ちくま新書

香港国家安全維持法の強制導入。一国二制度の運命は

香港が歴史的転換点を迎えています。中国は力による中港融和を推し進め、香港は米中新冷戦の最前線に浮上しています。東洋の真珠と称された国際金融都市はこれからどうなるでしょうか。ちくま新書『香港とは何か』の冒頭を公開します。

 第一章 境界の都市

†中国へ聖書を運んだ旅

 被写体としての香港は、どこからどう撮っても、いい写真になる。二〇一四年の雨傘運動でも、二〇一九年の逃亡犯条例改正反対に端を発した抗議デモでも、香港の写真が何度も米TIME誌など国際的なニュース雑誌や新聞のトップを飾った。日本や台湾の光景ではあまり起きないことだ。香港の「顔値(ビジュアル力)」は昔も今も、とても高い。
 テレサ・テンが名曲『香港』で「星くずを地上に蒔(ま)いた」と歌い、一〇〇万ドルの値がつけられた香港の夜景を、啓徳(けいとく)空港へアプローチする機内の窓越しに見たときの感動を、私は忘れることはない。一九八七年夏、大学一年生であった私に、香港経由で中国へ聖書を運ぶという計画が持ちかけられた。
 公式に無神論の立場をとる中国共産党は、カトリック・プロテスタント・イスラム教・仏教・道教を公認宗教としているが、宗教活動に警戒的な立場をとっている。信仰の維持は構わないが、布教のための聖書印刷が制限され、聖書が不足した時代があった。
 聖書を運ぶかわりに、交通費や滞在費は、香港側のキリスト教系のNGOが持つ。そんな話であったと思う。横山光輝の漫画『三国志』を愛読し、大学の第二外国語で中国語を習っていた私は、あまり考えもなく、リスキーな誘いに飛びついた。中学生時代から地元横浜の教会に通っており、「中国の兄弟姉妹のために聖書を運びましょう」という呼びかけに心が動き、ジャーナリスト志望の好奇心を刺激された点もあった。
 一九八〇年代の中国は、少なくとも、いまのような怖い警察国家のイメージはなかった。ただ、話を持ちかけた教会の先輩から「毛沢東(もうたくとう)は宗教をアヘンと呼んだ」という話を聞かされ、アヘンと宗教という言葉が結びつく意外性に、動悸が速くなった気がした。
 同じクリスチャンの大学生ら一〇人ぐらいのグループで一緒に香港に渡り、夜は香港大学のドミトリーで眠った。翌朝、NGOで一人につき数十冊の聖書を受け取り、リュックの底に詰め込んだ。中国のイミグレーションで緊張した記憶はない。係員に止められたら「友人への贈り物」と説明するように指示され、見つかっても没収で済むとの話だった。税関を無事通り抜け、広州市内の下町にあった「地下教会」を訪れた。地下教会といっても地下にあるわけではなく、非合法の教会という意味で、普通の雑居ビルの中にあった。一般住宅の奥に十字架と祭壇のある小さなスペースがあり、初老の男性牧師が待っていた。
 牧師が「危険を冒して聖書を運んでくれて本当にありがとう。何人もの中国人が救われることになります」と涙を流して感謝してくれた。私たちもつられて涙ぐんだ。
 これが私にとっての最初の中国体験なのだが、後々の人生に大きな影響を与えたのは、経由地にすぎない香港体験のほうだったから、人生とはわからない。
 数日間の滞在で、私は、香港にすっかり魅せられていた。

