ちくま新書

3年で貯金300万円、家族に豪邸を建てる、母国で事業をはじめる……

送り出しビジネスの舞台裏から技能実習生たちの故郷、家族、夢まで。

ちくま新書『ルポ 技能実習生』の冒頭を公開します。単純作業を中心に人手不足が深刻化する各国の、人材獲得合戦が加速している。「奴隷労働」と揶揄するメディアもあるが、故郷に錦を飾った成功者は少なくない。しかし残念ながら、悪徳ブローカーに騙されたり劣悪な企業から逃げ出して失踪者となる若者も多い。いま現場では何が起こっているのか。日本および各国の制度はどうなっているのか。日越の関係機関、支援団体、技能実習生たちの肉声をかき集めた。さらに韓国にも飛んで労働者受け入れの実態を取材した。国際的な労働力移動の最前線レポートです。

†ニッポンの高卒

 令和の始まりをまたぎ、同世代の高卒男子が建てた家を二つ見た。
 一つ目は、二〇一九年四月に埼玉県さいたま市で、会社員(二七歳)が建てた家。二つ目は、六月にベトナム北部のバクザン省ルックナム県で、技能実習生(二六歳)が建てた家。いずれも建坪二〇坪ほどの一軒家だが、その風景はまったく違って見えた。
「成り上がりたい」
 一つ目の家の主である会社員の男性が話した言葉を、よく覚えている。その言葉に、大きな違和感を覚えたからだ。
 男性とは、筆者が編集長を務める「高卒進路」(ハリアー研究所刊)の取材で出会った。同誌は進路多様校(就職者が一定数以上在籍する高校)に向けた進路情報誌で、全国約四〇〇〇校の進路指導担当者向けに配布しているフリーペーパーだ。高校卒業後に就職を選択した学生のその後に迫る企画で、その「成功例」として男性と出会った。
 男性は、埼玉県の県立高校を卒業後、東証一部上場の鉄鋼メーカーに就職。男性は高校時代、野球部の活動に明け暮れ、三年ではキャプテンとしてチームをまとめた。勉強は苦手だったが、大学でも野球を続けたいと考えていた。
「お前だったらそれなりの大学で活躍できる力はあるから」
 野球部の監督も、大学で野球を続けることを応援してくれた。
 高校最後の夏が終わり、親に説明した。鉄鋼所に勤める父と、専業主婦の母。
「金銭的に無理だ」
 親の言葉に、ただ頷いた。筆者は就職する高校生の取材を続けているが、男性のように親の経済的事由で進学を断念し、就職する若者は少なくとも高卒就職者の三割を占める。
 男性は、負けん気が強い。就職するとなったら、一番に決めてやる ―― 。
「三年間休まず、一生懸命に野球の練習に取り組めたお前なら、ルーティン化されたことを続ける製造業でも頑張れるんじゃないか」
 男性は、進路担当教諭に勧められた東証一部上場の鉄鋼メーカーへの就職を決めた。決め手は、その会社に野球部があることだった。
 男性は毎日八時間、工場で鉄の板と向き合う。勤務時間が三シフトあり、夜勤のときは二三時半からの勤務になる。休憩時間には缶コーヒーを買って、タバコを吸う。
 男性は、友人の紹介で知り合った女性と二五歳で結婚。二七歳で三五年の住宅ローンを組んだ。三〇〇〇万円を借り入れ、車が二台停められる二階建ての一軒家を建てた。
 現在、年収は五〇〇万円を超える。高校生の就職で、二〇代で年収が五〇〇万円を超えるのは、相当稀だ。確かに、高卒就職の「成功例」と言えるだろう。
 ただ、生き急いでいるようにも見えた。男性には、すでに二人の子どもがいる。休みの日は子育てに追われる。子どもが寝静まった後、自宅の駐車場で野球の素振りをすることが、何よりもの楽しみだと話していた。人生一〇〇年時代とも、晩婚時代とも言われる。
「もう少し、自分のためだけに時間を使ってもよかったのではないか」
 そう、質問した時だった。男性が「成り上がりたい」と答えたのは。言葉の真意が摑めず、筆者は「お金を貯めて、自分でビジネスを始める予定でもあるのか?」と聞き返した。
 男性は、こう答えた。
「金銭的なものに興味はないんです。男として、一人の人間として、同じことをずっと続ける大変さだとか、一人の女性を愛することというか……。つらいこともありますけど、忍耐強く、プライドを持って生きていたい」
 成り上がりと呼ぶには、あまりに実直で、健気な夢だった。

