弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第二十四回 「夜の街」と呼ばれて(3)

従業員数名が新型コロナウイルスに感染し、休業を余儀なくされた六本木の「クラブ・オーシャン」。追い打ちをかけるように発令された緊急事態宣言下で、20年続いた店は閉じることになりました。十分ではなかった休業補償、閉店に向かうさなかで起きた新たな問題、そして六本木の街を揺るがしたコロナ禍についてなど、店のママからお話をうかがいました。

   第二十四回 クラブ(3)

 六本木のカラオケパブ「クラブ・オーシャン」では、三月二十七日から二十八日にかけて、黒服の男性スタッフ一人の新型コロナウイルスの感染が発覚した。他に男性一人、女性一人も同様の症状を訴えていた。六人の従業員のうち三名が新型コロナウイルスに感染した可能性があるという状況では、店内でクラスターが起きたと言っても過言ではなかった。
 さらに追い打ちをかけたのが、四月七日に国が出した緊急事態宣言だった。これに伴う休業要請によって六本木のナイトクラブは一斉にシャッターを下ろすことを余儀なくされた。それは、夜の街にとって、いつ終わるともわからないコロナ禍のはじまりだった。
 すでに十日前から店を閉めていたママの笹谷麻衣は、これによって店の廃業を決断した。麻衣は言う。
「店の常連さんの話では、一度こうなったら二年は元通りにはならないだろうっていうことだった。仮に街に景気がもどってきたとしても、うちの店はコロナ患者を出したということで敬遠されるよね。常連さんでもなかなか『オーシャンに行こうぜ』とは言えなくなる。そういう将来のことまで考えた時、だらだらと店をつづけて借金に借金を重ねてつぶれるくらいなら、ここで潔く『辞めます』と言った方がいいよね。〝損切り〟って言い方もできるけど、それで店を閉じることを決めたの」

 都は休業補償を打ち出していたものの、クラブ・オーシャンにとってそれは決して十分な額ではなかった。
 まず家賃が月に七十万、その他カラオケや各種機器のリース費用、さらにビルの光熱費(ビルでかかった分は各店で割って支払うことになっている)などを加えると、最低でも月に百万円以上がかかる。さらに従業員に対して最低保障の二十四万円(本来はこれに歩合が加わる)を支払えば、月々の支払は合計二百万円~三百万円だ。先の見えない中でこれを数カ月ないしは一、二年つづけて客足がもどるのを待つことはできなかった。
 麻衣は自宅待機させていた従業員に、ネットを介して決断を打ち明けた。
「店を閉じることにした。ごめん。このままお先真っ暗な中で赤字だけを流しつづけても、逆に迷惑をかけるだけだと思う。だから、ここで閉店することを許してください」
 新型コロナウイルスに感染した者も含めて従業員たちはみな、その決断を受け入れてくれた。彼らとしても、この状況下では反対したところで、どうにもならないことはわかっていたのだろう。
 こうして店のオープンから七年と一カ月目に廃業が決まったのだ。
 同じ六本木のナイトクラブの中には、感染者が出ても内緒にしつづけた店もあるという。店側からすれば事実が明らかになれば、従業員たちが感染を恐れてライバル店へ移籍しかねないし、噂が広まれば大勢の客を失うことになりかねない。それなら事実を隠蔽しした方が賢明だという判断だったに違いない。
 対して、麻衣が廃業を決めたのは、従業員が少なく、意思を通じ合える仲間のような関係にあったことが大きい。お互いの距離が近かったからこそ、危険にさらさないためにすぐに公表して店を閉じることを決めた。それは麻衣が約二十年にわたって六本木で積み上げてきた信頼を守るためでもあった。

 クラブ・オーシャンを閉じることを決めた麻衣は、ビルの管理会社への連絡など各種手続きをはじめた。賃貸契約を含めて様々な後処理を行わなければならなかった。
 そんなある日、麻衣のもとに管理会社から連絡があり、思いがけないことをつげられた。
「お店でコロナ感染者を出したのなら、うちの関係している会社に頼んでエレベーターから店内までの消毒を行ってください。他の店の方への感染の危険がありますので」
 感染拡大を防ぐためには消毒が必要になる。見積もりを頼んだところ、入り口のエレベーターホールだけで二十万円かかるというのだ。麻衣はそれを聞いて血の気が引いた。わずか一坪ほどのエレベーターホールで二十万円なら、三十坪の店内の消毒にはいくらかかるというのか。
 麻衣は慌てて小料理屋を営むママなどに相談して、別の業者に価格を訊いてみた。すると、これまでの事例に照らし合わせても、十五坪の店で消毒から抗菌作業まで行って三十万円ほどで収まるという。
 ビルの管理会社はテナントの貸し借りの仲介だけでなく、内装から廃棄物処理など様々なことにかかわって手数料を取ることがある。おそらく消毒に関しても、関連会社に委託することで手数料を上乗せしているために値段が上がるのだろう。逆に言えば、別の業者に依頼すれば、費用を抑えることはできる。
 麻衣は管理会社と掛け合い、別業者から聞いた話などを材料に交渉することで消毒費用を大幅に安くしてもらえることになり、無事に閉店の運びとなった。
 彼女は言う。
「今回のコロナの騒ぎに便乗して、一儲けしてやろうみたいな人も出てきていると思うんだよね。店内の消毒にかかる代金なんて、あってないようなものじゃん。でもコロナを出してしまったらやらざるを得ない。初めのうちはその方針も定まっていなかったから、いろんな業者が名乗りを上げて法外な値段を要求することもあった。そういうところにつかまっちゃうと二次被害みたいになりかねない。水商売をやってる以上、私は国に頼ろうなんてことは思わないけど、せめて早めに消毒の指針や業者の取り締まりなんかを行ってほしかったよね。水商売じゃなくても、別の業種の人たちも被害を受けかねないから」
 では店を閉めたことについてはどう思っているのか。
「六本木は十代の頃から二十年過ごした街だから、やっぱり離れるのは寂しいよね。ただ自分の決断は間違ってなかったと思うし、自分なりにかっこうつけられたのかなとは思うよ。水商売の世界って、潔いことが必要なんだよ。そこでしかメンツを保てないっていうのかな。逆に言えばそんな志を持ちつづけていれば、誰かが見ていてくれてまた声を掛けてくれることもある。そういう生き方はできたのかなと思ってる」
 店を閉じた二カ月後の六月から、麻衣は銀座に店を構える割烹料理屋で働きはじめた。旧知の経営者から声を掛けてもらったという。彼女の言葉で表せば、「潔さ」が生んだ新しい縁なのかもしれない。

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