† Hong Kongと呼ばれる理由

 香港のことを中国では「弾丸の地」と呼ぶ。もともと「弾丸」は小さな鳥を捕獲するために使われた弾き弓で使う小さな球のことだった。ただ、香港自体は丸くはなく、いびつに歪んだ逆三角形で、ほとんどが人の住めない二〇〇以上の小島も含んでいる。
 深い水深のある入り組んだ海岸線は、古くは海賊の隠れ家として重宝され、海上交通が発展した近代に天然の良港として英国人の目に留まり、一八四〇―四二年のアヘン戦争で清(しん)朝から事実上強奪されたことが、香港史の始まりである。
 もともと香木の産地だったということで香港と呼ばれた、という説もあるが、確証はない。ただ、香る港というロマン溢れる響きを持つ名前で、香港はかなり得をした。
 香港の地理的価値は、中国全土の地図や香港単体の地図より、広東(カントン)省や中国南部を含んだ地図で見るとわかりやすい。長江、黄河についで中国で三番目に長い珠江(しゅこう)は、河口部分で巨大なデルタ(三角州)を形成しており、その広がり尽くした河口の東端に香港、西端にマカオがある。巨大河川のデルタにまたがる二つの都市といえば、南米ラプラタ川のアルゼンチン・ブエノスアイレスと、ウルグアイ・モンテビテオを思わせる。
 珠江デルタの喉笛のところに、巨大都市・広州がある。広州から香港・マカオに至る一帯が「世界の工場」と呼ばれる珠江デルタ地域だ。香港に近づき切ったところに深圳がある。深圳から川を越えればもう香港だ。
 深圳と接するのは香港のなかで「新界(しんかい)(New Territories)」と呼ばれる地域で、香港の面積の九割はこの新界が占める。農村風景も残っている一方、香港島や九龍(クーロン)の都市部から逃げ出すように流出した人口を収容する高層ビルが林立するニュータウンが、MTR(Mass Transit Railway、港鐵)の駅ごとに築かれている。新界から南下すると、下町と商業街の九龍があり、さらにビクトリアハーバーを渡ると香港島に達する。


香港概略図(『中国年鑑2014』毎日新聞社をもとに作成)

 香港島、九龍、新界をまとめて現在の「香港」と呼ぶが、アヘン戦争による南京(ナンキン)条約で割譲されたのは、ビジネス街の中環(セントラル)や商業地区の銅鑼湾(コーズウェイベイ)がある香港島だけで、一八六〇年のアロー号事件の「北京(ペキン)条約」で九龍が割譲された。尖沙咀(ティムシャーツイ)や旺角(モンコック)がある九龍は大陸の先端部分にあたる。一八九八年の新界租借条約により、英国は九九年の期限で清朝から新界を租借した。
 香港返還が行われた一九九七年は、新界租借条約の期限であった。ということは、法律上、割譲された九龍や香港島は含まれず、返還は新界だけでよかった。英国はこの理屈を持ち出して譲歩を引き出そうとしたが、鄧小平(とうしょうへい)に「どのような条件でわれわれのものにするかは、私たちが決めることであって、あなたに発言権はない」と拒否されている。ただ、新界のみの返還は、現実的ではなかった。日中は香港島や九龍で働き、夜は新界の家に帰るのが典型的な香港ライフだからだ。
 英語表記の「Hong Kong」の由来は今日の香港で使われる標準的な広東語ではない。それだと「Heung Gong」になる。日本人にはやや難度の高い発音だ。標準中国語(北京語)では「Xiang Gang」でもっと遠い。「Hong Kong」は、香港にもともと多く暮らしていた「蜑民(たんみん)」と呼ばれる水上居民の発音に近いとされる。英国人が香港に来たとき、海辺で「蜑民」に出会った。英国人が「ここはどこか」と尋ね、彼らの発音を「HongKong」と聞き取り、その名前がついたとの説がある。

