ポラリスが降り注ぐ夜

マイノリティのリアルを誠実に書くということ

新型コロナウイルス禍の影響を受けて中止となった3月6日、日本橋・誠品書店での李琴峰さんと村田沙耶香さんの『ポラリスが降り注ぐ夜』刊行記念対談。場所をオンラインに移し、「こういうひとが真摯に描かれている小説をずっと読みたかった」と言う村田さんの『ポラリス』感想から、「どれも突拍子もないアイデアが秀逸」という李さんの村田作品への賛辞、そしてお互いの書法からマイノリティへの思いまで、たっぷりお話しいただきました!

■言語の中に入っていって魅力を引き出す

―― 村田さんは李さんの文体について感じることはありますか。
村田 美しいだけじゃなく、描写がいつも過不足なく的確ですごいなと思います。ひまわり学生運動の現場を書いたシーンでも、そこの匂いや暑さが伝わってきて、まるでその空間にいるような気持ちになりました、本当に優れた描写力だと思います。描写力はわたしに欠けているものなので憧れます。
 有難うございます。たぶん自分が日本語の外から入ってきているのもあって、自分に見えている実在の世界を書くことを考えたときにそういう描写の仕方になるんだと思います。また、『ポラリス』については、台湾やシドニー、そして新宿二丁目にしても、日本人の一般的な読者が知らないであろう世界を書いているので、よりしっかり描写しないとという意識はありました。
村田 人物描写にしても簡潔なのに、人物像が鮮やかに浮かぶんですよね。
 人物については、まず頭の中にぼんやりとしたイメージを浮かべて、とにかく写真をいっぱい見てそれに合った人物像を探します。村田さんは、書く前にノートにそのキャラクターの絵を描くんですよね。
村田 そうなんです。絵はうまくないんですけど、だいたい一人につき三枚くらいの絵を描いて、それを元にして書いていく感じです。初期の頃は、写真を選んで書くこともしていました。いま、お話をうかがっていて、やっぱり写真で書いたほうがいいのかもと思いました(笑)。
 自分で絵が描けるのはうらやましいですけどね。
村田 壊滅的に下手なのではずかしいんですが……。
―― 『コンビニ人間』の白羽さんは、書いていくうちにどんどんキャラクターが変わっていって、後で最初に描いた似顔絵を描き直したというエピソードがありましたよね。そんな風に、李さんも書いていくなかで人物像が変わっていったことはありましたか。
 人物の外見についてはほぼないですね。書いていくうちに物語の進む方向が変わることはありますけど。
村田 『ポラリス』では十人書く予定が七人になった以外の構想の変更はありましたか。
 大きな変更はそれぐらいですが、そもそも初めに考えていたのは、各話の主人公が二丁目を訪れてなにかが起こるというぼんやりしたものだったので、いざ書き始めてみると思いがけない方向に膨らむということはありました。特に「深い縦穴」がそうで、香凛がゆーと別れて新宿駅に向かう途中で、人生相談のお兄さん(このお兄さんは実在しています)と会って会話を交わすという大枠は考えていましたけど、書き始める前は香凛の恋人がどういうひとで、どういう経歴なのかは考えていませんでしたし、お兄さんとの会話が実際どうなって、どういう結末に至るかというのも書きながら浮かんできたものです。
村田 最初にかっちり設定を作って書くよりは、書きながらどんどん進めていくタイプなんですね。
 書きながらいろいろ決めていくんですけど、だいたい半分くらい書くと、終わり方が見えてくるのはあります。「深い縦穴」自体は書いてみて初めてああいうかたちになりましたけど、その時点で全体は最終的に二丁目の歴史をめぐる話を、最年少の登場人物によって締めるイメージはあって、実際そのようになりました。
村田 小説を書くときにいきなり書き始めますか? ノートを取ったり、メモ的なものを作ったりしますか?
 なにか思いついたら、スマホでメモしたりはしています。
村田 わたしはノートに似顔絵とか地図とか片っ端から描いていく感じです。メモを取るときは、日本語で書かれるのでしょうか。
 だいたい日本語です。日本語で小説を書いているのでメモも日本語なんですが、時々パッと対応する日本語が出ないときは中国語を使います。
村田 わたしは日本語でしか書けないし、日本語さえおぼつかないところがあるくらいなので、母国語でない言葉で小説を書くのはそれだけですごいと思ってしまうのですが、日本語で書くことの楽しさってありますか。というのは、最近、海外の文学フェスティバルなどに呼ばれて行ったり、海外の翻訳家さんとお話すると、日本語って不思議な言葉だな、と改めて思うんです。虫の声のオノマトペが異常に多いとか主語が省略されたり、あといろんな形が混ざっていて、見た目も面白いなあと、視覚的な感覚が特に強いのではないかと、いろいろな言語の自分の本のページを捲りながら考えることがあります。主語も、「僕」「ぼく」「私」「あたし」、とどんどん出てきて使い分けられていて。海外の翻訳者さんから、このセリフは誰が喋っているのかという問い合わせをもらうのですが、自分でもわからなかったりします(笑)。
 日本語は変な言語かもしれないですけど、でも、どの言語もそれぞれの特殊性やそれでしか言えない魅力があるものだと思います。中国語で書くときも日本語で書くときも、双方の言語に入っていって、それぞれの特性を活かし、魅力を引き出すことをしていると思います。
 日本語は中国語と比較すると、一音一音が軽いという特性があります。中国語だと一音は一つの漢字であり、必ず意味を持ってしまうんですけど、日本語では一音は一つの仮名文字で必ずしも意味を持つものではない。その軽い一音が集まって文章になると、流れるような文章ができやすい。
 それとひらがな、カタカナ、漢字の三つの文字種があるのが大きな特徴で、軽い雰囲気を出すのにはひらがなで、無機質な雰囲気を出すにはカタカナで、という使い分けは中国語ではできないんですね。村田さんの「街を食べる」の最後は全部ひらがなになりますが、ああいうことは中国語ではできません(笑)。
村田 言語の中に入っていくというのは素敵な表現ですね。私もいつか、他の国の言語の中に入ってみたいです。それはずっと憧れていることです。
 

2020年6月5日更新

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李 琴峰(り ことみ)

李 琴峰

1989年生まれ。中国語を第一言語としながら、15歳より日本語を学習。また、その頃から中国語で小説創作を試みる。2013年、台湾大学卒業後に来日。15年に早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程を修了。17年、「独舞」にて第60回群像新人文学賞優秀作を受賞しデビュー(『独り舞』と改題し18年に刊行)。20年に刊行した『ポラリスが降り注ぐ夜』で第71回芸術選奨新人賞(文学部門)を受賞。21年、「彼岸花が咲く島」で第165回芥川賞を受賞。その他の作品に『五つ数えれば三日月が』『星月夜』『生を祝う』などがある。

村田 沙耶香(むらた さやか)

村田 沙耶香

1979年千葉県生まれ。2003年「授乳」で群像新人賞優秀作を受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞を、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞を受賞。2016年「コンビニ人間」で芥川龍之介賞を受賞。2019年、劇作家の松井周と共同で原案を作った『変半身(かわりみ)』の小説版を刊行。その他の作品に『タダイマトビラ』、『殺人出産』、『消滅世界』、『地球星人』、『丸の内魔法少女ミラクリーナ』などがある。