弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第五回 みえない児童虐待の現場で

緊急事態宣言が発令された4月、子どもの異変に周囲が気付きにくくなってしまうことから、虐待の潜在化を心配する声があがっていました。家族が狭い空間で顔を突き合わせることで虐待リスクが高まっているだけでなく、臨時休校によって学校などが虐待を発見する場が減ってしまうからです。今回は虐待対応の最前線である児童相談所を取材しました。

  第五回 虐待現場(1)

 江戸川区児童相談所「はあとポート」が開所したのは、まさに日本が新型コロナウイルスの渦に飲み込まれようとしている二〇二〇年四月一日だった。
 これまでは東京都が都内の児童相談所をまとめて所管していた。本年度からは、支援から介入まで迅速に進めるため、二十三区(練馬区は除く)に順次それぞれの児童相談所を設置することになった。児童相談所は家庭支援センターとともに一つにまとめられ、区の指示系統によって地域に根差した虐待防止や家庭支援事業を行うことになったのだ。江戸川区児童相談所は、世田谷区や荒川区とともに他に先駆けてオープンしたのである。
 江戸川区児童相談所では、児童福祉司や児童心理士など総勢百五十名ほどの人員で対応に当たっている。新型コロナウイルスの感染拡大によって、虐待対応の最前線でどういう状況が起きているのか。
 同所の上坂かおりは現状を次のように述べる。
「うちの児童相談所には、四月の一カ月でおおよそ百五十件の相談がありました。うち、四十件が警察からの通報です。案件としては、一般的な虐待の他、面前DV(親が子供の前で配偶者に暴力をふるう)、親子ゲンカなどですね。コロナの影響でいえば、家で常に親子が顔を突き合わせている状況がつづくことで虐待やDVが起こりやすい状況になっています」
 虐待予防には、まず親子間の距離をとることが重要だ。子供が学校へ行っていたり、親が仕事に出ていたりする間は、暴力が起こることはない。だが、緊急事態宣言によって、家族が常に狭い空間で共に過ごすことで虐待リスクが高まってしまうのだ。
 虐待が起こる切っ掛けは様々だ。以前からつづいている親の暴力がエスカレートするだけでなく、家で子供がいつまでもゲームを止めなかったり、学校から与えられた課題を親が指導することになったりしたことで、「しつけ」「指導」という名の虐待が行われることになる。
 具体的な例を示そう。三十代の女性のケースである。

 山内静美は、ギャンブル依存症の両親のもとで生まれ育った。不動産屋を経営する父親は、競馬場、競艇場、パチンコ店、さらには愛人の家に入り浸って帰ってこず、母親もパチンコ店に通い詰めてストレスを発散させていた。
 こうした家庭環境もあって静美は中学時代から道を踏み外し、高校も数カ月で中退。地元のスナックやキャバクラで働き、十八歳の時に解体業に就く九歳上の男と結婚した。彼女は二人の娘と一人の息子を出産したが、夫はアルコール依存症でまともに働かないばかりか、日に日に家庭内暴力をエスカレートさせていった。
 静美が三人の子供を連れて家を出たのは二十代の終わりだった。ある日、肋骨を三本折られるDVを受け、このままでは殺されると自治体に助けを求めたのだ。彼女は三年ほど母子生活支援施設に入所した後、生活保護を受給して公営団地で暮らしはじめた。
 母子だけでの生活をはじめて間もなく、静美は育児困難に陥った。母子生活支援施設から出て支援者を失った彼女は、発達障害の次女と長男の面倒が見られず、たちまち生活が破綻していった。
 静美はそんな現実から目をそらすように子育てを放棄して夜遊びをくり返しているうちに、お金欲しさにキャバクラで働くようになった。生活保護を受けていたものの、役所には内緒で働いて、給料は丸々遊び代にしていたのだ。
 毎日彼女が家を出るのは夕方だった。繁華街でショッピングをして、勤め先のキャバクラへ行き、仕事が終わった後は友達や恋人と朝まで遊ぶ。午前七時過ぎに帰ってきてからは、子供たちを保育園や学校へ行かせてから眠りにつき、起きるのは昼過ぎ。家にいない夕方以降は、小学生の長女が二人の面倒を見ていた。
 緊急事態宣言が出された四月、こうした生活が突如として変わった。キャバクラが休業に追い込まれて静美は仕事を失い、保育園や学校が休みになった三人の子供と二十四時間一緒にいなければならなくなった。
 静美は丸一日子供たちが騒いでいる声を聞いてストレスを溜め込んだ。普段向き合っていないので接し方がわからず、バイトの収入もなくなったので気軽に飲みに出歩くこともできない。
 やがて静美は苛立ちを募らせ、子供たちに手を上げるようになった。下の子供二人を言いなりにさせようと暴力を振るい、長女にも「なんで二人を静かにできないのだ」と激しく叱咤した。
 毎日朝から晩まで子供の泣き声や親の怒鳴り声が響いていれば、当然団地の他の住人からも厳しい目が向けられるようになる。四月の後半、ついに住人の一人が児童相談所に通報。虐待が明るみに出ることになった。

 緊急事態宣言が出て以降、様々なメディアが外出自粛によって、DVや虐待が増加していると報じてきた。ただ、家族が一緒にいる時間が増えるのに比例して虐待が増加したと考えるのは早計だ。
 今回紹介した家族を見てほしい。
 静美の家は以前から「育児放棄」という問題を抱えていた。母親が夜にアルバイトする間、責任感のある長女が下の二人の面倒を見ていたことで、なんとか子供たちへの暴力が抑えられていたのだ。しかし、休校や休業によってその生活スタイルが崩れたことで、母親が普段以上に子供たちと接することになり、それが身体的虐待の切っ掛けをつくったといえるだろう。
 そうしてみると、この家庭の場合は、新型コロナウイルスのせいで虐待が起きたのではなく、これまで見えなかった育児放棄が身体的虐待という形に変化して表出してきたと捉えることができる。
 児童相談所のような機関からすれば、見えないところで何年も育児放棄がつづくより、今のうちに家庭の問題を発見して介入できたことは、長い目で見て良かったと考えることもできるかもしれない。そういう意味では、社会の変化によって見えにくかった暴力が顕在化することで、早期発見ができるようになったという側面もあるのではないか。
 ただし、休校や休業によって、逆に虐待が発見しにくくなるケースもあるという。在宅や時短勤務によって児童相談所の業務が狭まってしまったり、教育機関との連携ができなくなったりするためだ。
 次回はその点について見ていきたい。

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