†香港中文大学と天安門事件リーダー

 私はすっかり香港が気に入り、大学三年から日本の大学を一年間休学し、香港中文大学の留学生として香港で暮らすことになった。大学は新界にあり、九龍の市街地から電車で三〇分はかかる。九龍と新界を隔て、香港人の心の故郷ともいえる獅子山(ライオン・ロック)のトンネルを抜けてしばらく進むと「大学」という駅がある。駅の目の前の山一つがまるごと大学のキャンパスで、駅前には大学のグラウンドが広がっている。ここが二〇一九年一一月に警察とデモ隊の間で起きた衝突の現場となった。その夜は、炎がめらめらと燃え盛る攻防をネットの生中継で見ながら一睡もできなかった。外部と隔絶された静かなキャンパスが「戦場」となる状況は、ただただ、非現実的に思えた。
 香港中文大学は、香港各地の三つのカレッジが合併して設立された経緯から、大学も三つのカレッジに分かれていた。山の上にある新亜書院(ニュー・アジア・カレッジ)の知行楼という宿舎に私は入寮した。一九八九年夏のことだ。直前の一九八九年六月に、北京で天安門事件が起きた。入寮してしばらくすると「寮の中に「蛇」がいる」と同室の香港人学生から教わった。蛇とは、天安門事件で北京から逃亡してきた学生リーダーのことだった。香港では、暗い場所に隠れているものを蛇と称することがある。
 一留学生には大きすぎる話で、詳しい事情はわからなかったが、あとになって、当時の香港では天安門の学生活動家たちを中国から脱出させる「黄雀計画」が進行中だったことを知った。中国から闇夜に乗じて海上ボートで香港に活動家を「密輸」し、香港の各所で匿(かくま)いながら、英仏政府の力も借りて、香港から脱出させるプロジェクトだ。一〇〇人以上が救い出されたと言われ、活動家として著名な柴玲(さいれい)(チャイ・リン)やウアルカイシなども、この黄雀計画で香港から海外に出ている。「蟷螂捕蟬、黄雀在後」ということわざがあり、蟷螂(とうろう)(カマキリ)は目の前の獲物(セミ)を捕ろうとして、本当の脅威(スズメ)に気がつかない、という意味になる。カマキリは中国当局、セミは民主化活動家、スズメは香港の支援組織を指した。中国と香港との間には薬物や人を密かに運ぶ様々な輸送ルートがある。裏のルートを知悉(ちしつ)する黒社会(ヤクザ)も協力した。まるで映画のような話で、いかにも香港らしい。ノリがいい香港人は、面白そうな話には、損得抜きで絡んでしまう。その個性が発揮された計画だった。
 思いがけず歴史の一端に触れ、香港への関心はますます強まった。一方、香港は返還を機に激動の時代に入った。返還直後のアジア通貨危機、二〇〇三年のSARS(重症急性呼吸器症候群)騒動、高まる反中感情による中港矛盾の表面化。だが人生は思うようにならないもので、返還当時は新聞社の福岡勤務で香港に行けるはずもなく、同僚が香港から伝える報道を忸怩(じくじ)たる思いで読んだ。二〇〇七年から二〇一〇年までの台北(タイペイ)勤務では香港が落ち着いていて台湾から取材に行くテーマがなく、二〇一四年の雨傘運動の時は東京本社で内勤デスク業。香港というテーマは、私の脇を通り過ぎていった。

†香港の生命力の源 

 そんなこともあり、二〇一六年に新聞社を退社し、真っ先に取材に向かったのは香港だった。最前線の人々と会って話を聞き、資料を読み込み、過去の経緯を頭に入れ、自分のセンサーを鍛え直すことが必要だった。毎年六月四日に行われる天安門事件の追悼イベント、二〇一六年の立法会選挙、二〇一七年の行政長官選挙と習近平(しゅうきんぺい)国家主席が訪問した香港返還二〇周年記念式典など、重要行事の度に香港を訪れた。二〇一九年の抗議デモも月に一度は現地を訪れて記事を書き、本書の筆を執るに至っている。

警察批判するデモ隊(2019年7月)


