オトナノオンナ

第4回 くちなし

おとなびた幼稚園児がいる、少女のような老婆がいる……。さまざまな年代の女性の仕事、生活、恋愛、を丁寧に追いながらそれぞれの「オトナノオンナ」を描く、一話読み切り小説。 

 ……本日は、お招きいただきまして、ありがとうございます。茉莉絵さん、大杉さん、ご結婚おめでとうございます。素敵なおふたりの門出に立ちあえて、とてもうれしいです。ジューン・ブライドとなられた茉莉絵さんの同期として、ひとことお祝い申し上げます。
 ええと、それからなんだっけ。
 ストッキングをはきながら、会社で印刷してきた紙を見る。検索した祝辞文例に、新郎新婦の名まえをあてはめて、できちゃった。大杉くんが料理はフレンチといっていたから、朝ごはんは抜きにした。十一時半に出れば余裕だけど、この雨で地下鉄が遅れるかもしれない。十分、早く出ることにする。休みの日にストッキングをはくほど、いやなことはない。
 おとといから降るとはわかっていたけど、ひどい降りになった。乾杯の音頭をとる部長は、雨降って地かたまるで行けるなといっていた。こんなに降ったら、かたまるどころか、この世のはじまりみたいな泥沼になってしまうんじゃないかしら。会場までは、長靴で行ったほうがいいくらい。荷物が増えて、なおさら億劫になる。
 大杉、茉莉絵になるのか。そして、あの子が宴会の段取りするのは、今日が最初で最後と気づく。
 館野茉莉絵とは、入社以来十年間、おなじ総務部にいた。あちらは、取引先の重役の娘で、縁故入社。こっちは公務員試験を落ちて、あまたの採用試験を落ちて、ようやくひっかかった。うちの会社はまだまだ男社会で、女子社員は結婚か妊娠で辞めてしまう。勤続十年、残っている同期は茉莉絵だけ。姫と乳母。陰でそういわれていると知っている。
 この十年で、東京のお嬢さんって、すごいものと思い知った。心の赴くままの遅刻欠勤。ネイルサロンの翌日は、パソコンをうたない。不機嫌になったり、涙ぐんだり、お天気よりもめまぐるしい。それでも、歴代の部長は、ひとことも注意できなかった。男性は、上から下まで、茉莉絵がちょっとでも眉をひそめると、びくびくしていた。茉莉絵には、ひとをかしずかせる、持って生れたお嬢の凄味がある。
 そのしわ寄せは、もちろんみんな同僚に来たし、もとから頭数に入れずにおくほうが気が楽になっていった。先輩後輩が足早に退社していったのは、理不尽がまかりとおる職場が、ばかばかしかったからかもしれない。
 マリエさまとは、つきあえないから。ぴっちり線をひいてつきあっていたあのひとたちは、結婚を、通行手形みたいにしてどこかにいなくなった。線引きのしわ寄せも、けっきょくおひとよしのところに来た。
 ……ゆみちゃんは優しいし、ほかのいなかの子たちみたいにがつがつしてないし、なんかおばあちゃんみたいで安心する。うちのおばあちゃん、ゆみえだったし。
 そんなふうにくっつかれたら、怒る気もうせてしまった。じっさいは、いなかの子より、東京の子である姫のほうが、よっぽどがつがつ街にくりだしていた。
 アフタヌーン・ティーのお店、カラーコーディネート講座、早朝のヨガから深夜のパーティまで。真夏なのに、秋冬ものの展示会。週末ごとにいろいろ誘われたけど、いちども一緒にいかなかった。今月ちょっと厳しくて、ごめんなさい。嘘はいちどもいっていない。
 お給料をもらって、全額お小遣いにできる茉莉絵には、おなじ金額の三分の一は家賃、三分の一は貯金、のこりの三分の一でやりくりする生活するなんて、想像もつかなかったと思う。真夏にコートを注文するおんなと、寒くなって、さらに年があけてからようやく、まえのシーズンのコートを買ってるおんながいっしょに働いていることじたいが奇妙なこと。断るのもくたびれて、父が足の骨折をしたのをきっかけに、親の世話があるから週末はだめと宣言したけれど。
 くっついてくるかと思えば、一日じゅう無視してくることもしょっちゅうだった。
 ……ねえ、きのうまつ毛パーマしたんだけど。
 帰りぎわに、とがった声でいわれたときは、だめな彼氏になった気がして、声も出せずにうなだれた。
 そういわれてもさあ、そんなこといったってさあ。そればっかりの十年だった。
 ついに解放されるんだよ。茉莉絵の結婚が決まったときは、おもわず高校からの親友のさよちゃんを呼び出して、乾杯したくらいだった。
 ……ゆみちゃんの、マリエ様ネタもついに終わりかあ。でも、あんがい、ちょっとさみしくなるかもしれないね。
 さよちゃんも、この夏に結婚式を控えている。元彼の話なんかしたりちょっとマリッジ・ブルーみたいだったけど、式とか、引越しとか、忙しそうで嬉しそうだった。きょうのスピーチは、八月の度胸だめしと思ってやればいい。
 紺のワンピースを着る。母の形見の真珠のネックレスをつける。ピアスは、バーゲンで買ったジルコニア。
 ……それにしても、こんなに首尾よく運ぶとは。
 コーヒーを飲みほし、流しに立つ。
 そういえば、茉莉絵の口癖、あれから聞いてない。

