短篇集ダブル

どーしょもないですもんね (パク・ミンギュ著 斎藤真理子訳)

パク・ミンギュから。ある一夜のためのメッセージ

斎藤真理子さんと岸本佐知子さんの対談のために、パク・ミンギュさんが書き下ろしたメッセージです(斎藤真理子=訳。2020年1月28日青山ブックセンター本店でのイベント)。

 作業室の庭に巨大なけものが侵入してきたのは、夜中の3時ごろでした。小さな丘をのぼって木をかき分けて入ってきたそいつは、疲れたように庭に座り込み、白い息を吐いていました。ホッキョクグマでした。悪く見れば地球最強の猛獣であり……よく見れば、けっこうしゃれた奴でした(赤いマフラーをしてましたので)。ちょうど窓際に立っていた私は、奴と目が合ってしまいました。生まれついての楽天家でなければたぶん誰だって、その場でおしっこもらしたと思います。といって、

 

 そのまま何もしないわけにはいかず、私はガラガラッと窓を開けて庭へ降りていきました。おーい、ここ、僕んちなんだけど、いったい何やってんの? あーわかってるわかってる、だからー、地球温暖化のせいだろ? 食べもの探して、ここまで降りてきたのか? 十分に理解できるよという調子で、私は接近を試みました。奴はじーっと私をにらみつけたかと思うと、こう言ったんですよ。紙面も限られている中、常識的な経緯については省略しないか? 地球温暖化、食料不足……そんなことは説明しなくてもみんなわかってんだろ。紙面の限られた私はめんくらう余裕もありませんでした。とにかく、

 

 お前を食べなくてはならないと、クマは言うのでした。悔しいかもしれないが、それはお前らのやったことの結果だからね。と奴は言いました。コカコーラでなだめることはできないかとも考えてみましたが……コマーシャルを撮るんでもあるまいし、クマを相手に卑屈になるのは嫌でした。おまえ、車の運転大好きだろ? 工場で作ったもん買って、着て、食べて、出して、そうやって生きてきたんだろ? 屁もだいぶこいただろ? 家庭生活においては誠実だったか? 奴は、判事みたいにそう言うのです。家庭生活も地球温暖化に関係あるのか? としばらく考えてみましたが、紙面も限られているので質問するのがためらわれました。だからといって、このまま死ぬわけにもいきません。

 

 やむを、えまい、じゃあ、一対一の対決をしようと、私は言いました。勝った方が相手を食べるんだ。と、言い終わるや否や、奴ががばっと体を起こして立ち上がったんです。クマは直立可能な動物か? まるで知らなかったことを知らされてみると、時すでに遅し。ぬっと突っ立ったその背丈は、ぱっと見ても三メートル以上……奴は首に巻いた赤いマフラーをほどくと自分の腰に巻きました。そしてぎゅっと結びました。え、何やってんの? 橋本真也みたいに……。私は小さなうめき声を発しました。垂直落下式DDT(*)でもくらったのか? こう見えても

 

 私も胸囲は130センチに達する人間なんですが……奴の前に立ってみると自分があまりにもちっちゃくて……かぼそくて……かよわすぎるって気がしてきました。そのうえ、地球温暖化の主犯だなんて……比較的清らかに生きてきたと思ってたんですが、そんなの客観的なものさしになりえませんよね。地球温暖化を議論するなら、結局すべての人間は共犯であり、主犯だってことになりますからね。どーしょもないですよね。上半身裸になって、私もポーズを決めました。そして渾身の力をこめて左ジャブを打ち込んだのですが……何だそりゃ、赤ん坊相手の「めっ!」てか? とホッキョクグマの失笑を買ってしまいました。がっくり力が抜けて、私には自分がさらにちっちゃく……かぼそく……かよわく感じられました。怒りが月光を浴び、清楚な涙までこみあげてくると、こりゃまたどうしたことか、橋本環奈になったみたいな気分になりました。

 

 こんな僕を、殴るの?

 こんなにちっちゃくて、かわいいのに、殺すの?