 このように個人的な体験を書いたのは、自分が香港問題について執筆する立ち位置をまず読者に知ってもらいたかったからだ。
 いま、香港を論じることは、とても難しい。香港をめぐる見解は、中国と香港の間でも、香港の内部でも、日本でも、世界でも、価値観が衝突し、深く分断されている。この状況で安易な両論併記に逃げてしまうと内容に迫力が乏しくなってしまう。外国人であっても、昨今の香港で起きている事態に対し、自らが依って立つ位置をはっきりさせることが重要だと私は考えている。
 聖書の運び屋体験や留学中での「黄雀計画」との出会いにも関わることだが、香港の魅力、価値、生命力の源は、その「境界性」にあるというのが私の考えだ。
 香港は、中国であって、完全な中国ではない。香港は、東洋であって、完全な東洋ではない。香港は、アジアであって、完全なアジアでもない。香港は、中華世界であって、完全な中華世界でもない。西洋的な制度や文化も生きているが、もちろん西洋でもない。
 香港は、冷戦時代から、東と西、社会主義と資本主義の境界に身を置いた。返還までは英国の一部だったが、完全な英国ではなかった。いまは中華人民共和国の一部ではあるが、香港特別行政区という名前で、中華人民共和国の最周縁部に位置している。
 香港は中国南部を示す華南(かなん)の一部だが、「嶺南(れいなん)」という地理的概念にも含まれている。嶺南とは、現在の中国の広東、広西(こうせい)、海南島あたりを指し、歴史上は「百越の地」と呼ばれたところで、中原(ちゅうげん)や江蘇(こうそ)・浙江(せっこう)の中華文明の「外」というニュアンスや、ベトナムなど東南アジアにつながるイメージもある。中華の外と中の境界でもあるのだ。
 境界の民であることが香港人社会には内包されている。香港の人々の名前の使い方は、東洋でもあり、西洋でもある二面性をよく現している。香港人はほとんど中国語名と英語名の二つを持っている。学校や友人、会社などの「公」の場では、英語名で呼び合うが、家族や親戚の間は中国語名を使う暗黙のルールがある。すべての香港人が英語が達者というわけではないが、英語名にはほとんどの人が抵抗ない。
 香港がこのような「境界の都市」になったのは歴史と地理が与えた宿命であろう。境界であるがゆえに香港は多義的である。多義性を香港人は排除しない。毎朝マカロニの入ったスープを味わいながら、中国語の新聞にぎっしり書き込まれた英国由来の競馬の予想表とにらめっこし、広東語で大声で店員と掛け合いをしているのが香港人である。その多義性のどこに注視するかで、香港へのアプローチも変わってくる。

†国家安全法で損なわれるもの

 香港のもう一つの特性は例外性だ。香港は常に中国において「例外」の地位を担ってきた。王朝の誕生以来、領土拡張を続けていた清朝が例外的に初めて海外に渡した場所、それが香港であった。天朝の権威を損なってしまうため、清朝は一時、民衆に対してその事実を秘匿(ひとく)していたとされる。英国にとっても香港は例外の地であった。香港は最後の段階で獲得した海外植民地の一つであるが、第二次大戦の終了後、英国がインド、ビルマ、マラヤなどの植民地を手放すなかで、例外として保ち続けた植民地だ。香港が返還されたときも、中国における例外のケースとして一国二制度に基づく「高度な自治」の方針によって独自の行政権を有し、世界貿易機関(WTO)や国際通貨基金(IMF)に国家扱いで加盟でき、オリンピックにも香港チームで参加する特別行政区になった。香港の価値は例外だからこそ生じるという認識のもと、例外扱いされてきたと逆説的に言えるだろう。
 言語も同様である。中国本土及び台湾、シンガポールなどの中華圏で「国語」や「普通話」という名前で使用される標準中国語(北京語)の普及が香港ではみられない。中国語方言使用の地域では、家庭では方言、仕事先や学校、政府では標準中国語を用いる二重構造が多いが、香港では今日もなお広東語主流の社会である。返還後も広東語は生命力を失っていない。読み言葉のテレビは広東語だし、書き言葉の新聞や雑誌でも大衆向けの媒体には広東語表記が頻出し、香港以外の中国語話者は読んでも理解できない現象が起きる。
 例外であるのは、香港が境界線に位置するからであり、例外であるがゆえに境界性を維持することができた。境界と例外という香港の特性は相互に作用しあっている。
 香港は、あらゆるものが立ち寄り、過ぎ去り、また戻ってくるゲートウェイだ。外部の者にとっては中国へのゲートウェイであり、中国にとっては外部へのゲートウェイでもある。中国から銀や銅、苦力(クーリー)と呼ばれた労働者、情報など多くのものが香港を出口として外部に放出され、資金やノウハウ、技術などは香港経由で中国にもたらされた。
 そんな香港の境界性や例外性の維持には、香港が極めて特殊な土地であるという認識が欠かせない。だが、いまの習近平体制は、香港の特殊性に対して総じて冷淡で、否定的に見える。そうした姿勢が近年の香港の混乱を作り出している原因ではないか。その結果が、二〇一四年の雨傘運動であり、二〇一九年の抗議デモではないか。香港の特殊性を尊重しない中国の香港政策に修正がなければ香港情勢は改善しない。中国による香港の「中国化」は香港にも中国にもプラスにならない。これが私の香港問題への基本的感覚だ。特に二〇二〇年六月に中国の全国人民代表大会(全人代)で決定された香港の国家安全維持法(以下、国家安全法)は、香港の価値を損なう結果しか招かないだろう。香港は中国と多くの点で「異なる社会」であるという認識を出発点にすることが、香港問題解決の唯一の策だと考えるゆえに、本書は香港と中国はなぜここまで異なる社会であるのかを一冊かけて解き明かしていく本である。

