宿題の認知科学

6歳児の記号論

「だれがどう見ても当然」なのに、間違いはなぜ起こるのか。広瀬さんの読解が冴える回です。

 息子が小学校1年生のころです。こんなプリントを持って帰ってきました。解答があまりに宇宙人過ぎて、採点した先生が、なんだかもう困惑してる様子が伝わってきます。

 「この子、数の数え方わかってんの?」と思われたのか、ていねいに数字まで振ってくださっています。まったくお手数おかけいたしました……。

 

 まあ、それ以前に、名前くらいひらがなでいいかげん書けろよ、というツッコミは置いておいて(鏡文字の問題はまたいつかとりあげます)、肝心のこの解答、ここまでぶっとんでると、むしろもしかして彼なりの法則が……? いやあるわけないか……あったら解読してやりたい!というのが親心?

 果たしてこの日は、当の息子が寝たあとのSNS上で、友人7人くらいでこの解答をサカナに、ああでもないこうでもないと盛り上がり、結局何なんだよ!と息子が翌朝起きるのを待ち構えて聞いてみたところ、

 「「まえから」を上から数えることだと、そして「うしろから」を下から数えることだと間違えてたんだよ」

 と涼しい顔で説明されてしまいました。ま、まさかのこういうことだった!大の大人7人、誰もこのオチは想像しませんでした。確かにプリントを机の上に置けば、紙の上方は前、下方は後ろでしょうけど。

 

 設問に出てくる「さる」は、全部で4問ある設問同士のなかで何番目、というふうに解釈していたんですね。うーん斜め上だわ。

 プリントの冒頭にあるこのイラストはただの飾りじゃねえんだよ〜っ。これ↓見て答えるんだよ〜っと声を大にして伝えたい。こんなの誰が見ても当然のことに思えるものの、彼にとって何がハードルだったのか、がんばって考えてみたいと思います。

 このプリントにおいてはこの6匹(頭)の動物たちが登場するこのシーンが、この問題に答えるための「世界」です。もしこれを小学校の教室でやるならば、この絵を大きくして黒板に貼って、尋ねたい動物(くまならくま)を棒で直接指して「これは前から何番目?」ってやればいいところです。

 しかしプリントとして配布する場合、どの動物のことを言っているのかを教師が目の前で直接指してあげるかわりに、設問の中の表現で伝えなければなりません。

 
 そのために設問のなかで「くま」とかのバストショット画像(アイコンとも言うべきか)を使って、何のことを訊いているのか示しています。

 行列の中でぶたの後ろで歩いてるくまのことを、くまのバストショットで指し示すことができるのは我々大人にとってはいちいち説明の必要もないことですが、これらの画像の位置づけは、実は根本的なところでとても大きく異なるのです。どういうことでしょう。

 行列の中で歩いているくまは、ここで世界とされているシーンに登場するくまそのものの実体として了解されます。特定のシーンにおいて行列を作ってぶたの後ろを歩いていたことになっているくまです。

 一方、後者(バストショット) は、これ自体が実体を持つのでなく、「さっき見せたシーンの中の特定のものを指し示すための記号・シンボル」としての役割を果たしています。この記号をとおして、黒板に貼った絵を目の前で「これ」と直接指すかわりに、冒頭の行列シーンのなかの特定の実体に言及するという機能を担っているのです。

 だからね、その記号がある位置そのものを訊いているんじゃないんだよ〜。記号を実体として解釈してしまったというのが本件の間違いの本質でしょう。

 というわけで、このプリントでは、小学1年生の子供たちに対して、「実体」と「記号」に共通したビジュアルが使われていることを理解したうえで区別することが求められているということになります。

 大人にとっては「同じ絵だからわかりやすいでしょう?」と思うところが、子供にとってはかえって紛らわしい結果になることもあるんですね。

 たぶん他のクラスメイトはそれでも正解できてたんでしょうが、むしろそっちのほうがすごい気がしてきた。

 なお、「記号」として使えるのは、画像(アイコン)だけではありません。言語はまさにその役割を果たします。「昔習ったなあ」と思いつつ、この件を無理やりかの有名な言語哲学者ソシュール大先生のお言葉にあてはめると、「くま」は「記号表現」(シニフィアンsignificant) 、そして「くま」という音をもつ語で表される概念(こういう動物という概念、イメージ)一般は「記号内容」(シニフィエsignifié) として区別され(なのでこの行列画像に登場するのは、その意味概念の一例とみることもできるでしょう)、さらに行列画像に登場する特定のくま(個体)だけを問題とする場合は「指示対象」(レフェラン référent)と位置づけられます。ソシュールは言語とは何かを考えるにあたり、言語表現が表す概念と、言語表現そのものは元来独立したもので、その結びつきは本来恣意的なものであることを説きました。

 まさか、息子の珍解答をソシュールに着地させるんか〜い、というと畏れ多いにも程がありますが……それはさておいても、言語表現そのものの音形、表記形態に、意味概念や文法(統語)的情報がどう対応していて、さらにその表現が実世界の特定の場面で何を指すことができるか、という関係性は、言語理解や産出に関する心理言語学一般においても重要な話題です。

 というわけで、この珍回答のナゾは、たとえ同じ見た目のイラストでも、それが「記号」表現である場合と「実体」を直接示す場合とを直感で区別できるか6歳児!というところにあることがわかった気がします。

 なお、プログラミングに詳しい研究仲間からはこんなご指摘も。

 なるほど、行列のなかのくまは、プログラミングの概念においては「インスタンス」(実体)であり、一方くまのアイコンは「クラス」(特徴を指定するテンプレート)ということですね。この区別が正確でないとプログラムは走るわけもありません。

 息子、なるほど普段の行動からしてバグりまくってるわけだ…。