†三年で家が建つ

 その約二か月後、文字通りの「成り上がり」を見た。
 筆者は、ベトナム東北部に位置するバクザン省ルックナム県のクォアンハイという小さな村にいた。ひと際目立つその家は、にわとりが我が物顔で歩く、ぬかるんだ道の先にあった。
 ベトナムの地方で見る戸建て住宅は、靴置き場のようなものはなく、観音開きの玄関を開けるとすぐにダイニングルームが広がっている。訪れた時は、そこで、大阪の食品製造会社の技能実習生として働くグエン・ヴァン・ロイさん(二四歳)が、家族と食事をしている最中だった。床に敷いた敷物の上に食事を並べ、それをみんなで囲んで座りながら食べる。ベトナムの地方で見られる一般的なスタイルだ。
 ロイさんは三年間の技能実習を終え、一時帰国している最中だった。明日、ハノイに移動し、明後日、ノイバイ国際空港(ハノイ市)から日本に向かうという。ロイさんは言った。
「残業も多く、手取りは一七万円あります。もう少し、稼ぎたいです」
 生活費として三万円。残る一四万円は毎月、仕送りしてきた。その間に、約三〇〇万円の自宅借金は完済した。ロイさんは再び日本に渡り、二年間の技能実習を続ける。最長三年間だった技能実習は、二〇一七年一一月から最長五年に拡大されている。
 ロイさんのほかに食事を囲むのは、両親と、同じ技能実習生として日本で知り合った彼女だ。大阪で技能実習生をしていた二人は、電車内で声を掛け合い、地元が同じことだったことから、急速に距離を縮めたという。
 この場にはいなかったが、ロイさんの姉も技能実習生として名古屋の会社で車のドアフレームの検査をしている。さらには、その姉の旦那も元技能実習生だという。
 そんな息子たちが働く日本からやってきた筆者は、当然、大歓迎だった。
 茶碗には山盛りのごはん。そして、父親のタンさん(五一歳)がボトルを掲げ、筆者に目配せをする。ビールではなく、コメ焼酎。ショットグラスに入れて乾杯し、それを一気に飲み干す。この繰り返し。
「こんな立派な家を建てて、かわいい彼女も連れてきて、お父さんは幸せ者ですね」
 通訳を通して伝えると、にっこり笑って、またお酒をついできた。
 しばらくすると、親せきの家に挨拶回りにいくと、ロイさんと彼女が席を立った。ホンダのバイクの後部座席に彼女を座らせ、颯爽と家を離れていく。親せきの家を回っても、彼は「成功者」として暖かく出迎えられるだろう。
 幸せな若いカップルの背中を目で追うと同時に、猛烈な感情が込みあがってくる。それが何かに気づくのに、それほど時間はかからなかった。
 嫉妬だ。筆者は未婚の三八歳。常々、親孝行したいとは思っているが、フリーの物書きという不安定な仕事を続けているせいだが、いつも自分の生活で精いっぱいだ。ろくに親の生活を助けることもできなければ、四〇歳を前にして孫の顔を見せることもできない。
 ところが、この技能実習生はどうだ。弱冠二四歳にして家を建て、素敵な彼女を連れて帰ってくる。完璧じゃないか。しかも、さいたまで見た三五年ローンの家じゃない。三年で家が建つのだ。まだ働きたいって、今度は何を始めようって言うんだよ……。
 お酒が入っていたせいもあり、感情が乱れた。食品製造業の技能実習と言っても、お弁当にお惣菜をつめたりするだけの簡単な仕事じゃないか。なんで、それで家が建ったり、奥さんを迎えられたりするんだ。
 心を落ち着かせようと、山盛りのごはんにがっついた。茶碗やおかずを盛った皿には、少なくない数のはえが群がっている。ベトナムの田舎、衛生レベルはまだまだ低い。執拗に手で払うのも失礼だ。郷に入っては郷に従え。かまうものか。はえごと白飯を搔き込んだ。
「お父さん、また息子が旅立って、寂しいですね」
 通訳を通し、お父さんに尋ねる。
「そうだな。三年で帰ってきて欲しかった。今度は、孫の顔が見たい」
 神戸生まれの筆者は思わず「欲しがるねぇ」と、関西弁で突っ込んだ。「俺も技能実習生になりたいわ」とこぼすと、通訳は意図を摑めず、ただ笑っていた。

