弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第二十二回 「夜の街」と呼ばれて(1)

新型コロナウイルスの新規感染確認で、小池百合子都知事が名指しで自粛要請するよう呼びかけている新宿・六本木をはじめとした夜の歓楽街。「夜の街」という呼称だけがひとり歩きし、そこで生きる人々が社会から分断されかねないという問題も生まれています。今回は、コロナ禍にともない閉店を決めたナイトクラブを取材しました。

   第22回 クラブ(1)

 緊急事態宣言を受けて東京都庁で会見を開いた小池百合子都知事が、企業や店舗に営業自粛を要請した際、特に名指しで上げたのが「ナイトクラブ」だった。
 このナイトクラブは、「クラブ」「ラウンジ」「キャバクラ」「ガールズバー」「ホストクラブ」などを示している。こうした店で感染拡大が起きているという見方もあり、非常事態宣言が解除された六月以降、東京都は新宿や六本木の〝夜の街〟を中心に「注意呼びかけ」をすることを決めた。
 名指しされた街の一つである六本木で、三月の時点で感染者を出し、四月初旬に倒産に追い込まれた店がある。「クラブ・オーシャン」だ。
 いわゆるナイトクラブの中には、従業員の感染がわかっても、内外に隠して営業をつづけている店もあるといわれている。そうしたなかで、なぜクラブ・オーシャンは感染者が出たことを公表し、どのような経緯で閉店を決めたのか。

 六本木の交差点の目と鼻の先にある雑居ビルの四階に、クラブ・オーシャンは入っていた。
 水族館をイメージした内装の施された店内には、大きな水槽が並び、白いソファーやテーブルはブルーの照明で妖しげに照らされている。ここは「カラオケ・ラウンジ」といって、主に二次会につかわれるナイトクラブだ。
 六本木には数多くのクラブ、ラウンジ、パブが軒をつらねている。男性客はそこで遊ぶだけでなく、〝アフター〟でキャストたちを店外へ連れ出してナイトライフを楽しもうとする。キャストたちにしてみれば、指名客になってもらうための重要な営業の場だ。
 ただ、一般的に彼女たちが別の店に繰り出すのは、店が閉店した午前零時以降であり、ほとんどの飲食店はやっていない。そこで歓楽街には、クラブ・オーシャンのような二次会用の店がある。普段からキャストや男性客と人間関係を築いておいて、〝アフター〟で利用してもらうのだ。もちろん、個人で男性客が遊びに来ることもある。
 店内はカウンター席とソファー席にわかれていて、ソファー席をパーテーションで区切って個室にすることも可能だ。カウンターには飲食を提供する女性が三名いる。男性客だけで遊びに来る場合はカウンターで女性相手に話をしたり、カラオケをしたりし、アフターでの利用客は区切られたソファー席に着いて、連れてきたキャストとともに過ごすことになる。他には、黒服と呼ばれる男性従業員が三名、それに人手が足りない時には臨時に女性を雇って営業していた。
 クラブ・オーシャンは、二〇二〇年春で七周年を迎える予定だった。ママの笹谷麻衣は、東京都世田谷区に一人娘として生まれた。病院を経営する裕福な家系だったが、父親がギャンブル依存症だったことから家庭は荒んでいた。やがて両親は離婚。シングルマザーとなった母親に一人娘として育てられた。
 道を外れたのは、中学に入ってからだ。家庭の問題が発端となって、中学二年くらいからだんだんと学校へも行かなくなった。地元の不良仲間と深夜徘徊をしたり、シンナーの吸引に手を出したりした。定時制高校に進学するも、間もなく中退。その後、美容師を志すものの、傷害事件を起こして女子少年院へ収容され、出院してから六本木の歓楽街でホステスとして働きはじめた。
 ここからおおよそ二十年間、麻衣は六本木の夜の街で生きていくことになる。その間、結婚、出産、離婚も経験。そして七年前に、クラブ・オーシャンをオープンさせ、それまで培ってきた人脈を活かして店を軌道に乗せた。この店は、彼女の人生がすべてつまった空間だった。そう、新型コロナウイルスが日本を襲うまでは――。

 二〇二〇年に入って間もなく、六本木のナイトクラブでも新型コロナウイルスのことが話題になりはじめた。商社など海外企業との取り引きをしている客も少なくなく、中国の武漢で感染拡大が起きたあたりから、少しずつ懸念を口にする客が増えてきたのだ。
 麻衣は客の話を聞きながら、もし日本でも感染が拡大したら六本木全体が大事になると感じていた。クラブやパブは、十一月から年末までが繁忙期だといわれている。ハロウィンからはじまり、忘年会、クリスマスとつづくため、一年でもっとも大きな利益を稼ぎ出すことができる。逆に、一月中旬から三月中旬は年度末にかかることもあって、大きな減収が見込まれる。店とすれば、この間の減収分を、新しい年度がはじまる四月、五月の繁忙期に稼ぎ出すのが常だった。
「うちは三月がオープン記念日なんで、なんとかそこに来てもらって、一月、二月分の赤字を減らし、四月から再び売り上げを伸ばしていく感じだったの。コロナのことがニュースになりだしたのは、その準備をしている最中だった。
 うちのお客さんは海外との取り引きをしている人も多いから、コロナがヤバいって話はすぐにつたわってきた。もう中国では大変なことになっていたし、他の国にも広まりつつあったでしょ。日本でも二月の初めにダイヤモンド・プリンセス号のことがあったから、みんな、このままだと日本で流行るのは時間の問題だ、もしそうなったらリーマンショックなんてくらべものにならないぐらいのことになるぞって言いだしていた」
 その言葉は現実のものとなった。二月から日本各地で感染のニュースが報じられるようになった。さらに中旬を過ぎた頃からは、居酒屋は時短営業に切り替わり、街全体から日に日に人影が減っていった。
 二月の下旬から、クラブやラウンジといった店からは明らかに客足が遠のいていった。新宿の歌舞伎町では客足が本格的に減ったのは三月中旬からだったが、比較して一カ月早かったのは店の性質によるところが大きい。
 歌舞伎町にあるホストクラブ、ガールズバー、風俗店は、客が個人のポケットマネーで遊びに来ることがほとんどだ。対して、六本木や銀座は、会社の重役など社用族が接待を建前に遊びに来て、会社の名前で領収書を切ることが多い。新型コロナのような社会変化や不況が訪れた時、企業としては真っ先に接待を中止することから、後者の街の方が損害を被るのが早いのだ。
 これは、クラブ・オーシャンのような二次会で利用される店を直撃した。店を利用する側としても、一次会はやっても二次会は遠慮するといった空気になるのは当然だ。そういう意味で六本木でももっとも初期の段階で客を失った。
 麻衣は言う。
「二月の中旬の時点で、『もうダメだ』って感じだったね。うちのお客さんは会社員が多いから、営業を掛けるにしても会社宛てに手紙を出したり、お菓子を持っていったりするわけよ。でも、世の中がコロナでこんなになっている時に、そんなことできるわけないじゃん。お客さんの会社での立場を悪くするだけでしょ。それで七周年記念パーティーを派手に開催するのは早々と諦めたわけ。心の中では、なんとか四月くらいまでにコロナ騒ぎが収まってくれって祈ってたけど、お客さんから入ってくる情報は難しいものばかりだったね」
 こうした暗い空気の中で、クラブ・オーシャンは、三月を迎えることになるのである。

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