加納 Aマッソ

第31回「チューリップ好き?」

 女性アイドルが出演する番組のMCをやらせてもらう機会があり、それと同じ時期に友人から、彼女が応援している、いわゆる「推し」の話を聞くことが何度かあったことで、自然と「オタク性」というものを考えるようになった。最近ではそれを題材とした小説にも出会い、この夏は私にとってより興味深いテーマとして日常の思考に入り込んでいる。
 中学生や高校生の頃は、正直いうと特定のアーティストやアイドルに入れ込んでいるクラスメイトが少し苦手だった。いや、ただ入れ込んでいる分にはなんの問題もないが、口を開けば「◯◯君が昨日テレビで……」と、推しの話を見たままにするばかりで、「友人との会話におけるサービス精神」を全く意識していないことが気になった。面白おかしく調理して、こちらも思わず引き込まれるような語り口であった子もいないわけではなかったが、たいていの子はそのトークで伝えたいことが「いかに自分がその人への思いが強いか」であった。
 そういう子を前にした時、私はよく小さな無力感に襲われた。この子といくら別の話題で笑い合ったとしても、「その日あなたを楽しませたのは誰ですか?」と聞いたらきっと「ミュージックステーションでカッコよく踊っていた◯◯君です」と言われてしまう。多感な時期に目に飛び込んでくる他のいろんなことに興味を示さないのもなんだか怖かった。そういった、こちらが感情に入り込む隙間のない感じが、そして推しがいる子の「私の心を動かすのは一人だけです」というスタンスが、「ごはん食べて帰れへん?」も「今度の土日遊べへん?」も封じた。私は交友関係において恥ずかしいくらいに欲張りで、違うグループの子と話した時にめずらしく笑ってくれたことなんかをその日家に帰ってまで思い出して「でもきっと彼女はすっかりあの会話を忘れて趣味に興じているのだろうな」と考えてはヘコんだ。そしてヘコんだ後は、「なんでヘコまなあかんねん」とだんだん腹が立ってきて、しまいにはポコッと頭の中にチューリップが咲く。私は花のなかでもチューリップが好きだったので、「明日反撃で、チューリップがいかに好きかっていうどうでもいい話を延々したろか!」と思うのである。
 そんな学生時代から一転、今では誰かから好きな人の話を聞くのがとても楽しくなった。あまりにも嬉しそうに話す姿を見て、こちらまで嬉しくなることも増えた。この変化はなんだろう。社会にでて、みんなそれぞれ少しずつ生きづらさを覚えていることを肌で感じるからだろうか。情報の濁流の中で、他者の「推し」の選択を見て、自分の感性ではキャッチできなかった部分を教えてもらっているように思うからだろうか。
 以前番組のロケで出会った20代のおとなしそうな女の子に「好きなもの何かある?」と聞いた。その子は、顔を真っ赤にして、聞き取れないくらい小さな声で「……おそ松さんです」と答えてくれた。それがあまりにも微笑ましくて、しばらくその表情が頭から離れなかった。その子は、私の言ったことには笑わなかったけれど、おそ松さんの話をすると驚くほどの笑顔を見せた。初対面でもこんなに笑った顔を見られるなんて、おそ松さんありがとう、と思った。そして彼女はカメラの回っていないところで、職場での人間関係に悩んでいると教えてくれた。彼女の心のぜんぶにおそ松さんが行き渡ればいいと思った。そのあと、「チューリップ好き?」と聞いてみた。その子は「は?」という顔をした。さっきの笑顔からの落差に、私は思わず吹き出した。笑いながら、ほんのほんのちょっとだけ、おそ松さんになりたいな、と思った。
 

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