ワイルドサイドをほっつき歩け

号泣しながら書いた人間の多面性

『ワイルドサイドをほっつき歩け』刊行記念対談

ブレイディみかこさんのエッセイ集『ワイルドサイドをほっつき歩け』刊行記念として、西加奈子さんと対談していただきました(2020年5月26日ビデオ通話にて)。 『ワイルドサイド~』に出てくるおっさんたちの話から、西さんの『おまじない』の「おじさん」にも話は及び、最後はコロナ渦のイギリス・ブライトンとバンクーバーの状況の話にも! 

 

悩んでいる時に鮮やかに呼び止めてくれる感じがある

西:今そちらは何時ですか?

ブレイディ:今23時。

西:こっちは15時です。飲んでくださいね。

ブレイディ:いえいえ(笑)。まだ水です。

西:感想言っていいですか? もう、本当にしびれて。むちゃくちゃ信じられると思いました。今まさに、自分が感じていたことを改めて考えさせてもらえました。これは『新潮』で連載しているエッセイにも書いたのですが、例えば私がバンクーバーに来て英語を学んでいるのも英米コンプレックスがあって。

ブレイディ:ああ、やっぱりそれ、ありますもんね。私もそうだった。

西:もちろんこのコンプレックスは私個人のもので、しっかり考えないといけませんが、同時に英米や欧米の文化に「憧れさせられてきた」、とも言えると思うんです。彼らが率先してやってきたもの、特に私は文化に、そして文化が発信している「正しさ」に対して眩しさを感じさせられてきたなと思います。それもあって、特に昨今、アメリカとかイギリスの文学フェスに参加させていただくことがあったり、リベラルな方たちの正しさを自分なりに勉強していると、やはり眩しさと勇気をもらいつつ、どこかで……。

ブレイディ:違和感が?

西:自分に対しての違和感です。この眩しさはなんだろう、この達成感と、この「彼らと共にありたい」という気持ちは、誰に対してなんだろう? 

 例えば、私はすっごいプロレス好きで。でも、なんか、「プロレス好き」って言いにくいなと自分自身で思ってしまう瞬間があったんです。プロレスは素晴らしいのに、本当に勇気をもらってきたのに、例えばそのマッチョさやミソジニスティックなところばかりを気にしてしまって。もちろん全てのプロレスがそうではないのは大前提ですが。とにかく「フェミニストでありたいのに、これって矛盾してるやん」って。その違和感をなかったことにしたくないと思っている時に、この本を読みました。例えばミソジニスティックだったり、乱暴な瞬間がある人の、むちゃくちゃ優しい瞬間を目撃した時。自分は極端だから、このままポリティカルコレクトネスをもっときちんと勉強したいとも思ってるんだけど、でも人が間違ったことをしたときに、その間違ったことだけを糾弾して、その人の優しさをなかったことにしそうだなと思ってすごく苦しかったんですよ。そういうときに読んだからもう刺さりまくって。前作(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)のときもそうだったんですけど、むちゃくちゃ泣きました。 

 ブレイディさんの誠実さって、「私、ニュートラルですよ」っていう態度を全く取らないところだと思うんです。ニュートラルであることに揺るぎない自信がある瞬間ってちょっと怖い。だからブレイディさんはちゃんとバイアスも明かしてくれるし、何よりその正直さやユーモアにふれると、読んでる自分の苦しさを肯定してくれるように思う。深刻になる寸前に、鮮やかなやり方で、後ろから「おーい! 分かるよ!」って止めてくれる感じがありました。

ブレイディ:『ぼくはイエローで〜』に比べたら、結構ふざけてるでしょ、この本の書き方は。コロナ禍前のイギリスのニュースは、過去3年半というものEU離脱一色でした。それで政治的な分断も深まって、リベラルの人たちがめっちゃ素晴らしいリベラルになってしまっていて、他方で経済への目配りはどうなっているのかなと思うときもあったり、「自分が住む場所以外の世界もあることを分かってらっしゃいますか?」と言いたくなるような息苦しさはありました。でも日本もわりとそういうとこあるんじゃないかなと思う。

