弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第十六回 「風俗で働く」というセーフティーネット(1)

風俗で生計を立てる人の中には、失業手当を受けられなかったり、マイナンバーの存在自体を知らなかったりする女性も。雇われの身ではないから不景気になればあっさり打ち切られ、転職しようにも履歴書も埋まらない。業界の貧困化が進むいま、女性たちの不安定な境遇はさらに激しく揺さぶられています。

  第十六回 風俗(3)

 佐川遥香はデリバリーヘルスで働く二十九歳の女性だ。
 愛知県南部にある町の母子家庭で、遥香は生まれ育った。父親は遥香が二歳の時に離婚して出て行ってしまい、まったく記憶にない。物心ついた時から、遥香にとって親は母親一人だった。
 ただ、この母親が問題を抱えていた。彼女は生まれつきのろうあ者であり、コミュニケーションは筆談が主だった。実家ともうまくいっておらず、二十歳くらいの頃からほぼ絶縁状態。離婚も重なったこともあり、新興宗教に入って、その活動にのめり込んでいた。
 母親は毎日夜明け前からお経を唱え、日中は教団施設へ通いつめて会合、布教活動、広報の手伝いなどに励み、家庭を顧みることはほとんどなかった。遥香は物心ついた時から家でひとりぼっちで、たまに顔を合わせたとしても話すのは宗教のことだけだった。子供を愛していなかったというより、まったく関心が向いていなかったのだ。実質的には、ネグレクト状態に置かれていた。
 親から見放されて育った遥香は、他人と関係性を築いてコミュニケーションをとることが苦手だった。自分に自信が持てず、常に何かしでかしてしまうのではないか、嫌われているのではないかという不安に苛まれ、人と向き合うことができなかった。小学校の高学年の頃から不登校がつづくようになり、中学に進学して以降は友達と呼べる人間は一人もできなかった。
 卒業後は中学の先生の勧めで定時制高校へ進学したものの、一学期の途中から休みがちになって休学。それ以降は、実家に暮らしながら援助交際で小遣いを稼ぎ、十八歳になるとデリバリーヘルスで働くようになった。数十分間の、見ず知らずの相手となら関係を持つことはできた。
 遥香は語る。
「風俗なら、普通のバイトみたいにちゃんと話す必要ないし、自分の好きなようにできるから合ってるんです。お客さんって友達でもなければ、仕事の上司とかでもないじゃないですか。会う時間も短いし、話って話もしないし。だからできるんです」
 母親に相手にされない寂しさ、誰ともつながれない不安を売春によって埋めていたのかもしれない。二十歳を過ぎると、愛知を出て、兵庫、大阪を転々としながら風俗店で働いた。
 遥香のそんな人生が変わったのは、二十四歳の時だった。店長の子供を身ごもったことで、中絶手術を受けた。そのショックが影響したのかもしれない、彼女はパニック障害になって、これまでのように週五日、六日のペースで働くことができなくなった。そこで体調のいい時だけソープランドで働いて最低限の生活費をため、それ以外の日は休む生活に切り替えた。一カ月働けば六十万円くらいの稼ぎになったので、二、三カ月は貯金で食べていけた。
 そんな時に、新型コロナウイルスの感染拡大が起きた。四月の初旬に、遥香の勤めていた店も休業に追い込まれ、女性たちは一斉に職を失った。この時点で遥香の貯金は十六万円しかなかった。家賃などの差し引きを含めれば一カ月ほどで無一文になってしまう。ネットニュースを見る限り、様々な支援もあるらしいが、どういうふうに利用していいかわからなかった。
 遥香は語る。
「私、バカだから、ニュースにいろいろ書かれていてもわかんないんです。保険とか、住所とかは全部、愛知の実家になってるけど、お母さんとは五年以上連絡も取ってない。ろうあ者で普通の情報が全然入ってこないから聞いてもわからないと思う。だから誰にも助けてもらえないんです」
 これまで遥香は一度も納税をしたことがないので失業手当を受けられない。おそらく母親の扶養に入ったままだろうし、住民票も愛知県にあるはずだ。マイナンバーに関してはその存在自体知らなかった。
 そんなある日、遥香のもとに一本の連絡が入った。ソープランドの「黒服」と呼ばれる従業員からだった。数人いる黒服の中で「一番怖い人」だった。黒服は言った。
