ちくま新書

「この道」を行くのが、かくも不安である理由

田崎基『令和日本の敗戦』書評

田崎基『令和日本の敗戦』(ちくま新書)について、小説家の中島京子さんによる書評を掲載します。この国において、コロナ禍の現在も、それ以前においても、私たちはなぜこんなにも不安に怯えなくてはならないのか。その不安の正体を本書に見出すことができる、と中島さんは読みます。(PR誌「ちくま」2020年5月号より転載)

 新型コロナウイルスが世界を席捲するのを体験し、不安に怯えながら本書を読み進めることになってしまった。

 わたしの不安の正体は、突き詰めると、「この国が信じられない」ということに尽きる。

 陰謀論的な不安におののき続けるのは利口なことではないから、自分なりに情報を集め、これが実態に近いのではないかという説明を自分に与えてみる。でも、そうするそばから不信の芽はむくむくと伸びていく。なぜ、こんなにも不安なのか。

 本書は、安倍政権の時代に何が起きたのか、また、その背景となる平成年間に何が起きたのかを、新聞記者の視点でわかりやすく読み解いている。読みながら、自分の不安の正体がわかった気がした。わたしたちは、あまりに何度も騙され、隠され、ごまかされているので、疫病以前に、信じられない病に罹患しているのだ。

 第一章「転落と疲弊の現場」では、増え続ける非正規社員が壮絶な長時間労働に従事する現場を取材しつつ、そのすさまじい現在を準備した「日本型雇用慣行の崩壊」の起点が、1997年にあることを分析していく。「バブル崩壊」を引きずったまま迎えた「国内金融危機」「アジア通貨危機」「消費増税」が重なったこの年を境に、家計の貯蓄率は急減し続ける。政府は根本的な解決を避けて景気対策という名のばらまきを続け、企業は「コストカット」に邁進し、「イノベーション(技術革新)」に力を割かなくなった。あれから20年以上経つが、いまだに政府が力を入れるのは「原子力発電」「リニア高速鉄道」。素人が耳にしても、時代遅れ感は否めない。ごまかし続けて「この道」を来ている。

 第二章「虚構のアベノミクス」は、タイトル通りだ。開始から7年を経ても当初の目標「物価上昇率2%」を達成せずにいる「この道」には、どうも出口がないらしい。「異次元の金融緩和」という謎のキーワードがもたらす日本経済のいま。「景気は上向いている」「成果は出ている」というが、政府が自慢するGDPの数字そのものが、アベノミクスの失敗を隠すための「かさ上げ」である可能性がある。そう、ここでも、わたしたちは嘘をつかれたのだ。

 第三章「左右を騙す「改憲」案」では、安倍首相が妄執のように訴える「憲法改正」が、いつのまにか誰もを騙す、いびつな「安倍改憲」に変わってきた経緯を追う。現在の憲法を変えず「自衛隊」を明記して付け足すというのが安倍案だが、国民を騙し、ごまかして、国民投票を切り抜けようという意図ばかりが透けてみえる。

 第四章「国家の末期」で扱うのは、現政権の国民に対する姿勢だ。冒頭扱われるのは「桜を見る会」。国民の血税で支持者や友達を派手に招待した疑惑に、官邸は資料を「シュレッダー」にかけたり、「シンクライアント方式」という新語で煙に巻いたりしながら、ごまかしに終始する。それは「森友学園国有地八億円払下げ事件」と同じ構図だ。公文書改竄(かい ざん)の汚れ仕事を押しつけられた公務員が自死までしている。こうして自分たちの悪は隠蔽(いん ぺい)しながら、権力の暴力で一方的に国民の権利を蹂躙(じゆう りん)する態度が「辺野古」にあらわれる。民主的な方法で何度「民意」を示しても、暴力的にそれを制圧し、有無を言わさず埋め立てを進める、その手法を「信頼しろ」と言われても、あまりに無理があるだろう。

 終章「令和日本の「焦土」」では、一章から四章で見てきた社会、経済、政治がどのような帰結に至るか、「この道」の先に何があるのかを扱う。戦慄する一行がある。「「戦なき敗戦」による、その焦土の一つの形は、日本全国が「うばすて山」のような危機的な状況になることである」。その焦土の光景が、新型コロナでもたらされる恐怖に、怯えずにはいられない。

「この道」は「戦なき敗戦」だと、著者は書く。それならば、わたしたちは「この道」からの離脱、「終戦」と「復興」を考えなければならないだろう。本書はそのときに「今度こそ何を間違えてはいけないのか」を教えてくれるはずだ。