絶叫委員会

【第149回】死語の世界・その2

PR誌「ちくま」3月号より穂村弘さんの連載を掲載します。

 インターネットのニュースを眺めていたら、「さよなら「巻き取り鍵」」という文字が目に入って、どきっとする。慌てて見直すと、「ノザキのコンビーフ缶、刷新」とのことだった。​


 スチール缶を開ける際の「巻き取り鍵」で知られる「ノザキのコンビーフ」の容器が、70年ぶりに刷新される。販売している川商フーズが15日発表した。設備の老朽化のためで、長年親しまれたパッケージが姿を消す。​
 国産コンビーフ第1号として1948年に売り出され、当初は瓶詰だった。2年後、台形に牛のマークをあしらった「枕缶」と呼ばれる今の形に。上部に入っている「鍵」を缶に沿ってくるくると巻いて開ける。​
 3月16日からはアルミ箔(はく)と樹脂フィルムの容器に変わり、シールふたをはがすような開け方になる。刷新後も「枕缶」の形をできる限り維持し、牛のマークも残したという(後略)。​
「朝日新聞デジタル」より​

 つまり、あの「くるくる」がなくなって、パカッと開けるようになるのだろう。確かに、そのほうが便利かもしれない。でも困る。コンビーフと云えば「くるくる」じゃないか。記事によると「70年」前からである。自分が生まれた時はもうあれだったから、「くるくる」は永遠だと思い込んでいた。私が愚かだった。この世に永遠なんてないのに。「刷新後も「枕缶」の形をできる限り維持し、牛のマークも残した」って泣けるけどなあ。​
 何故この件に拘るかというと、自作の短歌のせいである。​

 清潔なベッドの上でコンビーフの巻取り鍵を回してあげる​

 この歌が意味不明になってしまう。まだしばらくはいいだろう。みんなが「コンビーフの巻取り鍵」を記憶しているから。でも、時は流れる。やがて、「くるくる」の記憶が人々から失われる日が来る。生まれた時からパカッの世代がこの歌を見たら「?」と思うに違いない。「くるくる」の無意味な儀式性こそが、二人の時間に聖なる親密さを与える「鍵」なのだ。いくらパカッが便利でも、それでは歌にならない。​
 以前も同様のことがあった。​

 プルトップうろこのように散る床に目覚めるとても冷たい肩で​

 缶の飲み物に「プルトップ」は今も存在する。だが、この歌を作った頃、それは毟り取る方式だったのだ。今はプシッと開けて裏返すだけ。その結果、「うろこのように散る」が意味不明になってしまった。このまま缶の飲み物が絶滅してペットボトルだけの世界になったら、「プルトップ」自体が死語になるだろう。​
 今、心配しているのはこれだ。​

 闇の中でベープマットを替えながら「心が最初にだめになるから」​

「ベープマット」は現在も発売されているらしい。でも、以前ほど見かけない気がする。ベープリキッドやおすだけベープに押され気味なんじゃないか。私もそっちを使っている。短歌的には青から白く変わってしまう「ベープマット」の死んだ感が重要なのに。大丈夫かなあ。​

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