 おめでとうとか、ありがとうとか、うらやましいわ、きいてないわよ。そういうのが、ぜんぶまとめて、ずるぅい、になっちゃう。
 結婚がきまった報告はもちろん、温泉みやげのお饅頭を配ってもいわれる。はたにいても耳障りだなあと思ったのだから、いわれた当人はさぞ不愉快だった。
 くちをとんがらせて、ほっぺたをふくらませて。うちのとなりの幼稚園児だってあんな顔はしない。こんなに負けずぎらいだと、幸せは遠いなあとかわいそうになった。
 女子が辞めるにつれ、うんざりは増した。お昼休みにお弁当を開いても、お使いでそとに出ても、帰省したといえば、新幹線に乗ったんでしょう、ずるぅい。
 不思議なことにずるぅい、ずるぅいといいつつも、茉莉絵は婚活にぜんぜん積極的ではなかった。合コンの話もきいたことがない。お見合いしろとかいわれないのと聞いても、いなかの子みたいに、がつがつするのはいや。首をふるばかりだった。
 長い爪して髪巻いても、さすがに三十をすぎればきびしい。でも、となりで仲よしみたいに思われるのは、もっときびしかった。仕事はまだしも、お守りの手当てが出るわけじゃないんだから。
 さよちゃんに会うたび、ぐちも増した。
 うちの学校にも、一学年にひとりはそういう姫タイプがいるけど、たいてい三年間で痛いめみて、だんだん目立ちすぎないように、空気の読み方を覚えるもんだけどねえ。
 さよちゃんは、中学の先生らしく、なぐさめてくれた。そういう子の成長は、写真を見るとわかるんだよ。さいしょは集合写真のまんなかにいる。二年、三年と、だんだんとはじにうしろにいくの。教えてくれたのも、さよちゃんだった。でも、茉莉絵はずっと最前列のまんなかでにっこりしていた。
 痛い目って、どういうふうにあうの。
 うーん、効くのは恋愛じゃない、やっぱり。

 大杉浩伸は、月に二回、うちの会社にコピー機のメンテナンスに来ている。三歳年下の大杉くんは、もっさりした風貌に似あわず、作業の手際がいい。笑うとプーさんみたいで、ちょっとかわいい。気さくで、親切。見るからにもてそうでないところも、安心に見える、けれど。
 けっこう浮名流してるらしいよ。先輩にきいていた。ギャンブル好きで、借金あるみたいなこと聞きましたよ。酔っぱらったリーダーが、部長にいっていたのもきいた。
 あのひとで、いいじゃない。そう思った。
 作業を終えて帰るころ、おつかれさまとお茶を出してみた。
 ……大杉さん、こんど飲みにいきましょうよ。
 ……えー、ずるぅい。ふたりで行く気でしょう。ゆみちゃん、いつもまっすぐ帰るじゃない。
 じゃあ、舘野さんも、三人でどうですか。大杉は、まったく邪気なく誘った。
 会社の近くの中華、あっちの会社近くのスペインバル、カラオケボックス。あいだをあけないよう、会えばつぎの約束をしつづけた。大杉は、料理をとりわけたり、注文したり、聞き役に徹したり、うちの部の宴会コースをだらーっとつついてる子たちにくらべて、場数を踏んでいて、らくちんだった。
 茉莉絵は、大杉も世田谷育ちとわかると、ふたりにしかわからない話題ばかりをいった。
 そうなんだー、共通点多いねえ、うらやましいなあ。そういいつつあたまのなかでは、ズルクナイズルクナイとくりかえしていた。
 念をいれてそんな飲み会をふた月もつづけて、飲み会の約束の日の午後、仮病を使って早退した。
 悪いけど、ふたりでお願い。茉莉絵に頼むと、あんのじょう、そんなずるぅい、きょうはやめたーいといったけれど、目はとってもうれしそう。それじゃ、どっちに文句をいってるのかわからないわよ。吹き出すのをこらえて、たまにはいいじゃないともうひと押し。大杉さんは、茉莉絵に会いたいんだからさ。じゃあねと逃げた。
 ふしぎなもので、仮病をつかった翌朝から、ほんとうに高熱が出た。猛烈な咳も出て、病院にいくと肺炎といわれて、一週間休んだ。嘘をついたばちだけど、ばちがあたっても、悔いはなかった。ようやくおさまり、会社に出る。よくなったとも、大丈夫ともいわず、いきなりいわれた。
 ……大杉さんと、つきあうことにしたの。
 勝ちましたという顔でいわれた。それもあんまり予想どおりで、思わずほろりとしそうになって、息を吸った。もう、お世話はいたしません。胸はまだすこしぜいぜいするけど、とどめを刺しておかなきゃと思った。
 ……なにそれー、ずるぅい。