†夢の国ニッポン

 帰国すると、日本は「老後の二〇〇〇万円問題」で揺れていた。
 金融庁がまとめた報告書は、老後資金が公的年金以外で二〇〇〇万円不足するとしていた。政府は「世間に著しい不安を与えた」とし、報告書を撤回した。しかし、可視化された不安は、高齢者だけではなく、若者にまで広がった。ベトナムの技能実習生のように、短期間の出稼ぎで一攫千金を稼ぐチャンスは日本にはない。働き方改革で、残業時間にも大きな制限が入ろうとしている。
 ただ、仮にそうしたチャンスがあっても、飛びつく若者は少ないかもしれない。取材を通し、技能実習生の大半が地方農村部の高卒の若者であると知ることになるが、日本の高校生が同じ野望を持つだろうか。筆者は日本の高校生の就職をウォッチし続けているが、求人広告も様変わりしている。
「年間休日一二〇日以上」
「有給消化率一〇〇%」
 そんな言葉が、今の高校生にとって魅力なのだ。現在の高校生のことを理解している企業は、間違っても求人票に「能力次第でどんどん稼げます!」などといった誘い文句は入れない。
 バブル崩壊から始まった「失われた一〇年」が、二〇年、三〇年と続く日本しか知らない現在の高校生は、堅実で、保守的だ。デフレが進み、そこそこの品質のサービスやモノが、そこそこの価格で手に入る。適度に快適であればそれで良く、上昇志向も強くはない。若者の数自体も減る一方で、日本社会からはどんどん活力が奪われている。
 一方、そんな日本を「夢の国」と信じ、一攫千金に目をぎらつかせ、アジアから日本を目指す技能実習生たち。この奇妙な時代の記録を、残しておきたいと思った。
 一記者として接した平成の終わりは、閉塞感に包まれていた。政治は世襲政治家の家業となり、天下国家が語られることもなく、保身に終始している。学歴の連鎖や非正規雇用の拡大による格差拡大は限界まで達し、それが、悲惨な殺人事件や児童虐待など、歪な形で現れている。超高齢化社会への処方箋はなく、今や殺人事件の半分は家族間になった。
 そんな希望なき時代を記者として走り回るなかで、技能実習生の姿は痛快だった。田舎の貧しい農家の子どもたちでも、階層を逆転するチャンスがある。日本の技能実習制度という、複雑怪奇な制度によって。

†技能実習制度の目的は国際貢献

 技能実習制度とは何なのか。
「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」(本書では以降、技能実習法と表記する)には、その目的がこう書かれている。
「人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術又は知識の移転による国際協力を推進することを目的とする」(第一条)
 教科書通りに説明をすると、開発途上国に日本で学んだ技能や知識を持ち帰り、それを母国で生かしてもらおうという「国際貢献」を目的とする制度だ。この制度を利用して日本に在留する外国人を技能実習生と呼ぶ。本書では以降、実習生と表記する。彼らの在留資格は「技能実習」で、技能実習1号(入国から一年目)、技能実習2号(二年目〜三年目)、技能実習3号(四年目〜五年目)に分かれ、最大五年間の滞在が認められている。
 在留資格とは、日本に滞在し、活動するための資格だ。日本に滞在する外国人は、いずれかの在留資格を持っている。二〇一九年に単純労働分野で働く外国人の在留を認める「特定技能」が新設され、在留資格は現在二九種類ある。
 在留資格とビザ(査証)が混同されることも多々あるが、ビザは来日を希望する外国人の自国の日本国大使館、または領事館が、その外国人のパスポートを「有効」と認め、入国することに支障がないと「推薦」する意味で発給する証書のことだ。英コンサルティング会社のヘンリー・アンド・パートナーズの調査によれば、日本人は世界一九一の国と地域にビザなしで入国できる「世界最強」のパスポートを持っている。そのため、見たことのない人が多いかもしれないが、ビザはパスポートに貼り付けられるステッカーのようなものだ。あくまで入国許可申請に必要な書類の一部で、自国で発給されたビザを持っていても、入国審査場(イミグレーション)で入国審査官に入国を拒否されるケースはある。
 この在留資格「技能実習」で滞在する外国人は四一万九七二人いる(二〇一九年末時点)。二〇一四年末時点では一六万七六二六人だから、たった五年で二倍以上に増えたことになる。国内の外国人を在留資格別に見ると、実習生は全体の一四%で、トップの永住者(二七・七%)に次いで多い。
 実習生を含む国内の外国人労働者数は二〇一九年一〇月末時点で約一六六万人と、二〇〇七年に外国人雇用の届け出が義務化されて以降、過去最高を記録し続けている二〇〇八年一〇月末時点での外国人労働者数は約四九万人で、この約一〇年間で三倍以上に増えている。数字を押し上げている大きな要因の一つが実習生であることは間違いない。
 なぜ、実習生が増加しているのか。日本企業の国際貢献への機運が高まっているのか。そんなことはない。人手が欲しいからだ。
 技能実習法には「技能実習は、労働力の需給の調整の手段として行われてはならない」(第三条第二項)と記されているが、実態はまさに「労働力の需給の調整の手段としての技能実習制度」が機能している。実習生にも「技能実習に専念することにより、技能等の修得等をし、本国への技能等の移転に努めなければならない」(第六条)と、その責務が明記されているが、大半は出稼ぎ目的だ。詳しくは第二章に譲るが、制度の目的通り、日本で学んだ技術や知識を母国に移転する実習生を見つけるのは難しい。

