有馬トモユキ

#1. それはかつて、デザインと呼ばれていた仕事

ウェブやスマートデバイスの普及にともなう「科学と芸術の融合」がもたらす環境の変化は、デザインをどう変えたのか。最先端の話題を紐解きながら、ゼロからデザインを定義する革新的なコラム連載第1回!

世界が変わったのだから、デザインも変わらなければならない

 環境の変化に応じて生物は振る舞いを変える。人間も寒ければ服を着こむし、音楽配信サービスが便利だと感じればCDは買わなくなる。最近だと写真はスマートフォンのカメラで事足りる、という人も多いのではないだろうか。

「世界が変わったのだから、デザインも変わらなくてはならない」。これはインターフェイス研究者・渡邊恵太氏の著書『融けるデザイン』の帯に書かれていた一文だ。世界が変わる瞬間というのは、ほとんど目撃することができない。 それは気づけばゆるやかに、しかしダイナミックに進行し、自分たちも変わらざるを得なくなっている。つねに相手が存在する、対話的な活動であるデザイナーという職業はまさに、そうした変動点にいるようだ。

どこまでがデザインという行為か

 ウェブのデザインから始めて、ロゴマークやポスターなどのグラフィックデザイン、最近はスマートフォンのアプリケーションを設計する機会も増えてきた。それでも、20世紀の人々が定義できる範疇に収まっている種類の仕事ではあると思う(最初のMacは1984年に出荷された。つまりユーザー・インターフェースのデザイナーは1980年代には少数ながら、立派な職業として存在していた)。

1984年に出荷された最初のMacintosh 128K

 興味深いのは、そうした今までの定義から外れた仕事が増えてきたことだ。ウェブでの拡散に最適化された名称を考えることや、ソーシャルメディアの運用プランニング、スマートデバイスでの商品の購買への導線設計などは、10年前では頼まれるどころか、そうした職域が存在することすらなかったかもしれない。

 どこまでがデザインという行為であるか。そうでないかはとても興味深く、それはウェブサービスの一般化やスマートデバイスの普及にともなう、科学と芸術の融合がもたらす環境の変化が、かつてないほど私たちを取り巻いている今だからこそ考えておきたいトピックだ。

開発現場から生まれる新しいデザイナー像

 2010年ごろ、とあるソーシャルメディアのiPhone版アプリケーションを設計したデザイナーが、自らのことを「プロダクトデザイナー」と称した記事に遭遇した。

 ほとんどの場合、プロダクトデザイナーとは、いわゆる大量に生産される工業製品を担当する「工業デザイナー」を指す。ははあ、確かにプロダクトは製品という意味だから、そう名乗ってもおかしくないんだなと、大して気に留めなかった。しかしこの時期から、プロダクトデザイナーという言葉の意味が変質してきたのだ(ぜひ「App プロダクトデザイナー」などで検索していただきたい)。

 実際にアプリケーションの設計に携わってみるとわかるが、それは確かに工業的な要件と美観のバランスをとりながらより良い商品価値を作り出していく、かつて定義されていた工業デザイナーの仕事に近いものを感じる。限られたコンピュータの計算能力と、適切な反応によろこぶ人間の生理が常にせめぎあう開発の現場は、新しいデザイナーの像であるといえよう。

デザイナーと名乗るコンピュータチップの設計者

 最近出会った例だと、CPUなど高度なコンピュータチップの設計者の中では、自らデザイナーと名乗る人が出現してきているらしい。話に聞くと限られた面積の中にいかに高密度に、そして効率的に回路を通すかが、CPUの設計の鍵となるようだ。信号の速度や物理的な最小の単位は決まっているから、設計者にはまるでモダニズム建築のように、効率と構造的な美しさを兼ねたセンスが問われるそうだ。

 技術が進んだことで職能をどう私たちが認知するかには、単に新しいものが出てきたから名前をつけよう、という以上の要因がある。デジタルはものごとを冷静に分析する。本来私たちが印画紙に焼かれたものをそう呼んでいた写真というメディアは、「フィルムで丁重に撮られ、厳重に保管されるべき芸術的価値の高い写真」と、「即座にシェアされ、消費されるべき速報性を持つ写真」に明確に分かれた。同じことは書籍でも現在進行形で、「装丁や手触りを含めて作品と呼ぶべき価値を備えた本」と、「検索性や即応性を求めた結果、電子配信が向いている本」に分離しつつある。つまり、ものごとがデジタルによって支援されるようになると、私たちの今までの認知とは別の評価軸を持つようになるのだ。

 似たようなことは重工業分野でも起きていて、トヨタ自動車は昨年、人工知能研究のための新会社を立ち上げた。おそらくGoogleテスラモーターズが推進している自動運転のためだろうか。モビリティもそうした岐路に立っているように見える。

先入観は定期的にアップデートしないといけない

 人工知能の分野はここ数年にぎやかだ。Googleの子会社・DeepMindが開発した人工知能が囲碁において、世界最強の棋士とされたイ・セドルに勝利した。

 個人的に興味深いのは勝敗というよりも、試合の経過であった。観戦していたプロ棋士たちは、ほとんど中盤まで人工知能・AlphaGoの見慣れない打ち方を見てイの勝利を確信していた。つまりAlphaGoは人間側が定石として持っているやり方と別の戦略で淡々と勝利を狙い、かつそれを実現しつつあることに終盤に至るまで気付くことができなかったのである。囲碁がいかに奥深いゲームか感銘を受けたと同時に、ある棋士がコメントしていた、「これでより人間側の囲碁への深い理解が進む」という言葉に改めて人間の創造性を見た出来事だった。

 もうすぐ本格的に稼働するようだが、The Gridというウェブサービスが準備されている。人工知能にウェブサイトをデザインさせるサービスで、原稿や写真、そして目標としたい売り上げやユーザー数を伝えれば、最適なデザインを作り出してくれる。解説によれば原稿の文脈だけではなく、写真の構図や何が写っているかまで判断材料にするそうだ。リリースを読んだ時に肝を冷やしたのを覚えているが、ここは囲碁棋士の姿勢に学んで、デジタルによる冷静な視点が、むしろ人間がデザインとして行なっているものの正体は何なのか再考する視座を与えてくれていると考えたい。

 街の風景写真を見れば、建物や服装、行き交う車の様子でどの時代かある程度は判定できると思う。建築、ファッション、モビリティが時代を映しているように、私が属しているグラフィックやインターフェースのデザインが担う役割も、先入観は定期的にアップデートしないといけないと人工知能の例を見ていて感じる。そう書くといささか大げさに思われるかもしれないが、新しい価値観を冷静に見つめることで、仕事のたびに「何をデザインが行うべきか」を試すエキサイティングな思考実験の機会にしていければ、今のデザインがどういった輪郭を持つのか紐解いていけると思う。

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