 それから半年、茉莉絵から話しかけてくることはなかった。お昼もべつ、まわりからは、ようやく親離れ、お疲れさんとねぎらわれた。結婚の報告も、部長が月あたまの朝礼でいうまで、なんにも知らなかった。祝辞の依頼は、大杉から頼まれた。唯一の女子の同僚からお祝いのことばがないのは、外聞が悪い。茉莉絵の親御さんに頼めといわれたと悪びれずにいった。
 三月末日、茉莉絵の送別会は、年度末の忙しさとかさなって、欠席が多かった。いままででいちばん地味だったかもしれない。大杉も、申し訳なさそうに同席していた。
 花束は、部長に渡してもらった。まばらな拍手がやむと、茉莉絵は挨拶をした。
 ……父の仕事のご縁でこの会社に入り、立場はわかっていましたが、入ってみて、自分が予想よりはるかにひとより無能だとわかりました。でも、わたしは、おとなになって、ひとつだけ、目標がありました。それは、こころから好きなひとと結ばれることでした。両親には感謝していますが、ふたりはけんかばっかりで、それがとても悲しかったから。この会社に入って、ゆみちゃんと同期になって、ゆみちゃんが、大杉さんに会わせてくれました。わたしは、ゆみちゃんにだけは、きらわれたくありませんでした。でも……。ゆみちゃん、ごめんなさい。いままでありがとう。
 ハンカチで目をおさえながら、頭をさげた。みんながいっせいに、気の毒なひとを見る目でふりむいた。
 べつに、ぜんぜん、そんなつもりじゃ。両手を振って口ごもると、大杉も立った。
 ……茉莉絵さんほど、こころのきれいな女性はいないんです。それがわかって、守ってあげれるのは、僕だけだと思いました。できれば篠崎さんにも、わかってほしいんです。
 大杉は、それまでの世なれた柔らかさが拭われちゃっていた。この男、真剣になっちゃってる。口をあけて見るうち、ほんとうのことは、なんだかよくわからない拍手に消された。

 レインコートに長靴、傘をひろげる。ショートカットはこういうときに便利でいい。結ったり盛ったりしなくていい。
 わがままで、気分やで、どうにも仕事ができない茉莉絵は、いまごろ六月の花嫁になって、堂々と歩いている。十時からの式は、人前結婚で、出席者が署名をして結婚を認める。
 披露宴だけ出席します。そんな卑屈な返事をしたから、みんなますますふられたと思ってるんだろうなあ。ひとのうわさなんて、気にしないけど、さきざきを思うとうっとうしい。豪華なかき氷みたいなドレスなんですよと、大杉が笑っていた。みんなあっけにとられているんだろうなあ。
 地下鉄に乗っているあいだ、子どものころに読んだ絵本の、いろんなお姫さまを思い出した。お姫さまっていうのは、どんなにわがままでも、うそをいったり、ひとを陥れたりしない。つらい目にあっても、だれかが助けてくれて、お姫さまの願いはかなう。さいしょからさいごまで、まんなかにいるひとって、ほんとうにいるもんなんだ。
 地下鉄はやっぱり遅れて、日比谷に着くと披露宴の十五分まえだった。公園をつっきっていったほうが早い。
 雨の日も、噴水は景気よくあがっている。空から池から、水しぶきをかぶった。
 交差点のななめさきに、会場のホテルがある。門を出ようとしたとき、甘く濃く、呼びとめられた。くちなしだった。
 辛みのまざった香りを、立ちどまってすいこむ。つややかな葉っぱ、あどけない、無垢な花びら。たくさんの、純白のつぼみ。
 一輪だけ、咲くまえに朽ちかけていた。
 シンデレラの、いじわるなお姉さんたちって、こんな気もちだったかもしれないな。くちなしは、甘いけど、ちょっとぴりっとする。
 ……ずるぅい。
 茶いろの花を握りつぶすと、砕けた。雨にぬれ、ぜんぶ手のひらに貼りつく。

 

 

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