朴沙羅

証言・行政・当事者性

水俣のいまと記憶の継承

2020年7月25日、天劇キネマトロンにて、水俣病センター相思社の永野三智さんと社会学者の朴沙羅さんによる対談が行われました。主催者の牧口誠司さん、登壇者のお二人の了承を得て、当日の模様を掲載いたします。なお、公開にあたり原稿の確認および加筆修正をいただいています。

受け取れるもの、受け取れないもの 朴沙羅

 朴沙羅と申します。京都から参りました。日頃は大学で仕事をしています。今日は、昔から気になっていたことについて話したいと思います。いろいろな体験を語ってくれる当事者の方は、みんなお亡くなりになります。その話をうっかり聞いちゃうこともありますよね。聞いてしまったら、どうすればいいのかなというのが、とても気になっています。

記録したあと、どうすればいい?
 私自身、うっかり聞いちゃう場面がいっぱいありました。母が、京都の東九条で、むかし在日一世の女性たちを対象にやっていた「九条オモニハッキョ」(オモニ=お母さん、ハッキョ=学校)という識字教室に連れて行ってくれていました。そのへんをチョロチョロしていて、休み時間になると、むかし「闇市で[売るために、電車に乗って北陸地方から京都まで]米を運んだ」「[電車に乗っていたら]警察が来るというから、電車の[窓の]向こうに米を投げた」とか、そういう話をしている。
 母方の祖母は日本人なんですが、私が小学生のとき母が、「風呂屋に来た新島八重が、つるぴかの肌ですごかったらしい」という話を職場の近所の人がしていた、と祖母に言ったんです。すると祖母が、「あんた、その話を、普通の人の話を記録しておきなさい。それが歴史なんだよ」って。祖母は管理栄養士を育てるひとでしたが、「民俗学の先生はいいもんだよ。あちこち行って、いろんなひとの話を聞いてさ、食べるものつくって、大学で授業できるんだよ」とも言っていました。
 私は、祖母の話を刷り込まれちゃった。大学の先生は、なってみたらだいぶ違ったんですけどね(笑)。それで、記録するのはよい。これはおもしろそうだと。しかし、そのあとどうしたらいいんだろうって思ったんですね。残せないこともいっぱいあります。
 親戚が話したことを右から左に書いた本(『家(チベ)の歴史を書く』)を出さしてもらったことがあるんですけど、静岡人の祖父に読んでもらったところ、関西弁がきつすぎて何を言ってるかよくわからなかったと言ってました(笑)。この本では、ほんとうにやばそうな話はぜんぶカットしたんですよ。

「語り得ないもの」はない
 文字に残しちゃうと、だれでもダイレクトに、文脈を共有しないひとにも話が伝わってしまう。実は、私の伯父には極道のひともいます。でも、たとえばアメリカ人が、「私の親戚はアメリカ人で、やくざだったんです」と言っても、「アメリカ人やばい」っていう話にはならない。じゃあ、なぜ在日コリアンだったら「ほらみろ、やっぱり朝鮮人はやばい」ってなるのか。そういう偏見を、まず問題にしないといけない。それは当たり前なんだけど、そのうえで、話を聞いた人に迷惑かけたらあかんから、残せないこともある。だから、書き残すには長かったり話が込みいっていたりしたものを、ひとびとは定型にしてきたんです。つかみとおちのある笑い話とか、身世打令(シンセタリョン=自身の身の上を歌と踊りに乗せて語る)とか。
 『レッド・ツェッペリン オーラル・ヒストリー』のような有名人聞き書きは、研究者が政治部の記者みたいに、「お前それ、ほんまか」って詰めるんですね。それとは逆に、永野さんがやっておられるような、そのままだったら残らないものを残すオーラルヒストリーもある。残せなさそうなものをなるべく残すけど、やっぱり残せないものもある。それは、書くものと聞くもののちがいでもあるはずなんです。
 もちろん、聞き取れないこともあります。大学院生のとき、戦後に韓国から日本に移住してきた人たちの話を聞かせてもらいました。デイケアにいらっしゃるおばあさんで、日本の敗戦のときに日本にいて、すぐに韓国の済州島に戻ったら、そこで4・3事件(1948年、韓国の政治的分断に端を発した島民の虐殺)が起きた。そのときに無一文になる。「あんなやったら行かんかったらよかったわ」って何遍も言うんです。そんな貧乏になったんかなと思って。話を聞きに行って2回目の終わりくらいに、そこのデイケアの職員さんから、「あの方は実は、日本に戻ってきてすぐに息子さんを亡くしておられる」と言われました。それは「行かんかったらよかったわ」って言うわ、と。私は知らないけど、デイケアの職員さんは知っておられた。私には、そこまでは聞けなかった。
 社会学者の中には、オーラルヒストリーの中には「語り得ないものがある」とかいう人もいるんですが、そんなことはない。私たちが聞いてもよくわかんない語彙や表現の仕方だったり、そのまま言われたらドン引きしちゃうようなことだったりして、単に、わたしたちがそれを完全に理解できるほどの状態にないだけ。語ってくれる方は一所懸命、わたしたちに伝えてくれていると思います。