「俺も店をクビになったんだ。遥香ちゃんも金ないだろ。仕事を失くした女の子を集めてデリをやるから一緒に働かないか。寮も用意するぞ」
 遥香は藁にもすがる思いで黒服の元へ行った。
 黒服は2DKの古いアパートを借り、リビングを事務所にして、もう一つの六畳間を「寮」にしていた。寮とは名ばかりで、床にクッションが三つ置かれているだけで、どこからかかき集められた女の子たち五人が、床で雑魚寝する生活だった。遥香は「奴隷部屋だ」と思ったが、他に行先はなかった。
 働いてみて驚いたのが、黒服が行っているのは、許可を得ていない違法な「裏デリ」だった。SNSで客を見つけては家や待ち合わせ場へ派遣するものだ。その条件も業務内容も想像とはまったく違った。
 遥香は語る。
「声を掛けてもらった時、取り分は半々だって聞いていたんです。一万円なら五千円だって。でも、『寮費』とか『積み立て』とか『雑費』とか言われて三割しかもらえなかった。しかも、一回九十分の本番あり。むっちゃ安い値段で売られてたんです。店長がドラッグやってて、女の子にも回すものだから、何人かがそれ目当てで味方についちゃって何も言えない雰囲気があった」
 黒服は店の中で盗難が起こるといけないからと言って、全員の現金から身分証までを一まとめにして管理していた。金と身分証を握ることで逃げられないようにしたのかもしれない。
 二週間ほど働いた頃に、事件が起きた。ラブホテルに客と入ってサービスを終えた後、客から「ブスだから金を払わない」と言われた。違法な営業で、ドライバーの監視もないと知った上で料金を踏み倒そうとしたに違いない。遥香が「払ってください」とすがったところ、顔面や胸を乱打された。
 遥香がなんとかアパートに戻って起きたことを訴えたところ、黒服からこう言われた。
「なんで金を取ってこなかったんだ。回収できなかった分はおまえが支払えよ!」
 あろうことか、客が踏み倒した料金を、遥香に肩代わりさせたのだ。
 顔も腫れ上がって仕事に出られる状態ではない遥香が、ここに留まれば、毎日寮費だけを搾り取られることになる。かといって所持品を奪われているため、逃げようにも逃げられない。警察へ駈け込めば、自分が売春で捕まる。
 遥香は悩んだ末に、かつて働いていたデリバリーヘルスの店長に電話して相談してみることにした。個人経営の小さな店だったが、親切な店長だった。
 店長は電話越しに言った。
「車で迎えに行ってやるから、着の身着のままで逃げ出してこい。うちもお客さんが減って厳しくて寮も解約することになるかもしれないけど、それまでは住めるし、そのあとは店泊(店に泊まり込むこと)をすればいい。仕事も紹介できる範囲で紹介するから。
 そいつらに押さえられている金や所持品については、あとで何とかする。警察へ訴えると脅せば、最低限のものはもどしてくれるか、逃げるかするだろ。どちらにせよ、遥香ちゃんが狙われることはないよ」
 そして店長は四時間車を飛ばして遥香を助けに来てくれた。
 私に遥香を紹介してくれたのは、この店長だった。店長は次のように述べた。
「風俗で働く男って悪いイメージがあるだろ。実際に前科持ちとかも普通にいる。でも、世の中っていうのは社会のルールの中で成り立っているから、日頃は彼らも常識を守って悪いことをしようとしない。悪いことをすれば、社会からはじき出されて自分が食べていけなくなるだけだからね。でも、コロナみたいなことが起きるとそうじゃなくなるんだ。休業や不況でクビになったり、収入が下がったりすれば、途端に本性をむき出しにしてワルさをしようとする。
 一時期、風俗や水商売の人間に対して税金で補償をするななんて意見があったよね。そう言いたくなる人の気持ちはわかるよ。でも、本当にそれをしたら、もっといろんな人間が生きるために好き勝手しはじめて無茶苦茶になっちゃう可能性がある。風俗で働く人たちだって、ある程度のところで生活させてあげなければならないと思うんだ」
 風俗の仕事に対する道徳上の是非は別にしても、それがあることによって保たれている均衡というものがある。それが崩れた時、あぶれてしまった人たちを手助けできるのかというのは、大きな課題だ。
 六月中旬の時点で、遥香はこのデリバリーヘルスで働いている。

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