世の中ラボ

【第118回】日本で女性議員が増えないわけ

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2020年2月号より転載。

 二〇一九年一二月、世界経済フォーラムが二〇〇六年から調査している「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数(GGGI)」の最新版が発表になった。政治、経済、教育、健康の四分野で男女格差がどのくらいあるかを数値化した国別のランキングである。日本は一〇五位(一三年)、一〇四位(一四年)、一〇一位(一五年)、一一一位(一六年)、一一四位(一七年)、一一〇位(一八年)と、第二次安倍政権発足後ずっと一〇〇位以下をうろうろしていたが、一九年の調査では、なんと過去最低の一五三か国中一二一位!
 ついに中国(一〇六位)にも韓国(一〇八位)にも抜かれ、一二〇番台の大台に乗った最大の理由は政治分野の低迷で、政治分野のみの順位は一八年の一二五位からさらに転落して一四四位。女性国会議員と女性閣僚の少なさが足を引っ張ったらしい。
 こうした傾向を是正するため、一八年五月には、政党や政治団体に男女の候補者数を均等にする努力義務を課す「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が成立したが、このこと自体を知らない有権者もまだ多い。順位の低さを反映し、現在、日本の衆院に占める女性議員の割合は一〇・二%(下院の国際平均は二四・三%)、参院でも二二・九%。地方議会では女性ゼロの議会が二割を占める。
 なぜ日本では女性議員が増えないのか。もしかして私たちはひどく特殊な国に住んでいるのか。女性議員の少なさは政策にどう影響するのか。ここはしばし、マジメに考えてみたい。

