弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第三十五回 開園か、休園か――子供の命を預かる職場で(5)

自分さえ新型コロナウイルスに感染しなければ――。陽性と判明したことで罪悪感を抱えていた女性保育士。しかし、久しぶりに登園した彼女のもとには激励の手紙や電話が数えきれないほど寄せられていました。 保育園は子供の命を預かる場所。メディアを使って行政の判断を批判するのではなく、「子供を真ん中にして、保護者、行政とともに、子供を育んでいける未来を」と、菱川園長は一連の出来事を振り返っての思いを語ってくれました。

  第35回 保育園(5)

 横浜市神奈川区にある社会福祉法人聖徳会「西寺尾保育園」で起きた新型コロナウイルスの感染騒動。感染者である女性保育士は、一連のことをどう感じていたのだろう。

 四月三日、女性保育士は体調不良を感じた時点で保育園の仕事を休むことにした。陽性であることが判明したのは八日。通常であれば二週間程度の自宅待機で済むが、大勢の人に接する仕事であることを考慮してゴールデンウイークまで休むことにした。
 約一カ月強の間、女性保育士は自宅でテレビや新聞で西寺尾保育園をめぐるニュースが流れるのを見ていた。家族や同僚からは「気にする必要はないから」と言われていたものの、自分が新型コロナウイルスに感染しなければ、こんなことになることはなかったのだ。そう考えると、大勢の人に迷惑をかけてしまったという罪悪感が日に日に膨らみ、一時は仕事を辞めるべきではないかとまで悩んだ。
 ゴールデンウイークが明け、女性保育士は恐る恐る出勤をした。報道では実名こそ記されていなかったものの、感染者は「二十代後半の保育士」と出ており、担当しているクラスなどを踏まえて感染者が特定されているのではないかという不安があった。保育園へ行って、後ろ指をさされたらどうしよう――。
 だが、保育園で彼女を待っていたのは予想もしていなかったものだった。上司が歩み寄ってきて、いくつかの手紙を見せてくれたのだ。それは卒園生や、在園生から送られたもので、「コロナにかかった先生へ」と記されていた。
 上司は言った。
「少し前に電話でつたえたと思うけど、九日の午後から園には激励や応援の電話がありました。これはその手紙ですよ」
 一枚一枚丁寧に開いてみると、子供のかわいらしい字で、「がんばってね」「元気になってね」といった励ましの言葉が書き綴られていた。字の書けない年齢の子は、代わりに似顔絵などを描いてくれていた。子供たちは感染した先生が誰かわからなくても、応援する気持ちを手紙にしたためてくれたのだ。

 次は卒園生の男の子からの手紙だ(以下原文ママ)。

先生へ 具合はどうですか
僕はお世話をしていた先生が病気になっていてとても悲しかったです。
先生たちが早く直ってほしいです
だって小さい頃にお世話になった先生たちなのでやれるだけのことはやりたいです。
先生へ病気が早く直るように応援しています
がんばってください

 また、保護者からの手紙もあった(以下原文ママ)。

西寺尾保育園 先生各位

お久し振りです。保育園最後の日、私は仕事でお迎えに行く事が出来なかったのでお世話になった先生方に会ってお礼を言う事が出来ませんでした。
とても心残りでした。数日して保育園が大変な事になっていると知り、とても心配になりました。
感染されてしまった先生、自分のせいでとか責める様な事はしないで下さい。他の先生方、家族がありながら不安の中、開園せざる状況だった時、誠意ある対応をされていると思いました。誰が感染してもおかしくないほど身近な物になってしまいましたが皆で乗り切って
笑顔
を取り戻しましょうね‼
大好きな先生方頑張って‼

 彼女は言う。
「この手紙を見た時、自分がどれだけ子供や親御さんに支えられていたかを知りました。これまでは自分が子供の面倒をみているという意識でした。でも、そうじゃないんですよね。こんなことになっても、私みたいな人のことを思って、励ましの手紙を書いてくれる。本当にやさしい思いやりのある子供たちに取り囲まれて仕事をさせてもらっているんだと考えたら、またがんばろうという勇気がわいてきました」
 市の対応は決して誠意があったとは言えないし、報道の中には誤報もあったものの、保育園のことを知っている子供や保護者は一様に感染した保育士を励まし、支えようとしてくれていたのだ。
 彼女はつづける。
「こんな親切な人たちをコロナの危険にさらすわけにいきませんよね。職場に復帰して、改めて子供たちを守らなければという意識が高まりました。手紙を書いてくれた子供たちに一つでも多く恩返しをしたいと思っています」
 奇しくも、新型コロナウイルスが、女性保育士と子供たちの絆を深めたのだ。

