問いつめられたおじさんの答え

第4回 家族って、なんですか?

 家族ねえ。「家族」って「恋愛」と並ぶぐらいの安定の価値観だからね。映画でも漫画でもドラマでも小説でも、「家族」をテーマにしたものならいくらでもあるし。それにくらべたらスタレたのは「友情」じゃないかね。誰も最近「友情」なんて言わないし、もっとひどい扱いされてるのは、たぶん「正義」でしょう。今やネットで「正義」とか語ったら、炎上する確率は相当高いね。
 「家族」を言うなら、「結婚」から話をはじめないといけないと思うんだけど、人って結局、「家族」に生まれて「家族」で終わるのが基本というか、スタンダードな価値観でしょ。最近は、結婚する3組のうち1組は離婚するそうだし、出生率も最低になって、少子化にも歯止めがかからないし、安定の価値観だったはずの「家族」が壊れて来てるというか、「結婚」しない人も増えてるしね。

 今、コロナウイルスで大騒ぎだけど、そのちょっと前から細胞というか、細菌というか、その辺の本ばっかり読んでたんですね。で、まぁ、眉唾かもしれないけど、生物というのはひとつの細胞から始まったという説があって、そのたったひとつの細胞から、ゾウリムシになったり、イソギンチャクになったり、植物になったり、魚になって、動物になって、人間になったというわけ。つまり、もとはと言えば、あらゆる生物は、一個の細胞からはじまった万世一系の家族なのかもしれない。これが「家族」の起源と言ってもいいんだけど、あまりにも雄大な家系図なんで、実感が全然わかないね。
 その最初の細胞に名前つけた人がいてね、たしかLUCAとか言ったかな。みんなLUCAの子孫なのに、ケンカするわ、殺しあうわ、戦争するし、原爆まで落とすし、今はコロナで大騒ぎしてる。

 ま、そういう生物としての起源はともかく、なぜ「家族」という形態が生まれたかだけど、これはたぶん、原始時代に子どもが生まれると、その親が自分の所有物にしたところから始まったんじゃないかね。つまり、自分が作った子どもだから、自分のものである。それで家来というか、奴隷にしてしまおうというわけ。これは誰かが言ったとか、物の本に書いてあったとかでもなくて、あくまでも65年生きてきたおじさんの独断です。余談だけど、女性差別も「家族」から始まったのは間違いない思うよ。
 そう言うと、「家族」って人権無視の温床みたいだけど、近代あたりまではそういう時代が続いてたんだからね。とりあえず、家の手伝いをやらせるために子どもをたくさん作って、泣いたり逆らったりしたら殴る蹴るするし、飢えたり貧乏になれば、売り飛ばすし捨てたりする。これが「家族」の黒歴史なんで、そりゃあ今でもいろいろ問題があるのは当たり前。
 キミだって、この世に生まれてきたときに、自分の親を見て、「なんでこれが自分の親なの」とか思わなかったかな。おじさんは思ったんだね。そのうえ貧乏だったし、ボロ家だったし、思春期になると「家族」って鬱陶しいだけだったし。

 じゃあ、「家族」なんてものはいらないのかというと、そこがむずかしい。「家族」以外の世間全般の人はみんないい人かというと、そんなことはないです。オレオレ詐欺とか、パワハラとかセクハラとか、ブラック企業とか、そんなんばっかりでしょ。
 おじさんが17歳のときに、東京に就職することになって、出発の日にバス停で見送りしてくれたのは、オフクロだけだったんだけど、そのとき、自分の味方は「家族」だけだって、よくわかったんだね。まぁ、ほかにも「友だち」という味方もあるかもしれないし、「恋人」という味方だっているかもしれないけど。
 今の若い人って、子どもの頃から自分の家になんでもあって、就職してアパート借りて独立しても、結局、家にいたときにくらべたら、生活レベルが落ちちゃうでしょ。クルマだってないだろうし、洗濯してくれる人も、飯作ってくれる人もいない。ウチの娘なんか、家にいればゲーム機なんか全部揃ってるし、Netflixから、ネコちゃんから、WiFiだってある。まぁ、WiFiはいいけど。

 「家族」にないものというと、やはり「恋愛」だよね。「恋愛」して「結婚」すると、自前の「家族」が欲しくなっちゃう。欲しくなるというより、目の前に現れた次のステップみたいなものだけど。
 「家族」に、生物学的な欲求があるのかというと、ないでしょ。子育てしない動物なんていくらでもいるし。生殖行為というか、セックスだったら、生物学的な欲求もあるだろうけど、「家族」はあくまで文化でしかない。おじさんの知り合いで、自分の子どもが生まれたときに、「これで自分の遺伝子を残せた」とか言った人がいてね。その人の奥さんといっしょに「ふつうそんなこと考えないだろ」とツッコんでやったけど。