†原型は大企業の社員教育

 技能実習制度はどのように始まったのだろうか。
 技能実習制度を支援する国際研修協力機構(通称JITCO)は、技能実習制度について「一九六〇代後半頃から海外の現地法人などの社員教育として行われていた研修制度が評価され、これを原型として一九九三年に制度化されたもの」と説明している。このJITCOは一九九一年に法務省、外務省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省の共同管轄で設立された財団法人で、技能実習制度の促進、実務面のサポートをする組織だ。二〇一七年に施行された技能実習法により外国人技能実習機構が設立されるまでは、JITCOが技能実習の巡回指導を行っていた。現在では新たに特定技能の実務面のサポートも実施するなど、外国人労働者雇用の大きな役割を担い続けている。本書でも何度か登場するが、業界関係者の間では「ジツコ」の愛称で知られるため、以降はジツコと表記する。
 そのジツコが指摘するように、企業の海外進出が始まるようになった一九六〇年代後半から、海外の現地法人で働く人材の育成などを目的に、外国人の受け入れが始まった。大手企業が現地法人の社員を育成するために国内工場で研修をして、技術を習得させた上で現地法人に戻すという技能実習制度本来の目的である技術移転が行われていた。
 ただ、ジツコが説明するように、大企業の社員教育を原型として技能実習制度が制度化されたかどうかは疑わしい。一九八一年の出入国管理及び難民認定法(以下、入管法)の改正により、海外に支店や関連会社のある企業が外国人研修生を一年間受け入れる研修制度が設けられ、一九八九年の入管法の改正では独立した在留資格「研修」に格上げされている。その活動は「本邦の公私の機関により受け入れられて行う技術、技能または知識の習得をする活動」とした。
 当時はバブル景気による労働力不足で、観光目的で入国し、オーバーステイして働く外国人が人手不足を支えているような状況だった。翌一九九〇年には中小企業での研修生の受け入れを認める「団体監理型」が導入され、受け入れ条件が緩和されている。当時から研修とは名ばかりだったのだろう。当時の新聞をめくると、例えば、こんな記事が見つかる。
「改正入管法が一日施行 「研修」拡大、人手確保へ柔軟解釈」と題された記事(毎日新聞・一九九〇年六月一〇日朝刊)には、こんな指摘がある。
「「きたない」「きつい」「危険」の3K業界では求人難の中、外国人労働者に代わる人手の確保が難しい情勢だ。そこで浮上してきたのが「技術・技能研修生の受け入れ拡大案」。産業界の強い要請を受け、政府・自民党は受け入れ基準を緩和、中小企業などへの「研修生」導入の道を開いた。しかし技術・技能習得を目的とした研修を人手不足対策に利用することに対する疑問も出ている」

