの言い分を聞いていたけれど、あるとき、「電話をしてお迎えに来てもらうか、一緒に遊ぶか考えなさい。一緒に遊びたいなら、どうやって仲直りするか考えなさい」というと、子どもどうしで話し合い、「仲直りした」とやってくる。「どうやって仲直りしたの?」と聞いてみると、「順番順番にした」「一番やりたいひとにさせてあげた」「ごめんねっていった」「いいよって許した」「もう一回ごめんねっていった」「うん、いいよっていった」など口々に話し、自分たちなりの解決方法を教えてくれる。
 それでも最近はそういう喧嘩もなくなった。3月の子どもは穏やかな顔で、友だちのわがままをゆったり許す。あと2週間たつと、娘の友だちのひとりは遠くの島に越していく。4月になると、娘のお姉さんは1年生になってしまう。どんなによい時もとまらない。だから3月、子どもは歌を歌うのだ。