 ただ、おじさんに子どもが生まれたときは、心霊現象じゃないけど、変なことがあったんだね。これは、ほかのエッセイなんかにも書いたことなんで、アレだけど、新生児室から出てきた自分の子どもとはじめて対面したとき、自分の腰のあたりに、強い衝撃を感じた。それこそ、貨物列車が連結する時みたいな「ガシャン」という衝撃。鎖が繋がったというか、ロックされたというか、思わず後ろを振り向いてしまったぐらいの感触だったんで、自分では今でも気のせいだとは思っていないんだよね。だけど、「あのときが、太古から連綿と続いてきた人類の連鎖の中に繋がれた瞬間だったのだろう」とか考えると、自分でも信じる気が失せちゃうけど。あぁ、なんかまた無駄話が多くなってきた。
 では、おじさんは「家族」が欲しくて、子どもを作ったのかと言うと、そうじゃないわけね。子どもが欲しかったというか、自分の子どもをこの目で見てみたかった。
 誰でもある時期、自分の結婚のことを考えたりするでしょ。自分の子どもに思いを馳せるときもあるだろうし、男であれ、女であれ、どういう顔してるのかな、と想像したことないかな。おじさんはあるんですよ。そのうえ、子どもの顔を絵に描いてみたりした。誰と結婚するかも決まってないのに、自分の子どもの予想をしたわけね。
 そのときに描いた絵はもう残ってないけど、そのあとも何度か自分の子どもの顔というものを、落書き程度に描いた記憶がある。絵を描いてしまうと、人は忘れないんですよ。まるで「名前をつける」みたいなもので、そうすると、そこに存在してまう。それで、私の頭の中に存在してしまった「自分の子ども」は、いつしか、ネッシーとか、雪男とか、ツチノコのような、伝説の生き物になってしまっていたわけだ。
 あっ、そうか。それが自分の子どもとはじめて対面した時の衝撃の正体かもしれないね。それで「ガシャン」と。なにが「ガシャン」なのかわかんないけど、生まれたばかりの赤ちゃんて「北の湖」みたいな顔してるんだね。想像してた「自分の子ども」とはえらいちがうというか、それが「ガシャン」という衝撃だったのかな。いやいや、ただのギャグになっちゃってるけど。

 自分の「家族」のことを言うと、ウチは、父親、母親、長男、次男、私、そしてばあちゃんの6人家族で、何畳とも言えないような半端な広さの二間で暮らしてた。息子3人はみんな母親似で、誰もオヤジに似ていない。だからなのか、オヤジになついてる兄弟はいなかったね。まぁ、父親なんてどこでもそんなもんだったけど。兄弟3人の中で言えば、末っ子のおじさんが一番かわいがられたかな。本人は迷惑だったけどね。
 まぁ、オヤジってマジメに働いてなかったわけです。ウチは床屋だったけど、晩飯食うと毎日どこかへ行っちゃうし、みんな寝静まった夜中に帰ってきて、朝はいつまでも寝てる。オフクロが起こすと、さらにフテ寝するか、怒鳴りはじめるしで、虫の居所が悪いときは、オフクロを突き飛ばしたり、蹴ったりしてた。なにが気に入らないのか知らないけど、一日中不機嫌顔の人だったしね。
 日曜日は、オヤジを起こすのは私の役目だったんだけど、これがイヤだった。父親らしいことはなにもしなかったし、顔も似てなかったら、自分の父親という実感がなくて、足かけ20年ぐらいいっしょに住んでたどこかのオッサンみたいな感じ。自分の父親にえらい冷たいな、と思うかもしれないけど、「家族」ってなにかというと、血が繋がってることが第一条件だよね。だけど、オヤジの血とかDNAとか感じたことなかったしね。
 それで私が29歳になったとき、オヤジが亡くなるわけだけど、夜中に連絡受けて、次の日に田舎に帰ると、もう通夜の準備はできていて、オヤジは長々と布団の中に横たわっている。顔を覆う布をとると、いつもの不機嫌顔じゃなくて、呆けたぐらいにゆるんだ顔をしていた。それを見たら、いきなり涙がボロボロこぼれて来てね。これは意外というかびっくりした。まさか自分が泣くとは思ってなかったし、オフクロが死んだときだって、泣かなかったんだけどね。

 言ってはなんだけど、私のオヤジは、ちゃんとした「家族」を作れなかった人ですよ。じゃあおじさんは、ちゃんとした「家族」を作れているのかというと、自分のオヤジのようではない父親を目指してはいたような気がする。でも、それがやれているかというと、やれてないです。仕事ばっかりしてて、世間と人の悪口ばっかり言うし、「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」をちゃんと言えないし、飯を食ったら自分の部屋に行ってしまって、寝るときまで降りて来ないオヤジです。
 だけど、結婚する人って、みんな原始時代からはじまっているトライ&エラーというか、更新につぐ更新の歴史が「家族」の中にはあると思うんだね。みんなまだ、いい「家族」を作るのをあきらめていないというか。いや、最近はあきらめはじめたのかもしれないけど。