 

 アイドルダンスを踊りながら私が聞くと

 口をあんぐり開けて

 奴は、答えられませんでした。

 

 紙面も限られている折、ハッピーエンドで行こうか。並んでベンチにこしかけて、ホッキョクグマと私はコーラを飲みました。私たちは黙って夜空の星を見、腰の帯をぎゅっと締めたオリオン座(今日だけは橋本真也座と呼んであげたいものです)の下であれこれと話をしました。ああだこうだ言っても、人間のやることは全部プロレスみたいなもんだよ。それは悲しいことでもあるし、おかしいことでもあるよな。どんなにわーわーごたごたやって、深刻そうにしてみたところでさ。と、私が言いました。

 

 わかってるのに、どうしてああなんだろな。と、ホッキョクグマが言いました。わかってるからそうなんだよ、人間の文明ってのは、まさにプロレスなんだから。と私が答えました。好きにしろよ、金を稼ぐ奴はほかにいるだろ。ホッキョクグマは地球の歴史についてかなりよく知っていました。それでこんな一言もつけ加えたのでしょう――どーしょも、ないもんな。私は二の句がつげず、しばらくうなだれるほかはなく。そして結局……こう言いました。ごめんな。ほんとに悪いと思ってるんだ。一緒にうなだれていたホッキョクグマは、きっぱりとした声で言いました。

 

 時は来た。それだけだ。(**)

 

 時は来ました。翻訳者の斎藤真理子さんから、1月28日に東京でイベントがあると聞きました。そして、短いメッセージを頼まれたのですが……ほんとのところ、いかなる場合でも私が読者の皆さんに差し上げられる文章は一つだけなんです。ありがとうございます。この一行の文章の上に、誠意を示すためにちょっとだけホッキョクグマと……橋本環奈さん、そして故人となられた橋本真也さんのお名前を招待してみたわけです。年をとるほどに、文章を書くことも世の中に迷惑かけるんだなあとしきりに思います。東京のどこかからイベントの会場まで、

 

 寒い中を移動して、またイベントが終わったら夜道を帰られる皆さんに迷惑かかっていないか、韓国には「已往之事」という言葉をときどき使いますが……もうこうなってしまった(已往)以上、「楽しい時間」になりますよう、切にお祈りします。次の機会がありましたら、そのときはぜひ東京を訪ねたいと思います。もう一度、ありがとうございます。どーしょもないことながら

 

 幸せな一夜になりますよう。

 

 

                     韓国にて パク・ミンギュ

 

 

*故・橋本真也氏の必殺技として知られる技(でも、誰も殺しませんでした)。

**橋本真也氏が残した有名な言葉です。

 

 

 

 

2020年5月13日更新

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パク・ミンギュ()

パク・ミンギュ

1968年、韓国・蔚山生まれ。中央大学文芸創作学科卒業。2003年、『三美スーパースターズ、最後のファンクラブ』でハンギョレ文学賞と『地球英雄伝説』で文学トンネ新人作家賞をダブル受賞して話題になる。05年に『カステラ』で申東曄創作賞、07年に『短篇集ダブル』所収の「黄色い川を行く一そうの舟」で李孝石文学賞、09年に同書所収の「近所」で黄順元文学賞、10年には「朝の門」で韓国で最も権威あるとされる李箱文学賞を受賞。邦訳作品に『カステラ』(クレイン)、『亡き王女のためのパヴァーヌ』(クオン)、『ピンポン』(白水社)、『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』(晶文社)、『短篇集ダブル サイドA』『短篇集ダブル サイドB』(筑摩書房)がある。

斎藤 真理子(さいとう まりこ)

斎藤 真理子

斎藤真理子  (さいとう・まりこ)

翻訳家。訳書に、パク・ミンギュ『カステラ』(共訳、クレイン)、『ピンポン』(白水社)、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)、ファン・ジョンウン『誰でもない』(晶文社)、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)、ハン・ガン『回復する人間』(白水社)『誰にでも親切な教会のお兄さんカン・ミノ』(亜紀書房)などがある。『カステラ』で第一回日本翻訳大賞を受賞した。

 photo:©Yuriko Ochiai

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