弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第二回 命綱を失った障害者家庭

障害者と就労崩壊(1)

五月中旬、築五十年以上経つ団地の2DKで、七十代の母親と四十代の息子が栄養失調に近い状態で発見された。最初に姿を見つけたのは障害者グループホームの職員。緊急事態宣言の陰で、親子ふたりはなぜ孤立に追い込まれていったのか――。障害者本人の陰に隠れ、その家族の抱える問題が取り上げられることはほとんどありません。コロナ禍において当事者だけではなく家族も孤立しないような状況を作っていくには、どういった支援が必要なのでしょうか。「就労支援」の視点から迫ります。

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 築五十年以上経ったその団地の壁は汚れてペンキがはがれ、いくつもの亀裂がむき出しになっていた。
 五月初旬、この団地の三階の2DKで、七十代の母親と四十代の息子が栄養失調に近い状態で見つかった。
 母親は数年前に脳梗塞を患って体が不自由であり、息子には精神疾患があった。発見された時、それぞれわずか一カ月強で外見が変わるくらいやつれていたという。
 新型コロナウイルスの渦が日本を巻き込んでいる最中、この親子に何があったのだろうか。

 小学生の頃、高野宗義はどこにでもいるような子供だった。おとなしめの性格だったが、野球チームでレギュラーとしてプレイするような活発な面も見られたし、成績もそれなりに良かった。
 ところが、中学生で親が離婚した頃から、人柄が一変した。人を避けるようになり、潔癖症になって一日で百回以上手を洗ったり、ドアノブを磨きつづけたりするようにもなった。野球も辞めてしまった。
 宗義は高校を一年で中退した後は、アルバイトをしたものの、どれも長くはつづかなかった。短くて数日、もって一カ月、最長で四カ月で辞めてしまう。最初はがんばろうと意気込むのだが、すぐに行かなくなって引きこもる。
 母親は小さな建設関係の会社の事務をしていて、なんとか二人でやっていけるくらいの苦しい暮らしぶりだった。だが、宗義がこういう性格になったのは自分が離婚をしたせいだと考え、仕事や生活のことについては何も言わずに好きにさせていた。

 宗義がはっきりとおかしな行動に出たのは、三十歳くらいの時だった。ある日、宗義は耳をサランラップで巻いて外に出て、大きな奇声を上げつづけた。近所の人が驚いて通報し、警察が駆けつける騒ぎになった。
 母親は心配して宗義を病院へ連れて行った。そこで宗義が言うには、以前から幻聴が聞こえており、ついにそれが耐えきれないほど大きくなったらしい。医師は次のように告げた。
「統合失調症ですね。それと気分障害もあるようです」
 長い間、宗義が社会に適応できなかったのも、これらのせいである可能性が高いという。
 宗義は医療とつながったことで症状を抑えられるようになり、生活も格段に改善することができるようになった。三十代の半ばからは就労継続支援A型で清掃関係の仕事をスタートさせた。一カ月の給料は七万円ほど。給料が手に入ると、数日ともたずに洋服や靴に費やしてしまったが、精神面は見違えるほど安定し、仕事もつづいた。
 母親が脳梗塞になったのは、そんなある日のことだった。体の一部に麻痺が残ったことから仕事を辞めて年金暮らしをすることになった。宗義の浪費癖は相変わらずだったが、年金を上手にやりくりすれば生活は何とかなるはずだった。

 そんな中で、新型コロナウイルスの感染拡大が起きた。
 三月に入って間もなく、宗義の勤めていた事業所が休業の決定を下した。クライアントの施設が営業自粛を決めたことから、自動的に業務も停止することになったのだ。
 宗義は毎日、狭い団地に母親と二人きりですごしているうちに不安を膨らませはじめた。まず潔癖症が再発し、家の中が新型コロナウイルスに汚染されているのではないかと気にして一日中家の掃除をするようになった。冷蔵庫の中からトイレのタンクまで何度も磨きつづけた。
 さらに、メディアがスーパーや薬局で買い溜めが起きていると報じたことで、宗義は生活必需品がなくなると焦燥感を抱き、近所の店を回って家の清掃に必要な洗剤や布巾を買い漁った。手持ちのお金は、もともとの浪費癖からすぐに底をついた。
 宗義は母親に言った。
「お母さんの年金は僕の方で管理する! これからは年金も減るかもしれない。だから節約でいくから!」
 母親の方も脳梗塞の後遺症で外出の機会も減り、知人との連絡もほとんど途絶えて外の様子を把握できていなかった。お金の管理がずさんだとわかってはいたが、息子に言いくるめられる形で、「特別な状況なら仕方ない」と考えて銀行の通帳を渡した。
 宗義は母親が貯めていたお金を手にすると、今度は県外の店まで回ってトイレットペーパー、うがい薬、サランラップ、ごみ袋といった日用品から、なぜか来年の冬のための防寒具までをも買い漁った。もともと食に関心がなかったからか、缶詰などを除けば食べ物はほとんど購入しなかった。