西:ありますね。

ブレイディ:で、私たちは今、海外に出てると、Twitterとかネットとかでしか状況を見ないから、よけいそれが強く感じられてしまう。EU離脱について笑いを交えて書いたら、ふざけるな、不道徳だって叱られそうな雰囲気がある。私なんか、離脱に投票した人のこと書いてるじゃない? だからある意味では、覚悟して書きました。「どうして離脱派の人間的なところなんか書くんだ」と批判されるかもしれない、と。そういうことを書くのは決心が要るんです。西さんがやってるのは小説だから、人間のそういう部分をまだ書けるじゃないですか。でも私は直接的に政治や社会のことを書くし、新聞で時評も書くし、いちおうノンフィクションの書き手として分類されてきたので、どちらかというと個としての人間よりは、もっと大きいことについて「こういう不正がある!」「社会はこうあるべき」とか書く分野でしょ。それなのに、離脱にうっかり投票しちゃって家族に怒られたおっさんをユーモラスに書いたりしたら、不謹慎だって怒られそうで。でも、正直言って、私もどちらかって言うと今回は明確に人間が書きたかったんですよね。

西:ブレイディさん、ずっと人間を書かれていると思います。だから政治批評の見地からすれば、ブレイディさんは政治の動きそのものよりも、その「動きの中で動いている」人間を書いていて、それは一見小説の仕事のようだけど、でも小説では書けないことを書いておられる。「ブレイディみかこ」って今形容できない、すっごくスペシャルな存在だと思います。

ブレイディ:どちらともつかないからこそ危険な場所なのだろうし、そこは気をつけてやらなきゃいけない部分でもあるという自覚はあります。ときどき忘れますけど(笑)。

ブレイディみかこ氏
西加奈子氏

 

人間の多面性

 

ブレイディ:それで、『文藝 2020年春号』に西さんとエトガル・ケレットとの対談がありましたよね。もう私これ、きまくった。本当にその通りだと、ぶんぶん頷きながら読んだんです。「人間を『敵』とか『悪』とか簡単にラベル分けして箱に入れて、さあみんなで彼を罰しましょう、という風潮を煽っているのはメディアの発信じゃないか、きちんと彼らのラベルを剥がして、箱を開けて、検分して、彼らがどうしてそうするに至ったかを知ろうとすることが大事じゃないか」って西さんが発言してて、ああ! と思ったんです。ノンフィクション界というのは、そのラベル貼りが好きな報道メディアと直結している分野だから、自分の立ち位置も含めて、ほんとうにいろいろ考えた。私、じつは人生の師匠は(元セックス・ピストルズ、現PiLの)ジョン・ライドンで、ファンサイトを運営していたことすらあるんですが(笑)、彼が20年近く前のインタビューで「物事をいちいち箱に入れてラベルを貼って理解しようとするな」と言ったことがあって、以降、座右の銘なんです。だから、西さんが彼と同じたとえを使ったのが印象的だった。まるでライドンみたいに、ラベルを剥がせ、箱から出せって言ってるんだもん。

西:マジすか。本当に嬉しいです。

ブレイディ:あと、ユーモアに関するエトガル・ケレットの発言もよかった。ユーモアは伝えたいことがあるときの橋渡し役とか、恐怖を克服したり、危機の中で自分の尊厳を保つために、車のエアバッグみたいに自然と出てくるって、すごくよくわかる感覚だった。そういえば、今回の本の取材を受けていたとき、若い編集者さんが映画『ジョーカー』を思い出したと言ってくれて驚いたのだけど、たしかに底辺のわびしさは共通するかもしれないけど、最大の違いは、私の本のおっさんたちは陽気に尻を出して踊るところだよね。あの尻たちは、彼らのエアバッグなのかもしれない。

 100%悪魔みたいな人間がいるわけじゃなくて、普通の人間にいろんな顔があるからこそ、人間ってややこしいのに、人間の重厚さとか面倒くさいことを見なくなってると思うことが最近あります。

