加納 Aマッソ

第28回 M字

 舞台の上手袖にぺちゃんと座り込んで、幕と幕の間から他のコンビの漫才を見ている。劇場にもよるが、たいていは客席側から数えて二枚目と三枚目の幕の間が一番ネタを見るのに適している。その反面、そこはセンターマイクの前に立っている演者がだいたい二歩下がった位置の同一線上になるので、角度的に上手側に立つ芸人の表情は見ることはできない。体格差や身長差があるコンビだとまれにどちらの顔も見えないこともある。だから、表情の変化で笑いを取るほうが下手側に立つコンビが何組か続くと、今日はツイているなと思う。舞台から漏れる明かりを頼るしかない不自由な状況の中、私のすぐ横でスタッフさんが、次のコンビがコントで使う小道具の長机を広げている。たぶん邪魔だと思っているだろうな、というのがチラっと頭をかすめるけど、「邪魔だ」という言葉や舌打ちが聞こえるまでは、私は腰をあげないだろうと思う。なぜなら、弛緩しているから。自分の出番が終わった芸人の筋肉はこれでもかというほど弛緩する。ガヤガヤとした空間に身を置き、先ほど味わった緊張を急速にたるませているのは、スーパー銭湯で温度高めのサウナに入った後、休憩スペースで友達とアイスを食べている時間に似ている。自分の出番前は、立ったままそわそわと舞台を覗くに過ぎないのに、出番が成功に終わってしまえばそこは大衆娯楽施設、許されるならコーヒー牛乳を持ち込みたいとさえ思う。そこが上手であればなお良い。青より赤のほうが好きなのと同じように、ただ本能的に上手が好きだ。
 筋肉の弛みはもちろん私の専売特許などではなく、向こう側の下手袖を見ると、ある芸人がこれまた出番を終えて、弛緩している。上のジャケットは楽屋に置いてきたのだろう、ワイシャツ姿で少しネクタイを緩ませ、体育座りの姿勢から大きく股をM字に開いている。彼はたぶん青のほうが好きなんだろうなと、余計なことをぼんやり考える。彼は何年も前から、気がつくと下手側にいた。しかしコーヒー牛乳を欲している様子はなかった。首から下の肉体的なくつろぎとは対照的に、視覚と聴覚に全神経を集中させているような表情をしていた。彼の同期でライバルとされるコンビの時でも、デビューまもない一年目の後輩の時でもそれは変わらなかった。私と彼は、あまり同じタイミングでは笑わなかったが、一つのネタの中でそのズレの回数が多ければ多いほど、隠れた魅力があるネタとして記憶に残った。この世界では、勉強熱心であることや、同じ分野から吸収することはしばしば揶揄される対象であるし、それは真っ当な意見であることをわかりながらも、私は彼が出番後の弛緩した肉体を落ち着ける場所をここに選んだことに、芸人のどうしようもない性を感じてしまう。
 コロナ禍による外出自粛期間が長引き、数カ月前まで当たり前のように人前に立っていたのが信じられないくらい、肉体も精神も、自宅の中では緩み放題になってしまった。しかしこれは本物のくつろぎではないことを知っている。生きている実感がするあのステージと同様、今は上手袖が、彼のM字が、とにかく恋しい。

関連書籍

こちらあみ子

芸人芸人芸人 (COSMIC MOOK)

コスミック出版

1019.0

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入