そもそも「政治」に女性は存在しない?
 日本に女性議員が少ない理由はむろん多々ある。だがその前に、女性議員の進出を阻む要素として、彼女らを見るこの国の人々の目が、いかに幼稚で差別的かは認識してくおくべきだろう。
 その悪しき見本が、たとえば古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書、二〇一八年)だ。小池百合子東京都知事のほか、与野党約三〇人の女性議員をえらそうに論評したこの本は、〈自民党は元より、野党にも、議員としての資質を疑いたくなる女性議員が一定数存在し、一部を除いて常に国政に災いをもたらしてきた〉と臆面もなく書く。〈彼女たちがもし男性であったら、閣僚はおろか議員にすらなれていなかったに違いない。美人代議士、女政治家というだけで下駄を履かされて政界に進出してきた彼女たちは、結局のところその素養・実力のなさが災いして搦め手をメディアに突かれ、辞職や辞任に追い込まれていく。「女だから」という理由で無理矢理下駄を履かされて政治の中に登場してきた彼女たちの大半は、何ら政治的実績を残していない〉。
 よくもまあぬけぬけと。仮に右の苦言に事実が混じっているとしても、それ以上に国政に災いをもたらし、辞職や辞任に追い込まれた(どころか、いまものさばっている)男性議員がどれほどいると思ってる? 素養も実力もないのに「男だから」というだけの理由で下駄を履き、議員になれたのは、むしろ男たちのほうだろう。
 とはいえ、こんな駄本にかまっているヒマはない。日本の政治をめぐる男女格差は想像以上に悲惨なのだ。
 前田健太郎『女性のいない民主主義』は、国会議員の少なさに加え、日本では事務次官や局長といった中央官庁の最高幹部の女性占有率が三・九%(OECD加盟国の平均は三三%)であることを指し、〈日本の政治には、まず何よりも、男性の手に権力が集中しているという特徴がある。今日、これは少なくとも先進国の間ではあまり見られない現象である〉と述べている。
 民主主義にとっては、さまざまな階級、ジェンダー、民族などの代表が人口に応じて反映された議会が望ましい。同じ経験を共有する女性政治家が多ければ、女性の意見は争点化されやすく、男女比が均等に近いほど、その政治体制は民主的といえる。
 ところが、これまでの政治学はジェンダーの要素を考慮してこなかった。民主主義の手本として通常思い浮かべるのはイギリスやアメリカだが、女性参政権に注目すると、最初に女性参政権を導入したのはニュージーランド(一八九三年)で、オーストラリア(一九〇二年)、フィンランド(一九〇六年)、ノルウェー(一九一三年)がそれに続く。同じ制度をアメリカが導入したのは一九二〇年、イギリスは一九二八年、フランスは一九四四年だ。この観点でいけば、英米は民主主義の後発国。〈女性参政権も含めた形で民主主義の概念を厳密に適用するならば、政治学の教科書における民主主義の歴史は書き換えられねばならない〉。
 右の事実は、私たちが「政治」というとき、どれほど女性を排除して考える癖がついているかを如実に物語っていよう。
 男女比の不均衡は幾多の弊害を生む。男性が一方的に説明し、女性は聞き役に回るとか(マンスプレイニング)、男性が女性の意見を遮って発言するとか(マンタラプション)、女性の発言を自らの意見として男性が横取りするとか(ブロプロプリエイション)。いずれも女性にとっては「あるある」だろう。名称がついているくらいだから、こうした男性の態度がいかに横行していることか。〈このような現象が生じるのは、組織の男女比が、組織規範のシグナルとなるからだ〉と本書はいう。男性が多い組織に属する女性は〈その組織では男性らしい行為が要求されているというシグナルを受け取る〉ため、本来の力を発揮できないのだ、と。
 では、男女が対等に議論できる比率はどのくらいなのだろうか。国際機関や各国政府機関は、この数字を議員の女性比率三〇%以上としている(クリティカル・マスという)。日本の男女共同参画社会基本法が指標としているのもこの数字で、実際多くの国はクリティカル・マスを達成するための努力を続けてきたのである。
 男女平等が進んでいるのはEU加盟国や北欧諸国のイメージかもしれないが、女性議員の比率でいうと、上位に並ぶのはアフリカや中南米の国々だ。一九年二月現在、トップはルワンダで六一・三%。以下、キューバ五三・二%、ボリビア五三・一%、メキシコ四八・二%、スウェーデン四七・三%、グレナダ四六・七%、ナミビア四六・二%、コスタリカ四五・六%、ニカラグア四四・六%、南ア四二・七%。
 少し前の本だが、辻村みよ子『ポジティヴ・アクション』を読むと、女性議員の数を増やすために、各国がどんな取り組みをしてきたかがよくわかる。ヨーロッパでは七〇年代に女性議員増加策が模索されたが、アジア・アフリカ諸国がめざましい進歩をとげたのは二〇世紀終盤、中南米諸国が著しく進歩したのは二一世紀初頭だった。九〇年代の内戦で大きなダメージを被ったルワンダは、二〇〇三年に施行された憲法で意思決定機関の少なくとも三〇%を女性に与えることと定め、「議席リザーヴ制」によって男性だけでなく一部の部族への権力の集中も防ぐ方式をとってきた。ただし、これは例外で、多くの国が採用しているのは、候補者のうちの一定の割合を女性に割り当てるジェンダークオータ制である。
 こうした制度は現在一〇〇近くの国で取り入れられており、韓国では〇〇年、中国では〇八年にクオータ制が導入され、その後も整備が続いている。例外はアラブ諸国と日本だけという不名誉。