†主役は人間の群れ

 香港は絵になると冒頭に書いたが、香港ほど物語にしにくい場所もない。何しろ、香港には主役がいない。シンガポールのトーマス・ラッフルズ、台湾の李登輝(りとうき)、中国の鄧小平のような舞台回しになる指導者やヒーローが、英国時代から現在に至るまで、香港には現れなかった。香港の主役は、無名の膨大な人間の群れであり、多義的な香港は、語り手によって十人十色に変化し、一つの枠内に閉じ込めることは容易ではない。
 そんな香港に対して『香港とは何か』をタイトルに掲げることは無謀な作業だと承知しつつ、香港に関する書物を世に問うのは、二〇一九年の抗議デモが世界に巨大なインパクトを与えたいまだからこそ、香港問題を本質から語るべきだという問題意識からだ。
 本書では、この第一章が香港についての概論と執筆動機にあたる。第二章から第四章までは、二〇一九年の抗議デモに至った背景の分析を試みる。第五章で映画を通して香港の歴史を概観したあと、第六章から第八章までは「日本」「台湾」「中国」にとっての香港を考える。最終章の第九章で国家安全法の行方を含めていかなる希望が残されているか、香港の将来像を提示するところが本書の結論部分にあたる。
 本書は、香港問題の概説書ではなく、香港の抗議デモをミクロ的に紹介する本でもない。そうした類書は複数刊行されており、それらの知識の積み上げのうえに私なりの「日本人に知ってほしい香港」を書くものになる。
 用語については、中国と書いた場合は原則、香港は含まない。香港政府は香港特別行政区政府、中国政府は中華人民共和国政府、台湾政府は中華民国政府をそれぞれ指す。民主派は雨傘運動以前から存在した民主党などを指し、本土派は雨傘運動以降に誕生した「自決派(香港の自己決定権の確立を目指すグループ)」「独立派(香港独立を目指すグループ)」などを含んだ勢力を意味する。民主派と本土派を合わせたものをオール民主派とした。ここで言うオール民主派は本土派登場以前の民主派グループを総称するときに使ったオール民主派とは意味を異にしている。エスタブリッシュメントを意味する建制派と呼ばれる勢力は親中派と書く。
 いちばん悩ましいのが、逃亡犯条例改正反対に端を発し、二〇一九年六月から半年に及ぶ抗議行動をどう表記するかだが「逃亡犯条例反対運動」「民主化運動」「デモ」「流水革命」などの呼称もしっくりこないので、現時点で最もコンセンサスが得やすそうなものとして「二〇一九年の抗議デモ」あるいは「抗議デモ」と表記することにしている。

【目次より】

第一章 境界の都市
第二章 香港アイデンティティと本土思想
第三章 三人の若者――雨傘運動のあと
第四章 二〇一九年に何が起きたか
第五章 映画と香港人
第六章 日本人と香港
第七章 台湾の香港人たち
第八章 中国にとっての香港
第九章 香港と香港人の未来

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