宿題の認知科学

18-10+5の答えと、迷子になった選手の愛犬の謎

言語学者・広瀬友紀さんの新連載です! 小学生の息子の宿題や答案をとりあげて、「あるある」から「斜め上」の間違いまで、認知科学の知見から迫っていきます。第1回は、「国語と算数が、意外なところでつながる」というお話。

 ここにあげた日本語表現も、三つの要素のうちどの二つを先にまとめるか、という点で解釈が二つ生じているわけです。「(迷子になったサッカー選手)の愛犬」なのか、「迷子になった(サッカー選手の愛犬)」というぐあいに、カッコでくくって違いを表せるところがさきほどの計算問題と共通していますね。

 言語学ではこうしたフレーズや文構造はよく枝分かれ図で示されますが、ここでは、左側の二つを先にまとめたほうを「左枝分かれ構造」、右側の二つを先にまとめたほうを「右枝別れ構造」とわかりやすく区別することができます。

 

この新聞記事を書いた人は右枝分かれ構造を意図していたが、読者である私は左枝分かれ構造の解釈を当てはめたということになります。

 このように、ある単語の並びに、複数の構造が当てはまるがゆえに解釈も二通り生じうる、という場合を構造的曖昧性といいます。

 心理言語学・文処理の研究においては、このようなときに人間はどちらの解釈を優先させる傾向があるかということにとても関心が持たれます。こうした例が、人間にとってはどちらの構造を選ぶほうが認知的なコストがより低いのか、ということを教えてくれるはずですし、そのことによって、じゃあ人間が文を処理するときはどういう計算方法でどういう情報をどう使ってそれを行っているのかという、目に見えない問題の答えに迫ることができるだろうと期待されているのです。

 とはいえ、その「傾向」というのも、多分に「場合による」もので、白か黒か常にハッキリわかるものではありません。私は「迷子になったサッカー選手の愛犬」と聞いてつい左枝分かれ構造で解釈したわけですが(「選手が迷子になったんか〜い」的解釈)、これは日本語の語順でこれらを左から右に順番に読む以上、自然な順序での解釈だといえるでしょう。

 一方、「迷子になった」という意味内容で連想しやすいものは、サッカー選手と犬とどっち?というような、一般常識、もしくは巷である語とある語が係り受けの関係を伴って一緒に登場する確率とか、そういう情報の優先度が高ければここでは右枝分かれ解釈が採用されて当然かもしれません。

 なのに、より常識的にありえなさそうな方を選んだ私は何なんだろう……。

 そういえば我が子、だいぶ前に宿題でこんな例文を作っていました。

 「80メートルの赤ちゃんの絵をかく」

 常識をもってしても解釈できない枝分かれ構造曖昧性。この親にしてこの子あり、か。

 

 さて、さきほどの算数の計算問題の話にもどります。 

 三つの要素からなる足し算引き算のどの二つを先にまとめるか、もまさに枝分かれ図で示すことができます。ほおっておいたら解釈が二通り生じてしまうため、教科書では「左から順番に」と指示していますが、これはつまり、「枝分かれ構造が一義的に決まらない場合は左枝分かれ構造をあてはめなさい、だって出てくる順番にまとめるのが素直でしょう?」ということですね。そりゃあ、言葉だって数式だって左から右に処理しますからね。

 
 (18 - 10) + 5 =13 (正解)
 18 - (10 + 5) = 3 (不正解)

 (11- 5) - 4 = 2 (正解)
 11 - (5 - 4) = 10 (不正解)

 そうすると、うちの息子はそれにわざわざ右枝分かれ構造をあてはめて計算(そして不正解)していたことになります。これはどういうことだろう。数字の羅列の構造解釈を左右するような一般常識や意味的な相性なども、数字相手だと普通は関係ないだろうと思うんですが……。

 まあそこはたんに、「簡単そうなほうからやった」(18-10より10+5のほうが足し算だから簡単。そして同じ引き算同士なら11-5より5-4のほうが簡単)ってことなんでしょうねえ。

 ……わかりやすい認知科学だなあ。