ちくま新書

政治家の過信、市民の不信

科学vs政治の内幕……情報の隠蔽、政官財学の癒着、学閥、731部隊人脈、薬の特許争い、……利権にまつわる脈絡を歴史的に辿り、その邪悪な構造にメスを入れる一冊。8月刊、山岡淳一郎『ドキュメント 感染症利権』の「はじめに」を公開いたします。

 感染症は「政治」を動かす。新型コロナウイルスの蔓延で、現代文明はもろさをさらけだした。多くの国が社会防衛のために「ロックダウン(都市封鎖)」を選び、庶民は街の狭い住宅にこもり、金持ちは自然に囲まれた別荘に逃げる。一九三〇年代の大恐慌以来の不況に突入すると経済人が警告しても、政府は人の流れを止めた。一七世紀にペストが欧州を席巻したときとほぼ同じ光景がくり返されたのである。政治家に過信は禁物だった。
 日本では「人と人との接触を八割削減」を目標に行動が制限された。一方で、政府中枢は、気休めの策を弄し、正確な情報を出したがらない。アベノマスクの全世帯配布や検査体制、緊急経済対策の大げさな説明だけではない。データの柱である「感染による死亡者数」にも疑問符がつく。
 日本の新型コロナ感染による公表死亡者数は、九八〇人(二〇二〇年七月七日現在)。欧米各国の数万〜十数万人に比べればはるかに少ないものの、人口当たりのそれは東アジアの台湾、中国、韓国よりも多い。数えられていない死亡者もいる。
「東京都の人口(推計)」をもとに二〇一六〜一九年の三、四、五月の三か月間の死亡者数の平均を出すと二万九四六七人。二〇二〇年のそれは三万〇〇四九人と「五八二人」増えている。このなかに新型コロナの感染見逃しによる死亡が含まれていると予想される。都の公式な感染死亡者数三二五人(七月四日現在)は書き換えられる可能性がある。
 政府は、往々にして感染症の影響を小さく見せたがる。国民の動揺を抑え、恐慌を防ぎたいにしても、理由はそれだけではない。「利権」と政治が結びついているからだ。
 安倍晋三政権の新型コロナ対策をふり返れば、国と都の予算規模で二兆円を超える東京五輪・パラリンピックの利権に引きずられたことが、ありありと見てとれる。二月末、安倍首相は記者会見で「これから一、二週間が急速な拡大に進むか、終息できるかの瀬戸際となる」と語ったが、瀬戸際はずるずると延ばされる。三月一四日の会見では「東京五輪は予定どおり開催したい」と述べた。そこが分岐点だった。
 中国の武漢で発生した新型ウイルスの流入は止まっていたが、欧州や東南アジアから入国、帰国した人たちからの感染が急増していた。入国制限が緩く、いつ感染爆発が起きても不思議ではなかった。薄氷を踏む対応だったのである。のちの分析では、東京の「実効再生産数」は二・五まで高まっていた。一人の感染者が平均して二・五人にうつしていたことになる。しかし首相官邸内に危機感は乏しく、対策が後手に回る。
 世界の趨勢は「五輪延期」だった。各国の選手から「開催すれば出場辞退」と決然たる意見が届き、三月二四日、安倍首相は五輪の延期を決める。そして首都圏で病院内感染が続発し、医療崩壊が迫った四月七日、ようやく七都府県に緊急事態宣言を出したのだった。
 感染が急拡大する大都市圏では医療崩壊へのカウントダウンが始まっていた。東京都では新型コロナ対策で用意した二〇〇〇床のベッドの九割が埋まり(七月七日菅義偉官房長官記者会見)、切羽詰まった。台東区の永寿総合病院や、中野区の中野江古田病院では院内感染クラスター(集団)が発生し、入院患者が亡くなる。家族の立ち合いも許されないまま荼毘に付された。厚生労働省クラスター対策班が院内感染の現場に入って防護体制を立て直し、国立感染症研究所の疫学調査チームが状況を把握。患者の受け皿である国立国際医療センター、感染症指定医療機関の医療従事者たちが懸命に対応する。市民が大幅な行動制限を「自粛」で受け入れ、どうにか第一波は収まった。大本営が立てた無謀な作戦を、最前線の将兵と市井の人びとがリカバーした。それが実情だろう。だが、新型コロナに限らず、ウイルスによる新興感染症はこれからも襲ってくる。政治の役割を見直さなくては取り返しがつかなくなる。
 感染症は、社会に危機をもたらし、政治の舵取りを厳しく糾(ただ)す。政府のさじ加減ひとつで被害が左右され、人びとの連帯感に強弱がつく。きわめて政治的な疾病といえるだろう。ゆえに伝染病とか疫病と呼ばれていた時代から感染症そのものに利権が絡みついてきた。
 本書は、そうした感染症と利権の見えにくい構造を明らかにし、広い意味での政治的な行動の妥当性を問う。
 まずは新型コロナ対策で〈政治主導〉がもたらした矛盾を検証し、時代をさかのぼって〈学閥〉の形成から利権構造を説き起こす。〈医学の両義性〉の観点から、戦中の七三一部隊の人体実験の蛮行を顧みる。差別された患者と〈官僚主義〉とのたたかい、〈グローバリズム〉による製薬利権の膨張や、バイオテロのリスクを手がかりに現代の闇に分け入ろう。
 人類は、人とモノの移動の高速化、地球環境の変化などによりウイルスと共生せざるを得なくなった。「自由」か「統制」か。感染拡大の局面ごとにこの問いを反芻し、未知の病原体を迎え撃つ時代に入ったようだ。

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