絶叫委員会

【第152回】初めての言葉を口にする時

PR誌「ちくま」6月号より穂村弘さんの連載を掲載します。

 新しい洋服を買っても、すぐに着るということができない。ワンシーズンかツーシーズン、下手をするとそれ以上、暗闇の中に寝かせておくことになる。流行の服を買っているわけではないから、どれだけ放置しても古びる心配はない。また、着ないからと云って存在を忘れているわけでもない。あれがあるんだよなあ、と心のどこかでは意識している。年に一回くらいは引っ張り出して、部屋の中で着てみることもある。ただ、なかなか人前で着る心構えができないのだ。
 この感覚ってなんだろう。猫が新しいモノや人に対してしきりに頭などを擦りつけて匂い付けをするようなものだろうか。一通りそれが済まないと落ち着かないらしい。でも、私は洋服に匂い付けをしているつもりはない。ただ寝かせているだけだ。特別なセンスも拘りもないのに、待ち時間の意味がわからない。
 だが、言葉の場合にも同じようなことが発生する。数年前のこと。若者たちと話をしている時、彼らが「ほぼほぼ」とよく口にすることに気づいた。「ほぼほぼありませんね」とか「ほぼほぼそうですね」とか。意味としては「ほぼ」と同じらしい。長さが倍になる分、コストパフォーマンスが悪いではないか、とは思わなかった。その響きが面白くて真似したくなる。でも、覚えたての言葉を使うのは緊張する。「ほぼほぼ」と口にしたとたん、「あ、初めてですね」とバレるような気がするのだ。考えすぎではない。こんな短歌がある。

 小1に上がった甥がオレというオにアクセントは初心者マーク
                                  小野寺清子 

 もうボクは幼稚園じゃないから「オレ」でいこう、と思ったのか。でも、その「アクセント」によって「オレ」の「初心者」だとたちまちバレてしまったのだ。「小1」なら微笑ましいが、おじさんの新語はちょっと恥ずかしい。やはりもうワンシーズンかツーシーズン様子を見て、「ほぼほぼ」大丈夫と思えたら使ってみることにしよう。とぼんやり考えた直後に、妻が「ほぼほぼ」と口走ったので驚いた。先を越された。みんなの前で使う前に身内で試したのかもしれない。まあ、いい、僕だってもうじきそちら側に行けるんだ。
 ところが、である。なんだかこの頃、「ほぼほぼ」を聞かないのだ。もしや、既に廃れつつあるのだろうか。早すぎる。初めて耳にしてから、まだ数年しか経っていないのに。でも、タピオカの例もある。たちまち広まってたちまち顧みられなくなることもあり得る。私のデビューを待つことなく、「ほぼほぼ」は消えてしまうのだろうか。
 ちょっと違うけど似た例として、「わかりみが深い」がある。やはり数年前からだろうか。インターネット上の書き込みなどでしばしば見かけるようになった。わざわざそう云わなくても「わかる」の一語で済むと云えば済むのだから、こちらもコスパが悪いのだが、微妙なニュアンスが違うのだろう。自分も使ってみたいと思う。でも、躊躇われる。「ほぼほぼ」と違って、リアルでその言葉を発している人を見たことがないのである。ツイッターなどではあんなに飛び交っているのに不思議だ。もしや、これは書き言葉に限定された表現なのだろうか。わからない。誰も教えてくれない。でも、危険だ。調査が済むまで口にすることは控えよう。
​(ほむら・ひろし 歌人)