なぜ一貫した筋で語れるのか
 書かれているものはダイレクトに伝わってしまうのに、なんで話すときはそうならないか。そのひとに会うまでにいろいろ前段階ができるからです。フランスの社会学者でピエール・ブルデューというひとがいます。1980年代に、同僚がいっぱいインタビューをして社会のことを明らかにしていこうという調査をしたときに、「人生は本来一貫してなくてぐっちゃぐちゃで、ひとつの筋にして話せると思うほうがおかしい」とブルデューは言ったんですね。
 それはそのとおりです。だって、私が自分の人生を話すとき、ぜったい取捨選択しています。何者としての自分を伝えたいかで、私が何を回顧するかは違うはず。たとえば永野さんには隠れた趣味があったりするのかもしれないけど、私たちがここに来るまでの時点で、「相思社の永野さん」ということはだいたいわかっている。そのひとの話を聞きに行きたいと思って行くんだから。聞き手と語り手が出会うまでの段階で、自然と「こんな話を聞きたい」という前提が共有されているから、語り手は一貫した筋で語れるんです。
 ひとの人生をほんのちょっと聞いて、なんかわかった気がするのはなぜか。私がだれであるかは、この場が決めるからです。私はめっちゃジクソーパズル好きなひとかもしれないけど、いまこの場ではどうでもいい。このひとはこういうものという想定があるから一部でも一貫して話ができるし、それを聞いてなにかがわかる。
 集合的記憶論という研究があります。それによれば、モニュメントや公共施設、慰霊祭といったものは、グループの枠をもう一度つくりだす機能をもっている。広島の被爆の物語をみて感動するのは、状況によっては、被爆国家である日本の、「日本人」というラインを引くかもしれない。朝鮮人も被爆したけど、朝鮮人はその記憶の共同体に入らないかもしれない。みんなで思い出したり、なんらかの過去に関する物語をつくったりするときに、その筋に合わないものは切っちゃうんですね。

歴史と「このひとの人生」
 ということは、だれかの話を聞いてしまったとき、「誰だったらその話を共有できるのか」「何をしたらそのひとの記憶を継承したことになるのか」という問題がつねにつきまとってくることになります。
 ひとつの方法としては、聞いた自分自身についても書く。これは、追体験がしやすいと思うんですけど、何者として何を体験して何を書くのかという立場性の問題が、絶対に出てくる。社会学者でも、聞いた内容ではなくて聞いた私についての振り返りが大事だというひとがいます。フィールドワークに行ったけど、フィールドのことよりも、自分の話を書いてしまう場合です。
 あるいは、聞いてわかったことを知識として書くという方法もある。永野さんも出演された、荻上チキさんの「Session-22」に、アウシュヴィッツの日本人ガイドの中谷剛さんという方が出ておられました。中谷さんは、自分はユダヤ人ではないし、戦争も体験してない、ここで起きたことを知識として誠実に伝えるということが自分の役割だ、とおっしゃっていたかと思います。そういうやり方もある。ただ、このふたつ以外の、ほかの方法もありそうなんです。そのへんは、調査してみないとわからない。
 慰安婦問題をずっと支援している友人が「慰安婦問題」という歴史的な事件は、「歴史じゃなくて、このひとたちの人生なんだと思った」って言うんです。これってすごいピンとくるんだけど、でも、前もって歴史の知識がなければ、そのひとが何を言ってるかさっぱりわからない。私が伯父の「飯食ってたら警官が家にやってきて、とにかく外出ろ言うんや」っていう話を、何の前振りも知識もなく聞いたら、「ハラボジ、何か悪いことしたん?」ってなる気がします。4・3事件があって、伯父はこのときとても状況の悪い場所に住んでいた、という歴史的知識があるから、何を話しているかわかる。前もって歴史を知らないと、ひとの人生はわからない。だけど、そのひとの人生を想像することができないと、歴史の意味もさっぱりわからない。

