弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第一回 新型コロナウイルスの猛威の陰で

新型ウイルスの危機に接して、これまで見過ごされがちだった格差・差別の問題が顕在化しています。しわ寄せはまず、力を持たない、犠牲にされやすい人びとの側へと向かっていく――。その背景には「優先して守るべき人」と「守らなくていい人」に分ける、この日本社会の暴力的な構造が潜んでいるのではないでしょうか。非常時の下で踏みにじられていく小さな声を、作家の石井光太さんが現場から伝えます(5月は毎週金曜日更新です)。

はじめに

 二〇二〇年のゴールデンウィークに入って間もなく、私は都内の某病院で新型コロナウイルスの医療取材を行っていた。医療関係者に治療現場の話を聞いていたのである。
 インタビューが終わって携帯電話を見ると、ある六十代の女性から着信履歴が九件もあった。かけてみると、電話口でこう言われた。
「息子が怖くて家から逃げてきました! 住むところがありません! どうしたらいいでしょう!」
 この女性とは、数年前に引きこもりの取材を通して知り合った。彼女には統合失調症などの精神障害を持つ四十歳になる息子がいた。高校生の時に病気を悪化させ、幻聴や強迫観念に悩まされ、断続的におおよそ十五年ほど引きこもって、その間親に対して家庭内暴力をくり返した。
 ただ、ここ数年は比較的心が落ち着いていて、外出することもできるようになり、「就労継続支援A型事業所」という障害者向けの事業所で仕分けの仕事などをして落ち着いていた。仕事というルーティーンを持つことで、心のバランスを保てるようになったのだろう。
 ところが、新型コロナウイルスの拡大によって緊急事態宣言が出された後、この事業所は事業を停止。息子は日常を奪われた上、連日にわたって感染拡大に関するニュースを見続けたことで、精神がかき乱されることになった。
 息子はウイルス感染におののいて家に引きこもり、苛立ちと不安をぶつけるように家庭内暴力をはじめた。母親は去年夫を失っていたため、自分一人では息子を押さえることができない。事業所やかかりつけ医に相談したが、時節がら対応には限界があった。そして私も含めて何かしてくれそうな人に手あたり次第に連絡をしたのである。

 彼女は電話口でこう言った。
「病院も行政も助けてくれません! コロナより、あの子(息子)の方が怖い! 私はホームレスになるしかないんです!」
 ホテルやウィークリーマンションに移るという選択肢だってあるだろう。だが、それが考えつかず、ホームレスになると叫ぶくらい気が動転しているのだ。
 私は電話口で彼女をなだめて言った。
「NPOなど助けを求める先は他にあります。事業所の担当の方の連絡先を教えてください。その方が今どのように動いているかを聞いて、ひとまず息子さんと別々に暮らせる方法を見つけますから」
 私は電話を切って次の対応をしながら、「ここの家もついに壊れたか」と思わずにいられなかった。
 四月に入ってから、私は医療崩壊が叫ばれる医療現場を中心にして様々な取材をくり返してきた。だが同時に、社会の様々なセーフティーネットという防波堤が決壊するように、これまでの仕事で出会った人たちから悲痛な声が届くようになっていたのである。

