弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第三十二回 閉園か、休園か――子供の命を預かる職場で(2)

新型コロナウイルスの脅威が続くなかで、働きに出る親たちを支え続ける保育園。緊急事態宣言の発令が迫っていた四月上旬も、そこで働く保育士たちは子供の命を守ることを最優先に日々奮闘を重ねていました。 前回に続いてお話をうかがった西寺尾保育園でも、園内での感染が疑われたときは、園児たちを危険から守るためにまず休園するものと考えていたそうです。しかし、状況をつたえた区から届いたのは「通常通り保育園を開園してください」という返答でした。

  第32回 保育園(2)

 横浜市神奈川区にある社会福祉法人聖徳会「西寺尾保育園」。ここに新型コロナウイルスが襲い掛かったのは四月のことだった。
  緊急事態宣言の発令が日に日に迫っていた四月五日、西寺尾保育園でリーダーをつとめる人のもとに二十代の女性保育士からLINEで連絡があった。
<体調が悪く、新型コロナに感染しているかもしれないのですが、検査を受けることができません>
 そんな内容だった。
 さかのぼること一週間前の三月三十日、女性保育士は有給休暇中に三十七度台の熱があることを確認したものの、体調はそこまで悪くなく、少しして平熱にもどったことから、三十一日から通常通り出勤していた。だが、三日の午後になって再び体調が悪化し、四日の土曜日には味覚や嗅覚に異常を感じはじめた。
 女性保育士は言う。
「三日のお昼の給食がカレーだったんです。でも、なんかカレーのにおいがしないような気がしていて、帰りに焼き鳥屋の前を通った時もにおいがしないので何か変だなと思っていました。ただ、コロナということまでは考えませんでした。翌四日は土曜日で家で夫と過ごしていたのですが、この時も紅茶のパックの香りが感じられなかった。
 ちょうど引っ越しをした時期と重なって、家にテレビを設置していなくて、私はコロナの初期症状に疎かった。でも、夫の方がいろいろと調べていて、私の味覚の異常に気がついて、『この前、コロナになったタレントと同じ症状だぞ』と教えてくれたんです。それで慌てて翌日の午前中に医療機関に電話することにしました」
 女性保育士は、住んでいる地域の保健所に連絡をして病状をつたえ、検査を受けたいと頼んだ。だが、保健所は「熱がなく、臭覚の異常しかないのなら、新型コロナとは断言できないので、しばらく様子を見てください」として検査を断った。PCR検査の数が限られていて、重篤な患者以外に対応する余裕がなかったのだ。
 女性保育士は気が気でなかった。もし陽性であれば、自分が原因になって保育園の子供たちや同僚を危険にさらす可能性がある。一刻も早く検査を受けて確認しなくては。彼女は諦めず、前に住んでいた地域の保健所や病院やクリニックに片っ端から連絡して検査を受けたいと訴えた。問い合わせた先は数十件に及んだが、すべて断られた。
 女性保育士は仕方なく、受け持ちのクラスのリーダーにLINEで状況をつたえた。リーダーはすぐに園長ら上司に連絡。ことの重大さは園の職員の間に共有されることになった。
 園長の菱川由美は、すぐに神奈川区の担当職員に連絡した。女性保育士の検査結果が出るまでは、保育園は休園するものと考えていた。だが、担当職員の返事は予想外のものだった。
「本当にコロナかどうかわかっていないんですよね。それなら、現段階では保護者につたえるのは止めてください」
 感染しているかどうかわからないのは、検査そのものを受けられないからであって、新型コロナウイルスのものと思しき症状が出ているのだと訴えたが、理解を得られることはなかった。さらに、担当職員はこう言った。
「週明けからは、通常通り保育園は開園してください」
 女性保育士の症状を隠して開園する――。菱川にとって、到底受け入れがたいことだった。万が一、新型コロナだとしたら、クラスターを起こしかねない。いや、すでに起きている可能性だってあるのだ。
 菱川は電話の中でこう言った。
「保護者につたえずに開園することはできないので、事実を知った上で保護者が選択できるよう、この後すぐにメールを送信させて頂きます」
 そして電話を切った後、その言葉通り保護者にメールを送った。次がそのメールの内容である。

 本日現在、発熱ののち味覚障害等の症状により職員が自宅待機の状態となりました。
 保健所より、残念ながら現在は重篤な症状を優先しており検査自体ができないとの回答が出ており、自宅待機をするよう指示が出ております。したがって、今しばらくは検査もできない状況は続くと思われます。
 神奈川区は、検査結果が出ていない以上明日以降も開園する事と、「公共の利益」の観点から保護者への状況説明の必要はないとの見解です。
 しかしながら法人としては、昨今の状況の中感染拡大予防の観点から情報開示を行い、登園に関して保護者様が常に選択できる環境を提供する事は今後も重要な事であると捉えております。
 本日取り急ぎ、状況をお知らせした上で明日からの登園に関して保護者様のご判断をよろしくお願い致します。

 閉園できないのなら、せめて園内で起きていることだけはきちんと保護者につたえるべきだと判断したのだ。
 週が明けた六日、園は区の指示通り開園したものの、半数ほどの保護者はメールを見て子供の登園を控えさせた。七日は、さらにその半数に減った。多くの親が事態の深刻さに気がついて、家で子どもの面倒をみることにしたのだ。
 この間、女性保育士はネットで病院やクリニックを調べては、耳鼻咽喉科だけでなく、内科などまで手あたり次第に問い合わせをして、PCR検査を受けさせてほしいと頼みつづけた。その甲斐あって、七日の火曜日に川崎区にあるクリニックが検査を承諾してくれることになった。内科だったために一度は断られたものの、頼み込んで了解してもらったのだ。 
 午後二時、彼女はクリニックを訪れ、個室で防菌対応を受けながらPCR検査を行った。結果が出たのは翌八日の昼のことだった。保健所の職員から彼女のもとに直接連絡があった。職員はこう言った。
「検査の結果、陽性反応となりました。新型コロナウイルスに感染しています」
 やはり感染していたのだ。
 女性保育士は今後の対応策を聞いた後、すぐに園に状況をつたえた。八日の時点で、子供の来園数は全学年で九名にまで減っていたが、三月下旬に感染していたとなれば、早急な対応が求められているのは明らかだった。
 午後七時過ぎ、菱川は園の仕事を終えて自宅にいた。そこに女性保育士が感染していたという連絡が届いた。七時半、菱川は区の担当職員に連絡を入れ報告した。
 だが、その電話で思いもよらぬ指示を受けることになるのである。

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