†制度創設は一九九三年

 中小企業での研修が認められたものの、研修は在留期間が一年しか認められず、受け入れ側の不満は大きかった。研修目的で人材を受け入れたわけではない。人材不足を補う人材が一年でいなくなっては困るのだ。そうして、一九九三年に誕生したのが「技能実習制度」である。一年間の研修に加え、在留資格「特定活動」として技能実習を一年間、合計二年間の在留が認められるようになった。一九九七年には技能実習が二年間に延長され、研修期間と合わせ在留期間が三年に拡大された。
 しかし、低賃金などの劣悪な労働環境が問題となり、二〇一〇年には在留資格「技能実習」が創設され、労働関係法令が適用されるようになる。それでも、実習生の人権が十分に守られているとは言えず、二〇一六年に技能実習法が成立した(施行は二〇一七年一一月)。法務省と厚生労働省が所管する外国人技能実習機構が新設され、監理団体を許可制にするなど、実習生の保護強化が大きな目的だった。この技能実習法の施行前後で、「旧技能実習制度」、「新技能実習制度」と言い分けることもある。本書が扱うのは後者だ。
 ただ、労働者保護が強化されたと同時に、実習期間が三年から五年に拡大され、受け入れ職種も拡大していることも見落としてはならない。技能実習制度の創設時には対象職種が金属プレス加工など一七職種に限られていたが、現在は八二職種(一四六作業)が対象だ(令和二年二月二五日時点)。電子機器や食品加工など、途上国には存在しない職種もある。そうした技術をどうして移転できると言うのだろうか。詳しくは本文に譲るが、技能実習制度は中小零細企業による団体監理型の実習が全体の九五%を超えている。国際貢献を目的に実習生を受け入れる余裕のある中小零細企業がそれだけあるとは到底思えない。
 技能実習制度は、国際社会からも多くの批判を受けている。例えば国連のホルヘ・ブスタマンテ氏による報告書(二〇一〇年)は「奴隷制度または人身売買」と判定した。その上で、日本政府に対しこの制度の廃止と雇用制度への変更、関連企業から完全に独立した監視・申し立て・救済機能の確立の勧告をしている。
 こうした国内外からの批判も受け、二〇一九年に単純労働分野で働く外国人の在留を認める在留資格「特定技能」がようやく新設された。

†主役は中国からベトナムへ

 しかし、批判を受けようが、新しい在留資格が生まれようが、実習生は増え続けている。いわゆる団塊の世代が六〇歳定年を迎えた二〇〇七年頃から人手不足問題が勃発。リーマンショックを経て、それが現実のものとなり、それを補うかのように実習生は増え続けてきた。国籍別に見ると、なかでもベトナム人が急増していることに気が付く。二〇一一年末に一万三七八九人だったベトナム人実習生は、二〇一九年末時点ではその一〇倍を大きく超える二一万八七二七人に達し、いまや実習生全体の五三%を占めている。
 それまでは、中国がトップだった。ベトナム人実習生が急増し始めたのは二〇一四年頃からで、中国人の実習生数を抜いたのは二〇一六年だ。主役逆転の背景を、ベトナムの送り出し機関の幹部はこう説明する。
「経済成長によって中国国内で日本に行くメリットが薄れてきていることに加え、東日本大震災(二〇一一年)、中国国内の大規模な反日運動(二〇一二年)をキッカケに、中国人の希望者が減りました。一人っ子政策下で生まれた中国人はわがままで、日本の企業からも敬遠されるようになっていました。そこで日本側の受け入れ機関と中国の送り出し機関が目をつけたのがベトナムだったんです」
 ただ、ベトナム人実習生の急増は、受け入れ側の理屈だけでは成り立たない。ベトナム人にとっても、日本の技能実習制度が魅力的だったのだ。現場をよくわかっていないメディアが技能実習を「奴隷労働」などと安易に切り捨てることがあるが、日本企業が外国に出向き、首根っこ捕まえて労働者を連れてきているわけではない。彼らは自ら手を挙げ、日本を目指しているのだ。その背後には「労働力輸出」を政策に掲げるベトナム政府の姿もある。
 一口に実習生と言っても、国により文化的背景や送り出しの仕組みも異なる。百万円もの借金を労働者に強いる国もあれば、フィリピンのように送り出しにかかる費用を一円たりとも労働者から徴収してはならないと厳しく管理する国もある。すべての国をカバーするには、本書では紙幅と、何より、取材が足りない。本書は筆者が二〇一八年秋から二〇二〇年春にかけ、実習生最大の送り出し国になったベトナム人実習生と送り出し機関、そして日本側の監理団体や関係省庁を取材した記録である。ベトナム人実習生の実態だけではなく、複雑な技能実習制度そのものも理解できるように書いた。
 本文中の年齢は、取材当時のものとしている。国名を書かない限り、実習生はベトナム人実習生を意味する。

【目次】
序 章 ベトナム人技能実習生になりたい
第一章 なぜ、借金をしてまで日本を目指すのか
第二章 なぜ、派遣費用に一〇〇万円もかかるのか
第三章 なぜ、失踪せざるを得ない状況が生まれるのか
第四章 なぜ、特定技能外国人の受け入れが進まないのか
第五章 ルポ韓国・雇用許可制を歩く