西:そうですね。この本で書いてらしたけど、「『楽しんだあいつらは許せない』とか『わがまま』とか、モラル的なことを理由に人々が特定のグループをバッシングしだすときは、社会全体に余裕がないときだ」と似ていると思いました。これは、自分もそういうところがあるので、自戒を込めて思うんです。社会全体の余裕というか、自分自身に余裕がないとき、例えば小説の登場人物で、「悪いおっさん」を糾弾してしまうときがあります。散々人間は多面的だと言っておいて、自分も「悪いおっさん」を一括りにしてしまう。しかも、それを書くと、私自身楽なんです。誰にも文句を言われない、と、どこかで思っていないだろうか? でも例えば女性同士のいざこざを書かなければいけないとき、これを書くことで女性のイメージを悪くしたくない、と考えます。そしてそれも「女性」を一括りにしてしまっている。それは小説にも不誠実です。本当に自分の正義に則って覚悟を決めて書いている方はいらして、そういう小説はやはりきちんと人間を書いていると思うんです。

 でもじゃあ今の自分にそれが書けるのか、自分は本当に多面性を認めていると言えるのか、「悪いおっさん」を征伐する話を書いて、自分は気持ちいいけれど、誰かに褒められたくて書いていないか? それって、簡単すぎやしないかと。

ブレイディ:そうそう、簡単。

西:その気持ち良さに、本当に気をつけないといけないと思います。

 

『おまじない』の「燃やす」のおじさん。泣きながら書いたデヴィッド

 

ブレイディ:西さんが『おまじない』の朗読してる動画を見てたんです。

http://www.chikumashobo.co.jp/special/omajinai/#recitation

「燃やす」っていう短編。あれ、私、朗読を聞きながら泣いたんですよ。最後、燃やすでしょ。

西:めっちゃ嬉しい。

ブレイディ:裏のおじさんが出てきて燃やす。なんかもう、こう言ってるだけでも泣ける(笑)。もしかしてこのおっさんが主人公の女の子をああいうひどい目にあわせた本人なのかって思ってたんですよ。そしたら最後に裏のおじさんが女の子の小さなティッシュを誰も燃やしたことのないような丁寧な燃やし方で処分してくれる。ああ、それわかる、そういうエンディングにしてくれてありがとうって。やっぱり私もああいうおじさんが書きたかったから。社会の真ん中にいてバリバリお金を稼いで活躍してるおじさんじゃなくて、裏のおじさんって言われるようなひっそりしたおじさん。うだつが上がらないおじさん。この本に出てくる友人ですけど、もう子どもと一緒に住んでなくって何年かにいっぺんクリスマスカードが送られてくるのだけを楽しみにしているようなおっさん。そういう周縁にいるおっさんに私は弱い(笑)。

西:だってこの『ワイルドサイドをほっつき歩け』はそういうおっさんの宝庫ですよね。

ブレイディ:周りがそういうのばっかりになってるから弱くなってるのかも。ほろっとくるんだよね。若い頃はみんなバカで元気だったけど、人生に哀愁が漂い始めて、みんな決して楽じゃないんですよね。ポリコレ的に言えば、おっさんを悪者にしておけば今は楽なんだけどそこから零れ落ちるものもある。

『おまじない』って、インタビューの動画も見てたら、結局全部、女の子がおっさんに助けられる話?

西:そうなんです。とにかく最初は女の子が女の子だっていうだけでめちゃくちゃしんどいことが本当にたくさんあるから、とにかく女の子を肯定する話を、そしてその女の子が救われる話を書きたかった。女性が女性を救う話は今、たくさん生まれていますよね。

ブレイディ:うん、あるよね。

西:さっきの話とちょっと似ているんだけど、例えば優しいおっさんのその優しさを、自分の中で封印しちゃう時があるんじゃないかなと思って。セクハラジジイは確実にいるし絶対に撲滅すべきですが、「おっさん」の中にも、全く卑しい心なしに女性に「大丈夫か?」って言いたい人もいると思う。ジェフが子どもの顔を拭いてあげるじゃないですか(『ワイルドサイド〜』第4話「2018年のワーキング・クラス・ヒーロー」。連れ子の世話をするジェフの話)。それと同じで、おっさんの優しい瞬間を優しさとして保存しておきたくて書いたんですよね。優しいおっさんも、優しくない女の子もいる。もちろん逆もたくさんいて。

