世の中ラボ

【第123回】感染症文学を読むなら、いましかない

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2020年7月号より転載。

 新型コロナウイルス感染症の拡大による政府の緊急事態宣言は五月二五日、いちおう解除された。とはいえ暮らしが元に戻ったわけではない。そんな中、あえて文学方面に目をやると、新潮文庫のアルベール・カミュ『ペスト』が二月から売れはじめ、四月には一〇〇万部を突破したというニュースが特筆されよう。
 なにしろ人類は感染症とともに歩んできたのだ。パンデミック下の世界を描いた作品は多々あって、古いところではボッカチオ『デカメロン』(一三五三年)が有名だ。一四世紀のフィレンツェで、ペストが蔓延する市中から郊外に逃れた一〇人の男女が、一人一〇話ずつ全一〇〇話の物語を順に語っていくという趣向の作品。巻頭にはフィレンツェのようすも描かれている。
 とはいえ、まずはやっぱり『ペスト』(一九四七年)だろう。コロナ下のいま読むと、はたしてどう感じるのだろうか。

どこから見てもリアリズム
『ペスト』の舞台はフランス植民地だったアルジェリアの都市オラン。主人公は医師のリウーである。〈四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診療室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまずいた〉。
 これがおぞましい日々のはじまりだった。ネズミの死骸はみるみる増え、市中の不安は頂点に達するが、リウーが気にしていたのは正体不明の熱病による死者が増え続けていることだった。
〈医者たちがめいめい二、三件以上の症例を知らないでいた間は、誰も動き出そうと考えるものはなかった。しかし、要するに、誰かが合計を出すことを思いつきさえすればよかったのである。合計は驚倒すべきものであった〉。
 リウーは認めざるを得なくなる。〈まったく、ほとんど信じられないことです。しかし、どうもこれはペストのようですね〉。
〈天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかし、そいつがこっちの頭上に降りかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。しかも、ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった〉。〈それはつまり天災は起りえないと見なすことであった〉し、死者と身近に接したリウーでさえ〈危険は彼にとって、依然、非現実的なものであった〉。
 平時、『ペスト』におけるペストは、なんらかの暗喩、つまり戦争とか独裁とか震災とかテロとかの不条理な事態として受け取られがちだった。しかし、コロナ下のいま読むと、まことにこれはリアリズム小説だとしかいいようがない。
 行政の対応もリアルである。リウーは県庁に連絡し、保健委員会を召集してもらうが、医師会の会長であるリシャールはまともに取り合わず、公式の発表は相変わらず楽観的。その間にも感染者と死者は増え続け、病院は対応に追われ、隔離病棟の病床も不足しはじめた。リウーは思いきって知事に電話をかける。
〈「いまの措置では不十分です」/「私の手もとにも数字が来てますがね」と、知事はいった。「実際憂慮すべき数字です」/「憂慮どころじゃありません。もう明瞭ですよ」〉。
 こうしてようやく市中にペストが宣言され、〈この瞬間から、ペストはわれわれすべての者の事件となった〉。市の門が閉鎖され、やっと〈そのなかでなんとかやっていかねばならぬことに、一同気がついたのである〉。誰とも会えず、一切の交通は遮断され、手紙が病毒の媒介となるのを防ぐため信書の交換も禁じられた。県庁には事情を抱えた市民の陳情の列ができたが、例外は認められず、閉鎖以来、一台の車も市内に入ってこなくなった。
 物語はこの後、多彩な人物を通してペスト下の人間模様を重層的に描いていく。当初は自己本位だったが後にリウーの協力者となる新聞記者のランベール。この厄災は神がもたらした罰である、悔い改めよと説教する神父パヌルー。リウーに共鳴し、保健隊を結成してリウーとともに医療現場で献身的に働くタルー。
 しかし目を引くのはこんな場面だ。〈「流行の勢いが予想外にひどくなってきてるんですか?」と、ランベールは尋ねた。/リウーがいうには、別にそんなわけではなく、統計の曲線は上昇度が緩慢になってきたくらいだ。ただ、ペストと戦うための手段が、十分豊富でなかったのである。/「資材が足りなくてね」と、彼はいった。「世界中どこの軍隊でも、一般に資材の不足は人員で補っています。ところが、われわれには人員も不足してるんです」〉。
 何なの、この「いまと同じだ」感は。
 ペストの発生から四か月後の八月、猛暑の中で、疫病はピークを迎える。人々の鬱屈も頂点に達し、略奪や放火が横行。市の各門口はたびたび襲撃された。看護人や墓掘り人夫が死亡し、死者の埋葬場所にも事欠く状態。〈市民たちは事の成行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みずから適応していったのであるが、それというのも、そのほかにはやりようがなかったからである〉。平時だったら、ここは「自発的隷従」と解釈したかもね。