 では、西寺尾保育園としては、今回の騒動をどう捉えているのか。
 メディアがこの出来事を報じた時、誤報が流れることもあった。にもかかわらず、西寺尾保育園としては、メディアの取材をほとんど受けてこなかった。その理由を、園長の菱川由美は語る。
「市や区と食い違いがあったことは事実です。ただ、怒りに任せてメディアをつかって批判するようなことはしたくありませんでした。保育園が何のためにあるのかと考えた時、批判することに意味があるとは思えなかったからです。
 保育園の主体は、子供ですよね。本来は市も区も、私たちも、それに親御さんも、みんなで足並みをそろえて子供の将来を素晴らしいものにしていかなければなりません。そういう観点からすれば、コロナ感染を公表するとか、休園するとかいったことは、当たり前なんです。今回はそれがいろんなことでズレてしまったわけですけど、だからといって公に批判をすることが正しいとは思いません。
 これからも、園はこの土地でつづいていきますし、子供はうちに通って成長していく。それを考えた時、私たちのやるべきことは、もう一度行政と手を取り合って、同じ目標に向かって歩んでいくことなんです。子供たちに大人同士でケンカをするところを見せるのではなく、社会のいいところを示すことが大切なんです」

 マスコミは「客観性」を建前にして、事実をつたえることで物事を煽ろうとする。どれだけ大きな話題にしたかが自分たちの価値だと考えている。
 だが、菱川が考える保育園の役割は、それに便乗することではない。子供にとって生きやすい社会とは何か。子供にどんなあるべき社会の姿を見せるべきなのか。それを考えた時、菱川は過去の行き違いに固執するのではなく、もう一度行政と協力して子供たちの成長を支えてくべきだと考えたのだ。
 菱川はつづける。
「私たちは行政と一緒に『子供の命を預かる』立場です。そこにおいては、子供の命が最優先なんです。でも、現実には今回のことだけじゃなく、いろんなことが命より経済優先になってしまっているのではないでしょうか。
 共働きによって、男女問わず職を持ち収入を得ることはいいことだと思います。保育園がそうした両親のサポートをすることも、社会の中では大切なことです。しかし、行政が保育園にサポート以上の『子育て』の部分まで担う形の保育を謳い、それが保育園だと言いはじめれば、親に子育ての幸せを忘れさせ、子育てそのものを奪うことになりかねません。
 私は、未来の日本を担う人を育てる上で、就学前の子供たちの脳の発達は基礎構造部分だと思っています。それは、温かい人と人とのつながりや信頼関係の中で育まれるものなんです。子供にとって良い環境をつくるには、子供を真ん中にして、保護者、行政、保育園がバランスを保って連携をとる必要があります。そういう意味において、私は保育園が親の子育てのほとんどを代行することがいいとは思っていません。
 今回、行政は、『情報公開するな』『開園するように』という指示を下しました。それはどこかで今申し上げたような姿勢があったからではないでしょうか。これを機会に、今一度、子育てとは何か、そこでは何を大切にするべきかを考える必要があると思います」

 新型コロナだけでなく、台風や大地震の時でも、行政は保育園の開園を指示し、親の方も「保育園に預けておけば大丈夫」と考えるのは、その表れだろう。経済を回すという意味ではそれがいいのかもしれない。だが、日本の未来を担う子供を育てるという見地に立てば、そういう時にこそ親が子供の傍にいて、愛情によって不安を取り除いてあげることも必要ではないか。
 ただ、菱川によればこうした社会環境は改善の余地があるという。たとえば働き方を改革することもその一つだ。現在の日本社会のシステムの中では、働く親であることと家庭の親であることがなかなか両立しえない。だから、今回のようなことが起きてしまった。
 ならば、そのシステムそのものを変えれば、働く親でも家庭の親になりえるし、社会もまた子供を最優先に物事を決めていくことができるはずだ。そういう意味では、新型コロナウイルスは、日本社会の偏った一面を明るみに出してくれたといえるのではないか。
 それをどのように変えて、子供の命優先の社会をつくり上げていくのか。
 それはコロナ後に課せられた大きな問いなのである。

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