PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

思い出
出るもの拒まず・2

PR誌「ちくま」6月号より福永信さんのエッセイを掲載します。

 さて、これはいつの収録かな、と、ロケをメインにしたバラエティ番組を見ながら感じ入る。外出自粛の続く今日この頃、テレビの中に行列が映し出されるとテロップで取材日が出る。安堵感と同時に「もうこの風景はない」と私は思う。いつものバラエティ番組で、いつものタレント達が、おバカなことをいつものようにやっていても「無理してる」とつい思ってしまう。タレントの間を透明のシールドが区切り唾を飛ばすのを防ぐ。再放送、総集編が続く。ただ楽しいだけの、アホらしくも幸福な時間は、もう思い出の中にしかなくなった。しかしテレビは常にある。テレビは消えない。なんでも飲み込む、ある意味野蛮な、それがテレビの生命力の強さである。
 他方、映画館、劇場、美術館は一気にその存在感を、失ってしまった印象がある。全国展開している緊急事態宣言で休館が続いているからだ。「その場に集まる」ことが重要な要素であるこれらのジャンルは、徹底的なダメージを受けている。前号で書いた私が助言と構成などを担当した「絵本原画ニャー!」展も実質三日間の開催で一時中止となった。再開できればいいのだがこの原稿の執筆時(五月八日)はまだ臨時休館中。まあ三日間でも開館できたからよかったが、よその美術館の状況を見ると一度もオープンできないままの展覧会も多くあり、心が痛む。美術館は「空っぽ」ではない。そのことを証明するために、YouTubeやSNSで動画を配信したり、ワークショップのネタをダウンロードできるようにしたり、カタログの文章をHPで公開したり、あの手この手でアイデアを出している美術館の姿がウェブ上にある。劇場、映画館にも同様の動きがある。京都の映画館出町座の「出町座未来券」のアイデアをウェブで見た時、とても感動したものだった。未来で待ってるよ、というのだから。確かにその通りだ。美術館や劇場、映画館の観客はその「場所」へと、無駄足込みでせっせと足を運ぶ者であり、能動的でなければ、存在し得ぬはずだからだ。
 小説の、この夏以降の出方も気になるところだ。登場人物達は二メートル離れてしゃべっているだろうかとか、外に出てるけどマスクしてるかな、そのマスク、どうやって手に入れたのかな、とか、消毒液は、とか。下手に「消毒液は」的な描写を入れるとパロディになるし、何も気にせずだったら疫病のない世界を書いていることになってしまう。SF界の出番なのかもしれないが、喫茶店に立ち寄ってウェイトレスに語りかけたりといった黒井千次的世界はもう思い出になってしまったのか。作家も読者も、編集者も、難しい船出を今、強いられている。
 ところで、私が楽しみにしていた今年最大のスポーツバラエティ番組は東京オリンピックだったのだが来年に持ち越しになった。しかしながらこのCOVID-19の現状を見るとその雲行きは怪しい。再放送、総集編という手もあるが、やはり、ここは、未来へ向けて一歩を踏み出すべきだ。現政権の面々、およびJOCの関係者で、各競技をやったらどうか。国籍をフレキシブルに変えて、アマチュア精神にたちかえり、全力を出すその姿は、視聴者の感動を誘うはずだ。一生の思い出としてぜひ見たい。がんばってください。

PR誌「ちくま」6月号

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