ブレイディ:『おまじない』、めっちゃ読みたくなったもん。女の子がおっさんに救われるとか最高だと思う。だって今そんな話を書く人、あんまりいない。

西:でも改めて思います。本当に楽したらだめだなって。デヴィッド(第5話「ワン・ステップ・ビヨンド」。金持ちのナショナリスト。でもマッドネスなど「スカ」の音楽が好き)のことを読んだときも、ブレイディさんの書き方が、軽く中指立てながら書いてる感じでしたよね。ブレイディさん、デヴィッドの失礼さにちゃんとキレてる(笑)。ゲイでナショナリスト、を書くのは、すごく難しいと思うんですけど、怒りはきちんと表明している。そしてその上で、彼に対する複雑な思いを誠実に文章にされている。

ブレイディ:あの話、実は私、泣きながら書いたんですよね。彼が亡くなってすぐ、ちょうど締め切りの前にパーティーがあって、確かあれ電車の中で書いたんだよな。もう恥ずかしいくらいボロボロ泣きながら書いた。毎年、共通の友人のパーティーで会ってただけなんだけど、何年も何十年も付き合ってるから、私に対しても移民として見下してるっていうのが明らかに分かるし、もうこいつ最低、って呆れるようなことしか言わない。なのになぜか呪いのようにいっつも隣りになる。でも、本気で憎たらしい、大嫌いだったところを書きながら、涙が出てくる。何かしら縁があったわけじゃないですか。もしかして、違うところに違うように生まれて、違うように知り合ってたらすごく仲良くなった人かもしれない。うちの息子の帽子をあげたらそれを捨てずに寝室に置いててくれたっていうのは、どういうことなんだろうって。人間って同じような思想とか考えを持った賛成できる人とばっかり付き合ってるわけじゃないもん。実生活はネットと違ってブロックも環境の最適化もできないから、すっごい嫌な人とたまたま知り合ったり、たまたま気の合わない人と隣りになったりということをしながら、それでも生きていくんだよね。人が生きることの本質って、けっこうそういうところにあるんじゃないかと思います。

西:ブレイディさんが素晴らしいのは、彼が、「NHS(国民保険サービス)なんていらない。医療が無料でなければちゃんと働く人が増えて、国の経済のためにもなります。英国で最も重要なものはゼッタイに王室」って言うのに対して、ショックだ、とか「正しくない!」って書き方じゃなくて、「大逆罪で投獄されたアナキストの評伝を書いているライターが隣に座っていると知っての狼藉か」って書いてて。笑ってしまいました。私がブレイディさんだったら、もっとシリアスになっちゃった気がするんですよね。ブレイディさんはとにかく自分も相手も「にんげんだもの」(笑)って思ってらっしゃるのかなって。それが救われるんですよね。「人間を描く」ってこういうことなのかなって思いました。「性格もめっぽう悪い」と書いてるし(笑)。

ブレイディ:ムカついたってことは書くけど、だからと言って、遮断して切り離せるもんでもないんですよね。人間の偶然の出会いってすごいと思うんですよね。ネットは共鳴する人同士で「いいね」で繋がっていくけど、現実は「いいね」じゃない何かが必要になる。それこそ、それがエンパシーなのかも。文学ってそれを書くためにあるんじゃないかなって思うんですよね。

2020年7月6日更新

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ブレイディ みかこ(ぶれいでぃ みかこ)

ブレイディ みかこ

ライター・コラムニスト。一九六五年福岡市生まれ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、一九九六年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。二〇一七年、『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)で第十六回新潮ドキュメント賞受賞。二〇一八年、同作で第二回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補。二〇一九年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第 七十三回毎日出版文化賞特別賞受賞、第二回 Yahoo! ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞、第七回ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)受賞。 著書は他に、『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』(ちくま文庫)、『アナキズム・イン・ザ・UK』(Pヴァイン)、『ヨーロッパ・コーリング――地べたから のポリティカル・レポート』(岩波書店)、『 THIS IS JAPAN ――英国保育士が見た日本』(新潮文庫)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『労働者階級の反乱――地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書)、『女たちのテロル』(岩波書店)などがある

西 加奈子(にし かなこ)

西 加奈子

1977年、テヘラン生まれ。2004年『あおい』(小学館)でデビューし、05年、『さくら』(小学館、のちに小学館文庫)がベストセラーになる。07年、『通天閣』(筑摩書房、のちにちくま文庫)で織田作之助賞を受賞。他の小説作品に『きいろいゾウ』『しずく』『窓の魚』『炎上する君』『円卓』『漁港の肉子ちゃん』など。

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