家と仕事を失う貧しい人々
 もう一冊読んでみたい。ダニエル・デフォー『ペストの記憶』(一七二二年)。『ロビンソン・クルーソー』の作者によるドキュメンタリー風の作品で、架空の一市民を語り手に、一六六五年にロンドンで実際に起きたペスト禍を描いている。
〈あれは確か、一六六四年の九月はじめのことだった。近所の人たちと寄り集まって雑談していると、こんなうわさを耳にした――ペストがまたオランダに戻ってきたらしい〉。
 これが書きだし。新聞などの印刷物がなかった時代、事件や噂は貿易商の手紙などから集められ、あとは口伝えで伝播した。ペストの噂はやがて現実になった。一六六四年一二月頃、ロンドン郊外で二人の男性が死亡し、死亡週報に死因はペストと記載されたのだ。市中には大きな不安が広がり、人々は死亡週報の数値を見ては一喜一憂するようになる。一週分のロンドンの死者数は通常二四〇~三〇〇人だがペストの発生後、死亡者数は増加、六月になる頃には家財道具を積んだ荷馬車で市街地から脱出する避難者が増える。
 市内で商売をしている語り手の「ぼく」は、従業員に逃げられて自分はロンドンにとどまることを選ぶが、なおも感染は拡大し、ついに七月一日、市当局はペスト感染者を救済、管理する条例を発令する。特に重視されたのは、感染者が出た家の家屋の閉鎖だった。その過酷さは市民の大きな反発を買った。〈なにしろ人の住む家のドアを封鎖した上に、昼も夜も監視人に見張らせ、住人が外に出ることも誰かがなかに入ることも禁止したのだ〉。
 医療寄りのカミュとは異なるこの本のおもしろさは、一市民の視点でペスト禍が描かれる点にある。〈力ずくで家屋を閉鎖し、人びとを自分の家に引き止めたというより監禁したのは、結局ほとんど、いやまったく役に立たなかった〉〈有害でさえあった〉と語り手はいう。監視人の目を盗んで自宅から脱出する。監視人に暴力をふるう。病気を隠す。絶望した感染者が外を徘徊して感染を広げる。すべての原因は家屋の閉鎖だ。〈家を閉鎖されていなければ、この人たちはベッドの上で静かに亡くなっていたはず〉なのだ。
 市民や貧困者にも語り手の目は向けられる。〈時代の災いは貧乏人めがけて降りかかった〉。感染しても食べ物も薬もなく、医師や看護人に助けを求めることもできない。主人の妻子が疎開すれば奉公人は解雇され、〈あらゆる商売が停止され、雇用も取り消された。仕事が絶たれ、貧しい人びとの飯の種が尽きてしまった〉。家も金も仕事も失った人々は〈ペストそのものではなく、ペストが引き起こした災いのせいで絶命したと言っていいだろう〉。
 さて、新型コロナ問題が騒がしくなりはじめた二月、私が読んでいたのは小松左京『復活の日』(一九六四年)だった。兵器として開発中の新型ウイルスが世界中に広がり、日本にも上陸するというSFである。
 この本の見どころは、ウイルス感染が現代の日本でどう作用するかが描かれている点だろう。朝の国電はマスクをした人だらけ。新聞の〈ゴシック活字の発疹は、国際面のみならず、経済面から、スポーツ、娯楽面にまでひろがり〉、感染者が続出してプロ野球の試合はお流れ。出演者の欠員で舞台は休演、映画製作は中止。工業生産指数は二二パーセント低下。ダウ平均株価は暴落が続き、化学・薬品株を除いて前月比平均一二パーセント減。病院は機能不全に陥り、医師は「まるで戦争だ」と頭を抱える。
 二月にはこれはこれで感心したのだ。それが六月になったいま読むと、『ペストの記憶』のほうがしっくりくる。それは『復活の日』があくまでパニック小説仕立てのSFだからだろう。〈東京の街は、今やガランとした死者の都(ネクロポリス)と化しつつあった〉のは納得できても、〈動いていない地下鉄の中は、充満した腐爛死体の硫化水素のために、はいって行くこともできないありさまだった〉はないんじゃない? と思うのは、小説のせいではなく、読む側の心理のせい。現実のインパクトの前では、極端な事例が絵空事に見える。
 さて、これらを読んで感じたこと。それは「人は歴史に学ばない」である。これら感染症文学はべつに予言の書ではなく、結局人は同じことをくり返してしまうのだ。カミュ式にいえば〈ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあ〉るってことだ。この感覚を私たちはまた忘れてしまうだろう。よって感染症文学を読むなら、いましかない。昨年読んでもたぶん今年ほどおもしろくはなかったし、コロナ禍の収束後に読んでも今年ほどには興奮も感心もしないはずである。

【この記事で紹介された本】

『ペスト』
カミュ/宮崎嶺雄訳、新潮文庫、1969年、750円+税

アルジェリアの都市オランを舞台に、ペストで封鎖された町の四月から翌年の二月までを描く。不条理な状態に置かれた、さまざまな職業や立場の人々の、困惑と変容を描いた思索学的な小説と思っていたが、今日のコロナ下で読むと、主人公の医師リウーと仲間たちがペストに立ち向かう献身的な姿をはじめ、医療現場や行政の対応なども緻密に描かれていることに感動させられる。

『ペストの記憶』
ダニエル・デフォー/武田将明訳、研究社、2017年、3500円+税

ロンドンを舞台に、一六六四年九月頃から翌六五年一〇月頃までのペスト禍を描く。原題は「ペストの年の記録」。物語というより、さまざまな逸話をつないだドキュメンタリータッチの作品で、死者の数なども明記され、臨場感いっぱい。『ペスト』と題された中公文庫版(平井正穂訳)も原著は同じ本だが、研究社版には見出しが入り、編集的な工夫が凝らされているので読みやすい。

『復活の日』
小松左京、角川文庫、1975年、760円+税

アルプス山中で飛行機が遭難。イギリス陸軍の細菌戦研究所から盗まれた開発中の新型ウイルスが世界中にばらまかれ、日本にも上陸するという設定のSF小説。第一部「災厄の年」は「チベットかぜ」と名づけられた謎の感染症の拡大を、第二部「復活の日」では人類の滅亡を前に南極で生き残った人々の姿を描く。世界全体が巻きこまれるという点は、今日のコロナ禍とも重なる。

PR誌ちくま2020年7月号

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