ちくま新書

香港――国ではない「国」

6月刊のちくま新書『香港と日本』の「はじめに」を公開いたします。2019年からデモがつづき、現在大きく揺れ動いている香港。「はじめに」では、香港という「国」について話します。

 香港とは何か。なぜ多くの香港人は自分のことを「中国人ではない」と言い切るのか。2014年の雨傘運動、さらに2019年のデモの原因は何であろうか。

 それらの問題に対し、香港ではもちろん、日本を含めて世界各地の新聞記事、評論、専門書はすでに豊富な情報と分析を提供してきた。しかし香港は依然として、読み解くには難解な物語に違いない。たとえば2019年のデモを、「民主化デモ」と呼ぶ人がいるが、デモの口火は、香港の司法の独立性を侵害する「逃亡犯条例」改正案への反対であったし、デモの長期化の原因のひとつは警察の暴力であった。

 香港の民主化は確かに重要で、まさに中国中央政府が警戒しているものであろう。しかし、仮に「民主化」のために命を犠牲にするとしても、なぜ1997年の主権譲渡以前のイギリス領だった時代、特に1980、90年代を懐かしく思う人がいるのだろうか。もしも中国大陸で明日から国際水準に合致した民主主義を行い、偏りのない三権分立を実行するなら、香港と中国大陸との境界を取り消し、独立した行政、立法、司法、社会と文化制度を排除してもいい、と香港人は思うのだろうか。

 一字で香港を表すならば、それは「国」である。むろん、英領時代にせよ、中華人民共和国の特別行政区時代にせよ、香港は主権国家ではない。しかし、戦後から徐々に形成されてきた、都市国家のような主体性を有する「香港」と、その主体性を1997年7月1日に継承した「香港特別行政区」は、「国」のような存在なのである。本書ではそれを「準都市国家」と称する。

 また、「国」という字を「主権国家」の意味から解放し、「準都市国家」およびこの字が古くから持っている「故郷」「都市」「地方」という意味(注) で香港に応用すると、「香港」という難解な物語はより明晰に解きほぐされていく。1950年代、中国大陸と香港の間の越境はそれ以前より制限され、香港の辺境禁区(香港と中国の国境領域に設立された住民以外の立入禁止の区域)も設立された。同時に、香港では人口登録が体系化され、特に70年代にインフラ、住民福祉、汚職対策が整い、制度に基づく主体の形成とともに、市民の香港への帰属意識も徐々に現れ始めた。

 80年代に将来の中国への主権譲渡に直面した多くの香港人は不安になり、移民した人も少なくなかった。その一方で香港に残った多くの人々は、自分のことを「中国人」「中国の香港人」だと思い、繁栄、安定、自由を享受していたため、立ち上がり抵抗する動機もなかった。そして、そのような状況では、中国により50年間は約束されている「一国二制度」を信じるしかない香港人が多かっただろう。

 97年の中国への主権譲渡後、2000年代に入り、香港ではいろいろな問題があったが、2008年の北京オリンピックの時は香港人の「中国人アイデンティティ」が高揚していた。しかし2010年代に入り、中華人民共和国からの「同化」を実感するようになると、過去に当たり前であったような自由、法の支配、公正への追求、自らの言語、教育、生活文化などを、自分たちが失っていることに直面した。人々は「国」の危機に気づいたのだ。

「同化」は「亡国」の危機であり、立ち上がって抵抗するのは「救国」である。そのために死ねば「殉国」とみなす。自らの土地に忠誠を尽くし自己犠牲をしても守りに行く志の集まりは「国魂」と呼ぶ。

 改めて強調するが、以上の「国」とは、「主権国家」の意味ではなく、中華人民共和国香港特別行政区という「都市」「地域」、多くの香港人の「故郷」、あるいは「一国二制度」の下の「準都市国家」を指す。

 本書は「独立」などの政治的な主張をするつもりはなく、中国大陸を敵視する意図もない。論じたいのは「国」という字が、香港を理解するために不可欠なキーワードである、ということだ。「国」を念頭に置くと、香港と中国大陸との葛藤、および香港アイデンティティの形成を理解しやすくなり、社会運動が簡単に消えていかない力の源も、より可視化できるのである。

 本書の第Ⅰ部は、まさに「国」を念頭に置きながら、筆者自らの記憶と考察を踏まえて書いた文章である。香港の主体性と香港人の香港アイデンティティを構成した制度、言語、記憶、およびそれに対する同化政策を論じてから、2019年のデモにおける恐怖、憤怒、決裂などを語る。第3章の最後は、デモの「小辞典」をまとめた。これを通じて、デモ支持者の心境と香港の庶民文化の一端を感じてもらえればと思う。

 第Ⅱ部では、香港人のアイデンティティ、つまり中国民族意識と香港主体意識と「日本」との関係を論証する。「日本」というように括弧をつけた理由は、論じるのは国としての日本というより、むしろ香港人に想起されたり、語られたりする、記憶としての「日本」、および表象文化における「日本」であるからだ。簡単に言うと、香港人のアイデンティティの変化に関連しながら、日本の大衆文化がどのように受容されてきたのか、その受容がどれほど自由であるのか、ということを述べたい。さらに、香港の映画、文学、SNS、怪談で、中国民族意識、もしくは香港主体意識が現れる際に「日本」がどのように描かれるのかも考察する。なお、戦争の記憶と香港人のアイデンティティとの関係、および「日本」の登場を分析している第6章・第7章は論文をもとにしており他の章より少し堅く感じられるかもしれない。

 このように第Ⅱ部では、香港のアイデンティティ問題の新角度、および過去の大日本帝国と現在の日本のソフトパワーの潜在的役割を指摘している。日本の読者の皆さんが香港に対する理解、および日本に対する認識に新たな刺激を得ていただければ幸いである。

(注)『新明解国語辞典』など日本の国語辞典では、一般に「国」の一つの意味として「故郷」「郷里」を記載している。また「都市」については、たとえば『孟子・離婁下』で、「遍國中無與立談者」(國中を遍くすれども與に立談する者無し)の中の「國」(国)は、「城」「都市」を意味する。「地方」あるいは「地域」の例を挙げれば、唐の詩人である王維の詩『相思』の「紅豆生南國」(紅豆 南國に生じ)の中の「國」(国)とは、「地方」「地域」を意味する。