世の中ラボ

【第120回】新型コロナの感染拡大から考えたこと

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2020年4月号より転載。

 中国の湖北省武漢市で「原因不明のウイルス感染性肺炎」の最初の症例が報告されたのが二〇一九年一二月。肺炎の原因が新種のウイルス(新型コロナウイルス)と特定され、それによる急性呼吸器疾患がCOVID―19と命名されたのが二〇年二月一一日。しかし正直、二月上旬にはまだ、ほとんどの日本人が「対岸の火事」と思っていたはずである。事態が急転したのは二月中旬以降である。
 人々が気にしはじめたのは、二月三日、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」が横浜港に停泊し検疫をはじめた頃からだろう。香港で下りた乗客のひとりが下船後に発熱し、新型コロナ陽性と判明したのが発端だった。が、乗客の中に次々と陽性者が出て、二週間の待機期間が終わる二月二〇日には約三七〇〇人の乗員乗客中、二割近い六一九人の感染者が確認された。船内での不完全なゾーニングが感染者を増やしたのではないかなど、クルーズ船をめぐる措置は失敗例として批判を浴びたが、これはまだまだ序の口だった。
 世界的に感染が拡大する中、国内でも北海道を筆頭に感染ルートが不明な感染者が続出。二月二八日、「この一、二週間が瀬戸際」だとして、安倍晋三首相は突然(専門家会議の意見も聞かず)、全国の小中高校の一斉休校を要請した。マスクが不足し、イベントの自粛が相次ぎ、繁華街や観光地から人が消え、株価は暴落。三月九日からは中国と韓国からの入国規制もはじまって、新型コロナウイルスが経済に深刻なダメージを与えることは明らかだ。
 思えば感染症について、私たちはこれまであまりに無知だったのではないか。マスクをしろ、手を洗え、換気しろ、人混みを避けろといわれれば努力はするが、情報は錯綜しているし、先行きも見えない。こういうときは、やはり関連書籍を読むしかあるまい。

人類の歴史を左右してきた感染症
 まず感染症の歴史と社会への影響について。
 マクニール『疫病と世界史』(中公文庫)、加藤茂孝『人類と感染症の歴史』(丸善出版)、石弘之『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)など歴史関係の類書は多いが、一冊だけ読むなら立川昭二『病気の社会史』だろう。初版は一九七一年刊。古めの名著だが、結局これがいちばん体系的で、わかりやすいのだ。
 感染症とは人にうつる病気のこと。今日ではほとんど使わなくなったが、伝染病、疫病なども同じ意味である。
 歴史学的に見て、それが社会にどれほど大きな影響を与えたかは、次の一文で明らかだろう。〈古代のギリシアやローマを滅した一因は疫病であった。中世末期ヨーロッパをおそったペストは近代を開く陣痛となり、発疹チフスはナポレオンをロシアから敗退させる一因となった。いかにすぐれた兵器も、国家・民族の運命に及ぼした影響力では、ときには発疹チフスを媒介するシラミ、ペストを伝播するノミよりも、弱いのではないか。ある文明はマラリア原虫のために衰退し、ある軍隊は極微のコレラ菌や赤痢菌のために壊滅した。結核や梅毒がなかったら、近代文化はかなり色合いのちがったものとなっていたであろう〉。
 さすが名文ですよねえ。なんて感心している場合ではない。
〈病気は文明を変え、社会を動かしていく〉と序章で著者が述べているように、感染症は各時代の社会と不可分な関係にある。
 たとえば一三世紀、中世のヨーロッパで猛威をふるったのはハンセン病だった。古代エジプトのパピルスに記されているほどハンセン病は古い病気だが、それが熱帯地方から西欧に侵入したのは中世初期。十字軍の移動で一一世紀に流行がつくられ、東方からの帰還兵によってヨーロッパに運ばれたのではないかという。
 一四世紀、ハンセン病と入れ替わるように、ヨーロッパで流行したのが黒死病、すなわちペストである。ペストはネズミが媒介する感染症である。西からは十字軍、東からは蒙古軍。人といっしょに移動したネズミが感染を広げ、最終的にはヨーロッパ全体で少なくとも二五〇〇万人、文明世界全体ではざっと六千万~七千万の死者が出たともいわれる。ユダヤ人の虐殺や魔女狩りが起こったのもこの時代だった。人口の激減は古い観念や宗教の権威を失わせ、奇しくも近代への扉を開くきっかけをつくった。
 一六世紀、ルネサンスの時代に流行したのは梅毒だった。シャルル八世の軍隊がイタリアに侵攻した際の買春や暴行で広がったともいわれる。遠征軍が解散するとそれは母国に持ち帰られ、ヨーロッパで広まり、大航海時代の波に乗ってまたたくまに海を越えて東方へも伝わった。公認の売春制度が事態を悪化させた。
 さらに下って一九世紀、産業革命の時代に人々を苦しめたのは結核である。産業革命は年齢も性別も関係なく、人々を工場労働に駆り立てる。農村から都市へ大量の人口が流入し、人口密集地帯としてのスラムが出現する。昼も夜もなく長時間労働を強いられた上、疲労困憊して帰った先に待っているのは不衛生な住環境と不十分な食事。さらに粉塵が舞う工場内や黒煙などによる大気汚染は呼吸器に悪影響をもたらす。エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で指弾し、細井和喜蔵が『女工哀史』で告発した労働者の劣悪な労働環境と生活環境は、結核の温床になった。
〈疾病・貧困・犯罪は文明社会の三悪である。そしてこの三悪はたがいに切っても切れない因縁にある。とりわけ疾病と貧困は不可分の因果関係にあり、貧困なるがゆえに疾病が発生し、蔓延し、このためさらに貧困となり、この状態はさらに疾病を増発させ、拡大させる〉。感染症は戦争や貧困と切り離せないのだ。

