弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第八回 虐待から逃げて

児童養護施設は主に虐待を受けた子どもを保護し、安定した生活を送れるように支えていく場所です。今回、石井さんが取材したある施設の子どもたちのあいだでは、緊急事態宣言下の5月末にかけて、リストカットなどの自傷行為が頻発したといいます。感染拡大による外出自粛によって、子供たちにとっての大切な命綱が一本また一本と絶たれています。

  第八回 児童養護施設(1)

※本稿では、施設名を含めた固有名詞は、プライバシーに配慮して仮名にしています。

 ある児童養護施設の施設長の言葉である。
「三月末から五月にかけて、うちの施設に暮らす子供たちの間で『リストカット』や『過呼吸』が、複数名に連続して合計三回も起きました。リストカットばかりでなく、過呼吸も、様々な不安から一人にその兆候が出ると周りの子たちにも広まる傾向にあります。死にたいというより、ストレスから自分のことを構ってほしいと思ってやることの方が多い。施設内ではごくまれにそうした出来事が起きることがありますが、これだけ頻繁に起きたのは初めてですし、異常な事態です。コロナの拡大に伴う生活の変化がこの状態を引き起こしたのでしょう」
 こう語るのは、「美丘学園」の安藤均だ。
 児童養護施設は、主に虐待を受けた子供たちを受け入れ、生活を支えている施設だ。そこで今、何が起きているのだろうか。

 まず、児童養護施設の社会的な役割について簡単に確認しておきたい。
 児童養護施設は、グループホーム(六名まで)から大舎制(二十名以上)まで様々な形態があり、おおむね二歳から十八歳くらいまでの子供たちを預かっている。子供たちはここで寝泊まりしながら、地元の学校へ通うことになる。
 子供たちの大半は虐待によって保護された子供たちだ。親族や近隣住民などから虐待の通報を受けると、児童相談所が家庭訪問をし、親が虐待していることを認めて引き離す必要があると判断すれば、子供を保護して一時保護所に移す。
 子供を一時保護所で預かっている間、児相は虐待した親との面談や各種調整を行う。親が病気等で育児能力を失っていたり、暴力があまりに著しく生命の危険があったりする場合は、長期滞在を目的とした児童養護施設へ子供を移すことになる(他に里親へ預けることもある)。
 児童養護施設に連れてこられた子供たちは、職員たちのサポートを受けながらそこで暮らし、転校して近所の学校に通う。学習塾などの習い事も、一定の範囲内で認められている。しばらくして家庭環境が改善され、親の元へ帰すことが可能だと認められれば、子供は実家にもどることができる。だが、そうでない子は、最長で二十歳まで施設で生活した後に、自立しなければならない。
 今回紹介する美丘学園は、大舎制の施設で、おおよそ三十名ほどの子供が暮らしている。四歳から十七歳までの男女だ。
 冒頭の安藤によれば、もともと子供たちは劣悪な環境で育ったことが原因で、精神面の弱い子が多いという。安藤の言葉である。
「虐待を受けた子供は、様々なトラウマを背負っているので、それがいろんなところで生きづらさとして表れてきてしまうんです。学校へ行っても人とつながれず不登校や別室登校になってしまう。小学校の高学年や中学生になってもオネショをしてしまう。女の子ならば、摂食障害を発症したり、自傷行為をしたりする子もいます。彼らの一部は、児童精神科に通って薬を飲んでいます」
 全員ではないが、虐待を受けて育った子供は、心に深い傷を負っており、様々なことに脆弱になりがちだといわれている。
 親からの暴力が脳を萎縮させ、その機能に少なからぬダメージを与えることは科学的にも証明されている。PTSDはもちろんのこと、たとえば扁桃体(好き嫌いなどの「情動」をつかさどる)にダメージを受けることで感情の抑制がきかなくなって暴れたり、他人と適切なコミュニケーションが取れなくなってしまうことが起こる。そのほか、脳梁(右脳と左脳をつないで情報を処理する)や、前帯状回(自律神経をつかさどる)にダメージを受けても、様々な問題が生じることがある。

 一つ例を出そう。
 小学三年生の男の子は、精神疾患のある母親から、八歳まで育児放棄されていた。保育園には通わず、小学校さえほとんど行っていなかった。家に閉じこもり、話す相手もおらず、ひたすらテレビの前ですごしていた。そのため、保護された後も、話をするどころか、人の目を見ることさえできず、日常生活において箸のつかい方、靴紐の結び方、うがいの仕方さえわからなかった。
 施設に来てからは、職員に一から教えられて、少しずつできることを増やしていった。だが、心の傷は治らず、ストレスからゴミを食べたり、爪がなくなるまで齧ったり、少し意にそぐわないことを言われるだけでパニックになって暴れた。当然、学校へ行ってもクラスメイトと仲良くすることができず、別室登校を余儀なくされた。
 このように、虐待を受けた子供は、施設に来た時点で大きなハンディーキャップを抱える傾向にある。ここまでではなくても、施設に住んでいるということで周りから差別されたり、実家に帰れる見通しが立たなかったりすれば、精神的なストレスは計り知れない。子供たちは、極めて不安定な状態でなんとか生活しているというのが現実なのだ。
 安藤は言う。
「子供たちに精神的な問題があれば、病院で診てもらえばいいと言われることがあります。たしかにお医者さんに薬を処方してもらって、眠れるようになったり、パニックが減ったりすることはありますよ。でも、激しい症状を抑えているだけであって、子供たちが抱えている問題や成育環境が改善したわけじゃないんです。
 子供たちに必要なのは、社会の中で安定した生活を営むことです。別室登校でいいから教師とつながる。勉強についていけなくても部活動に生きがいを見出す。同じ趣味を持つ同級生たちと話をする。高校生なら、バイトを通して店長や上司に認めてもらう。そういう機会があるからこそ、子供たちは心を病まずに済むわけですし、一歩一歩前に進んでいくことができるんです。日常をどう整えていくかということが非常に重要なんです」


 新型コロナウイルスによる社会的な変化は、子供たちが過ごしてきた環境を大きく変えた。学校生活が奪われ、外遊びやアルバイトができなくなり、親との面会が中止になり、家庭復帰への道筋が途絶えてしまった。子供たちにとってはいくつかある大切な命綱が一本また一本と絶たれたようなものだった。
 安藤の言葉である。
「三月以降、うちの施設で子供たちの自傷行為などが頻発したのは、そうした環境の変化が大きくかかわっていると考えています。学校の休校の問題について語られる時、授業や受験のことばかりが議論になっていますが、より弱い立場の子にとってはそれ以前のところでいろんな問題が起きているのです」
 新型コロナウイルスの感染拡大は、施設内の生活をも大きく変えた。次回以降は、それについて見ていきたい。

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