弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第三十四回 開園か、休園か――子供の命を預かる職場で(4)

保育士の感染が明らかとなった横浜市神奈川区の「西寺尾保育園」。保健所側がPCR検査をしないという姿勢を崩さないなか、園は濃厚接触者の洗い出しに追われていました。やがて市内の他の保育園でも、“新型コロナウイルスの感染者が出た際には公表をしないように”と口止めを指示されていたことが判明しました。

  第34回 保育園(4)

 四月九日、横浜市神奈川区にある社会福祉法人聖徳会「西寺尾保育園」は、神奈川区や横浜市の反対を押し切る形で、午前六時に女性保育士の感染をメールで公表した。これによって、この日の登園数はゼロとなった。
 登園時間の午前九時を回り、園は法人の決定として今後の対応に向けて動き出すことにした。まず市の担当職員に連絡し、保護者に対して感染者が出たことを公表したとつたえた。市の担当職員はそれを聞いて怒りが抑えきれない様子だった。
「公表しないと約束したじゃないですか! なんでつたえたんですか!」
 何と言われようとも、園としては保護者につたえる義務があったと考えていると答えた。それでも市の担当職員は納得できないようだった。そして、今後のことは区に任せると言って電話を切った。
 午前中のうちに、区の担当職員から連絡があり、この日のうちに保健所の担当者らが調査に来ると聞かされた。園長の菱川由美らは保護者からかかってくる問い合わせの対応に追われながら、保健所の担当者らの到着を今か今かと待ちわびていた。遅くても昼までには全身を防護服で覆った専門家がやってきて、くまなく施設内を調べて濃厚接触者を洗い出し、消毒を含む今後の対応を指示してくれるのだろうと思っていた。
 だが、正午になっても、昼過ぎになっても、彼らはやってこなかった。夕方に差し掛かった午後四時半、唐突に四人の担当者が普段の格好にマスクだけつけて訪ねてきた。保健所の医師が一人、看護師が一人、区の職員二人の計四名だ。彼らは園内を軽く見て回っただけで、園内の消毒をするわけでもなく、次のように述べた。
「消毒のマニュアルをお渡ししますので、園の方でそれに従って消毒を行ってください」
 マニュアルを見たところ、園としてはすでに行っていたことしか記されていなかった。菱川は言った。
「それで明日から休園ということでいいんでしょうか」
「保健所が休園にするかどうかを決めるわけではありません。ヒアリングの内容を市につたえますので、それをもって市が判断することになります」
 菱川は唖然とした。ここで彼らに話したことはすでに前日までに市の担当職員につたえた内容だ。それならば、市の方で昨日の夜のうちに検討し、朝までに休園にするかどうかの結論を下せばよかったではないか。昨夜からのやりとりが無駄だったような思いになった。
 区の職員から電話が掛かってきたのは、その日の午後八時頃だった。職員は次のように述べた。
「休園に決定しました。こちらから保護者への文案を出しますので、それをメールで送って周知をお願いします」
 丸一日経ってようやく休園と公表の許可が正式に下りたのだ。すでに園は休園同然だったし、保護者への公表も終わっていた。それでも、市としては自分たちの指示下でもう一度それを行わせたかったのだろう。午後十時頃、菱川らは区が作成した文案を保護者にメールで送った。
 それは形式的な内容だった。

 この度、西寺尾保育園にて新型コロナウイルス感染症の陽性反応が出たことを受け、横浜市と検討を重ね、令和2年4月10日(金)~令和2年4月18日(土)まで保育園を臨時休園する事となりましたので、ご連絡させていただきます。
 再開の判断については4月19日をめどにお知らせ致します。
 保育園としては、横浜市保健所と連携しながら適切に対応して参ります。
 保護者の皆様には大変ご迷惑をおかけ致しますが、ご理解とご協力のほどよろしくお願い致します。

 市としては、不本意ながら保健所の調査を行い、感染者が出たことを告知すれば役割を終えたという意識だったのかもしれない。だが、現場にしてみれば、これからの方が大変だ。
 まず、女性保育士が感染していたということは、園内に濃厚接触者が出たということだ。最初に保健所の職員が調査に来た時は、園の職員三十五人に加えて、女性保育士が担当していた園児十三人がそれに該当すると言われた。ただ、翌日保健所から送られてきたリストには、接触経路から割り出されたクラスや、前年度の年長クラスだった卒園生まで含む百二十三人が濃厚接触者となっていた。彼らの中に体調不良を訴える者がいれば、園として速やかに検査を受けてもらう必要があり、迅速にそれをつたえた。
 だが、保健所は、相変わらず検査体制が十分に整っておらず、明らかな症状が出ていない限り検査を受け入れてくれなかった。日を追うごとに、濃厚接触者の中に発熱をはじめとした体調に異変を感じる者も出てきた。それでも保健所側は重篤な症状が出ない限り検査は難しいという姿勢を崩さない。やむをえず、最初に感染した女性保育士が検査を受けたクリニックを紹介してもらい、そこで個人で検査を受けてもらうことにした。幸い、全員が陰性であることが判明した。
 時を前後して、園は今後同じようなことが起きたり、後日市や区との間で今回のことが問題視されたりした時のために、適切な対応がとれるよう準備をした。一連のことを弁護士に報告して経緯をまとめ、所属する横浜市私立保育園園長会にも報告した。
 園長会は、西寺尾保育園で起きた出来事を問題視した。これ以前にも、市内の他の保育園で新型コロナウイルスの感染者が出た際、公表をするなという口止めを指示されていたのだ。こんなことが当たり前のように行われていれば、保育園が信頼を失うだけでなく、子供の命を守ることができない。園長会として市に対して断固とした対応を取ることが決まった。
 奇しくも同じ四月十三日、西寺尾保育園の弁護士は市に対して「通知書」を送り、園長会は「要望書」を提出した。
 特に要望書の内容は厳しいものだった。次がその一部だ。

 園児、職員等における感染状況の公表は、保育所にとって、当該保育所の園児、職員等の生命を守るために必須であり、公表を行わないという選択肢などない。それにも拘わらず、公表をしないよう迫る貴市の対応は、生命にかかわる重要情報の隠蔽、または情報操作ともいえるものであり、緊急事態宣言が発出されている現在において、到底許されるものではない。
 よって、貴市は、私立保育所における新型コロナウイルス感染に関する情報の操作や隠蔽をやめ、当該保育所が保護者に正確な情報を公表することを妨げることのないよう、直ちに対応を改善されたい。

 園長会は、市の対応に過ちがあることを指摘した上で、改善することを求めたのである。
 メディアが西寺尾保育園で起きたことを嗅ぎつけたのは、こうしたことがきっかけだった。テレビ、新聞はすぐにこのことをニュースとして流した。その一つが、連載第三十一回の冒頭で紹介した記事だ。
 世間からすれば、人の命を守る行政が公表を禁じ、開園を指示したというのは信じがたい行為だった。ワイドショーなどでも取り上げられたことで、人々の怒りに火がつき、市には痛烈な批判が寄せられることになった。
 市は火消しに追われ、二度にわたって記者会見を行った(いずれも西寺尾保育園には無断で行われた)。会見では記者から厳しい追及の声が上がった。担当者は頭を下げ、マイクの前で答えた。
「保護者の心配な気持ちへの配慮が不十分だった。今後は、保健所の調査を待たずに休園を決定する方向で検討したい」
 これが、市の回答だった。

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