グローバル化がリスクを拡大させる
 ではワクチンや抗生物質の開発などによって医療が劇的に進歩し、衛生的にも生活環境が向上した現代はどうだろう。
 岡田晴恵『知っておきたい感染症』は、主として二一世紀に流行し、人々に脅威を与えた新しい感染症について解説した本である。エボラ出血熱(エボラウイルス病)、鳥インフルエンザ、SARS、MERS、デング熱などである。これらは新興感染症と呼ばれ、一九七〇年代(『病気の社会史』が書かれた頃だ)からわずか四〇年間に四〇疾患以上が出現したという。想像以上の数である。その多くは野生動物由来のウイルスや細菌によるものだ。
 二〇一四年に西アフリカで爆発的に流行したエボラ出血熱は、もともとはアフリカ中央部の風土病にすぎなかったが、アフリカからアメリカや一部ヨーロッパにも飛び火し、一三年一二月から一六年一月までに二万八千人以上の感染者と一万一千人以上の死者(致死率約四〇%)を出した。〇二年に出現し、〇三年に大流行したSARSコロナウイルスは中国の広東省からはじまり、香港のホテルに宿泊した一人の医師を介して、ベトナム、シンガポール、カナダに拡散され、最終的には三二カ国に拡大した。SARSと同じ新型コロナウイルスの近縁であるMERSコロナウイルスは、中東を起源とし、一五年に韓国で突然流行するなどやはり世界各地に拡散した。
 今日の感染症拡大の主な原因は、人口の増加と大量輸送を背景としたグローバル化の進行である。スペイン風邪が流行した頃の世界人口は一八億。現在の人口は七〇億だ。人口が増えれば食糧確保のために密林や森林の開発が進み、人と野生動物の接点が増える。野生動物由来のウイルスが都市に流入したらどうなるか。
〈医療体制が充実し、衛生環境が行き届いている先進諸国であっても、ウイルスの危険と無縁ではいられない〉と著者はいう。〈むしろ、人口の過密、高速大量輸送を背景とし不特定多数の人々が集まっては離散する都市の特性が、感染症に対するリスクを高めている。都市は人が集まることで病原体が運ばれやすく、そして病原体が侵入すれば拡散しやすく、流行の起点となりやすい。感染症のリスクの高い場所なのである〉。
 今日の新型コロナウイルスの感染拡大は、右のケースに当てはまる。というか、これまでの新感染症より事態はさらに深刻かもしれない。WHOの報告によれば、三月九日現在の感染者は世界の九九の国と地域で一〇万九〇三二人。死者は三七九二人で、〇二年一一月~〇三年六月のSARSの死者七七四人の五倍近くにのぼる。日本国内の感染者(クルーズ船含む)は一二〇七人、死者は一六人。日本の感染者は不備な検査態勢下での数字だから、実数はこれよりずっと多いはずだ。〈地球人口が70億を突破し、人間という種族のみが突出して増えている状況は、人の中での感染症流行のリスクをこれまでになかったほどに高めている〉という指摘は的中したのである。
 ではどうするか。私たちはただ恐れるしかないのだろうか。
 岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』は〈リスクに対してはパニックになってもよくありませんし、不感症になってもいけません。恐れ過ぎても、楽観的過ぎてもよくありません〉と述べ、〈だれにリスクがあるのか?/何人ぐらいに被害が生じる(生じうる)のか?/どのような被害がどのくらい生じるのか?/いつまでリスクが続くのか?〉を冷静に考えよとすすめる。〈2009年の「新型インフルエンザ」が流行したとき、メディアは「今日は患者が何人出た」という詳細な患者数を大々的にくり返し報道していました。しかし、患者数が523名であろうが525名であろうが、状況自体に大きな違いが生じるわけではありません。523と525で対策や治療法が変わるわけでもありません〉。もっと大きなことに目を向けるべきだ、と。
 本を読んだくらいで、この状況が改善されるわけではない。だが少なくともいえるのは、今日の状況は十分予測できる事態だったということだろう。昔も今も、病気は社会が作り出すところが大きい。私たちの不幸は現行の政府が信用できないことである。せめて彼らの政策を厳しい目でチェックしたい。
 