 その一つが、私がここ数年手掛けてきた虐待現場からの声だった。
 児童相談所の職員らの話によれば、学校が休みになっていることで問題を抱えた家庭への介入がうまくいかなくなっているという。児童相談所は職員の人数に限りがあるため、通常は保育園や学校と連携を取りながら子供たちの見守りを行い、場合によってはそこで一時保護をする。
 たとえば、虐待親は児童相談所を拒絶することが多いため、学校に頼んで子供に怪我がないか確認したり、家庭訪問の様子を聞いたり、給食等による食事のサポートを行う。だが、そこが休みになれば、見守りや支援ができなくなる。
 ある小学校の教師からはこのようなことを言われた。
「うちのクラスに虐待を受けている子がいたんです。幸い学校には来ていたので、スクールカウンセラーや児相などと連携して見守りや家庭訪問をしていました。けど、三月からそれができなくなったばかりか、児相も時短などでなかなか動けていないんです。
 私は心配になって教頭に個別に連絡を取ったり、定期的に家庭訪問をする許可を求めたのですが、『生徒一人だけを特別扱いすれば他の親からクレームがくる』とか『もし家庭訪問のせいで親からコロナになったと言われたらどうするんだ』と言われて認めてもらえなかった。さらに言えば、四月で学年が変わって私のクラスの子じゃなくなったので、『やるなら今の担任がすべきだ』とも言われました。
 何もできずにずっと気にかけていたところ、四月の終わりになって、その子が警察に逃げ込んだという知らせが届きました。案の定、父親からの虐待が原因だったそうです。その子にしてみれば学校へ助けを求めに行くことができなかったので、ギリギリまで耐えて警察に行ったのでしょう」
 この子は小学五年生だったので、自分で逃げることができたが、もし低学年や保育園児などであれば、そうはならなかっただろう。

 また、別の取材で知り合った風俗店で働く女性からも助けを求める声が届いていた。
 現在、風俗店はかならずしもお金を稼げる職業ではない。週五日働いて、手取りが二十万円そこそこなんて子はザラで、常に「新人」を装うために〝出稼ぎ〟といって数カ月おきに全国の風俗店を転々とすることがある。
 こういう女性たちの中には店が所有する寮や待機室に住んでいる子もいる。連絡をしてきた女性も、スーツケースにすべてを詰め込み、新潟から四国まで店を順繰りに回っては、店の寮や待機室のソファーで寝泊まりして働いていた。
 ところが、彼女の働いていた店が休業することになり、次に行く予定だった店も不況で採用を止めた。これによって彼女は仕事と寝場所を同時に失ってしまった。それで助けを求めて電話がかかってきたのだ。私はNPOなどが提供しているホテル等の避難施設を紹介した。
 だが、彼女はこう言った。
「私は人と一緒に何かができないから風俗で働いているのに、そんなところへ行けるわけない!」
 彼女は生まれつき人と付き合うことにひどく大きな恐怖心を感じる性格だった。風俗の仕事で性的なサービスを機械的に黙々とやるだけならともかく、普通の人に自分のことを話したり、簡単な挨拶も含めて人付き合いしたりすることができないのだ。
 彼女はこうもつづけていた。
「直営業(個人売春)で稼ごうかと思ってお客さんに連絡しても、弱みを握られて二千円とか吹っかけられたり、ただでやらせろみたいに言われたりする。本当に嫌!」
 彼女はそう言うだけ言って電話を切ってしまった。それ以降、五回ほど連絡をしてみたが、一度も応じることはない。家のない子なので、夜の街を漂流していることだけは確かだ。

 新型コロナウイルスの拡大は医療現場だけでなく、人々の生活を大きく変えてしまった。
 日常生活を奪い取られた時、なんとかギリギリのところでバランスを保っている人々はあっという間に窮地に追い込まれる。生活、精神、肉体が音を立てて崩れ、わずか数日と持たずに奈落の底へ落ちていってしまうのだ。
 これまで私は取材活動を通じて、社会的に弱い立場に置かれている人々のことを描いてきた。引きこもりの家庭にせよ、虐待家庭にせよ、アンダーグラウンドの世界にせよ、そこで生きる一人ひとりの人生を描くことで、社会に理解を広げていくことで、何かを変えていければと思っていた。
 だが、新型コロナウイルスによる社会の変化は、その時間的余裕を消し去ってしまった。社会が彼らのことを理解してセーフティーネットを堅固にしていく前に、彼らは明日をも知れぬ状況に陥ってしまっているのだ。
 ここには、一刻の猶予も残されていない。
 冒頭の女性から電話を受け、これまでにあった様々な連絡も踏まえて、そのことを強く思った。本連載は、こうした人々の窮状を追うことで、私たちの社会の足元で起きているうねりを示すものである。

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■取材依頼募集
新型コロナウイルスによる窮状を多面的にルポする予定です。
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連絡先:石井光太(いしい・こうた)
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