世界各国の努力と日本の無策
 とはいえ、日本も低迷しっぱなしだったわけではない。三浦まり編著『日本の女性議員』によれば、一九九〇年代は女性議員の「躍進の時代」だったという。八九年の衆院選で女性が躍進した「マドンナ旋風」も大きかったが、九〇年代は、社会党には土井たか子、自民党には森山眞弓という、選挙区で勝ち上がった有力な女性議員がおり、また九六年に発足した「自社さ」連立政権は、新党さきがけの代表・堂本暁子を加えて、与党三党中二党の党首が女性という稀有な状況が出現した。結果、九〇年代後半から〇〇年代初頭には、母体保護法、男女共同参画社会基本法、ストーカー規制法ほか、女性に直結する多くの法律が制定された。まさに〈女性当事者として女性問題に関心と憂慮を持つ女性議員が政治的《ポジション》を手にしたとき、女性の視点を反映した女性政策が進展する〉のである。
 そんな追い風はしかし、〇〇年代後半にはぴたりとやみ、女性政策は低迷する。〇五年の総選挙における「小泉チルドレン」や、〇九年の政権交代選挙における「小沢ガールズ」など、〇〇年代は女性議員が飛躍的に増加した時代だったが、小泉純一郎や小沢一郎は女性の積極的登用を制度化するまでには至らず、せっかく誕生した民主党政権も女性議員の増加を政策化はせず、女性閣僚を積極的に登用もしなかった。主体的に政治にかかわった前の世代の女性議員とは違い、彼女らは〈男性の目線から使い勝手のいい女性が選別されるという構図〉の中で「政治的客体」として扱われた。〈メディア報道を通じて「客体化される女性像」が流布し、次世代の女性たちの主体性獲得の可能性を狭めたとしたら、その功罪のうちの罪の重さはずっと重いものになるだろう〉。
 こうしてみると、日本のGGGIが一二一位である理由は明白だろう。各国が女性議員の数を増やし、ジェンダー平等政策に腐心している間、何の手も打たなかった日本は世界から完全に取り残されたのだ。冒頭にあげた女性議員を茶化す風潮も、選択的夫婦別姓法案がいつまでも通らないのも、セクハラやレイプに対する法整備が進まないのも、女性議員の少なさと無縁ではない。
 昨年七月の参院選で、各党の女性候補者が占める割合は、自民党一四・六%、公明党八・三%、立憲民主党四五・二%、国民民主党三五・七%、共産党五五%、日本維新の会三一・八%、社民党七一・四%、れいわ二〇%だった。野党には改善のきざしが見えるが、与党は相変わらずである。状況を変えるには有権者が女性政治家の数に敏感になることだろう。寝てても事態は変わらないのだ。
 

【この記事で紹介された本】

『女性のいない民主主義』
前田健太郎、岩波新書、2019年、820円+税

 

〈日本では男性に政治権力が集中している。何が女性を政治から締め出してきたのか。そもそも女性が極端に少ない日本の政治は、民主主義と呼べるのか〉(カバー袖より)。これまでの「常識」だった男性中心の政治学をジェンダーの視点からひっくり返した快著。理論に拘泥しすぎてややわかりにくいのが難点だが、発見も多い。最終的には日本でもクオータ制の導入を推奨。

『ポジティヴ・アクション――「法による平等」の技法』
辻村みよ子、岩波新書、2011年、760円+税

 

〈政治・雇用・教育等における差別や格差を解消し、多様な人びとの実質的な平等を確保する手法、ポジティヴ・アクション(積極的格差是正措置)。(略)各国の状況を紹介し、日本の選択肢を見据える〉(カバー袖より)。国会議員や国家公務員など、日本では極端に少ない女性を増やすための方策を紹介。血の滲むような各国の努力を知るだけでも、反省し、学ぶところ多し。

『日本の女性議員――どうすれば増えるのか』
三浦まり編著、朝日新聞出版、2016年、1600円+税

 

〈女性議員が少ないと、なぜいけないのか? 増えるとどうなるのか?(略)国会議員へのアンケートやインタビューをもとに、女性議員の過去、現状、将来を考える〉(カバー裏表紙より)。七人の研究者による共同研究。女性が政治家になるのを阻む要因から、議員になるまでのキャリアまでを幅広く検証する。特に九〇年代と〇〇年代の比較論は秀逸で、政治家志望の女性は必見。

PR誌ちくま2020年2月号