【この記事で紹介された本】

『病気の社会史――文明に探る病因』
立川昭二、岩波現代文庫、2007年、1200円+税

 

著者は医療文化史を専門とする北里大学名誉教授(一九二七-二〇一七)。古代ギリシャ・ローマを滅亡に導いた謎の疫病からハンセン病、ペスト、梅毒、結核やコレラなど、人類を震撼させ、歴史を変える契機となった疾病(主として感染症)の歴史を辿る。文学作品などに描かれた感染症にも目配りし、病の実態を多角的に検証。名著の名に恥じず、重いテーマなのに抜群に面白い。

『知っておきたい感染症――21世紀型パンデミックに備える』
岡田晴恵、ちくま新書、2016年、820円+税

 

著者は感染免疫学、ワクチン学を専門とする白鴎大学教授。新型コロナウイルスに関しては、テレビに出づっぱりで現状や必要な対策を解説。厚労省のやり方にも疑問を呈するなどして信頼を得た。本書ではエボラウイルス病、鳥インフルエンザ、SARS、MERS、デング熱など、二一世紀の感染症がどのように発生、拡大したかを解説する。やや専門的な部分もあるが難解ではない。

『「感染症パニック」を防げ!――リスク・コミュニケーション入門』
岩田健太郎、光文社新書、2014年、860円+税

 

著者は医療リスクマネジメントおよび感染治療学を専門とする神戸大学教授。新型コロナウイルスに関しては、クルーズ船の内部で起きている危険な現象をユーチューブで告発し、話題になった。本書ではリスク・コミュニケーションの観点から、感染症に際しての望ましい情報の出し方を体験をまじえて解説する。どちらかというと医療従事者向けの本だが、参考になる点も多い。

PR誌ちくま2020年4月号

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