記憶の継承?
 アレクシェーヴィチというノーベル賞作家の書いた『戦争は女の顔をしていない』に、「人間は、戦争よりずっと大きい」と書いてあります。これは、どういう意味でしょうか。この本で語られている独ソ戦は、何百万というひとの人生を無茶苦茶にしたわけですが、その巨大な歴史的な惨事を、この場にいる、このおばあちゃんは、語ることができてしまう。そういうことなんだと思うんです。人間は、体験をこの場の状況や話に閉じ込める力をもっている。独ソ戦すら、それを生き抜いた「わたし」を、この場で成立させる道具にできてしまう。
 話を聞くことじたいが、歴史的なことなんです。ある体験をした人が、自分がその体験者だと名乗り出ることができるのは、その話を聞きたいという人がいる、その話ができる状況だと思える、そういうときだからです。その状況は、めったに訪れません。私は水俣病だと名乗り出られる、話を伝えたいというひとがそこにやってくる。話を聞くとき、私たちはすでに、誰が何について話をするのか、あるていどわかっている。だから、聞きに行くことができる。で、書くときは、そういう前提条件をぜんぶ書かなきゃいけないから、すごい大変ってことですね。
 私は、だれの記憶も継承できません。職業や役割は継げるかもしれないけど、記憶は継げない。だって、記憶というものは、あるひとをそのひとたらしめるものとして、わたしたちは聞くからです。記憶を聞くというのは、そういう条件が必要だから。でも、そのうえで、このひとが誰であるかは、その状況と不可分なのです。状況のなかでのみ、その人が誰であるかは決まる。
 「慰安婦」問題に関わってきた方々に話を聞かせていただくと、生存者の女性たちに出会うためには、どうしたって自分が日本人である、あるいは日本社会の構成員であるという責任をチャラにできないんです。でも、実際にその女性たちに会ったら、日本人であることをチャラにさせられてしまう瞬間があるようなのです。「我こそは日本人の代表なり」という感覚ではいられなくなる、というか。
 日本人代表ではないというのは、「何者でもないただの私」であるという意味ではありません。状況に応じて、何者にもさせられうる私です。その場の状況に関連する多様な立場とそれに伴う責任とを、他の誰にも代わってもらうことのできないまま、一人で背負う可能性のある、そういう私です。私もあなたも女性ではある。でも私たちの立場は、歴史的にも政治的にも、同じではない。ごく一部の話を聞かせてもらっているだけなのに、ある人の人生を受けとってしまう場合があります。そういうとき、私たちはその話を聞いてしまった一人として、次に何をするかを迫られてしまいます。状況によって何者にもされうる個人として、この人の話を聞いてしまった個人として、この人に関係するこの状況に、応答する責任を負うからです。在日1世のオーラルヒストリーもそうです。水俣病の患者さんのお話もきっとそうでしょう。
 では、受け取った個人として、次にどうしたらいいでしょう。まあ普通に考えて(社会)運動ですよね。私は、運動にはいろんな種類があると思っています。ひとつは政治的な、達成目標のあるもの。アメリカなんかにはハウツー本もあるし、大学で講座があるとも聞いています。これはみんなでワイワイやるほうが効率的です。
 それ以外にもうひとつ、個人を押す、個人の振る舞いを少しだけ変えるという方法もあるはずです。もと「慰安婦」の女性の話を聞いてしまった私は、もしかしたら家族旅行でソウルへ行ったとき、歴史の博物館に行ってみようと思うかもしれない。集会があったら、自分もちょっと行こうかなと思うかもしれない。誰かの話を聞いてしまった私は、こうやってひとり、動かされてしまった。それなら、私は受け取った自分の行動によって、もしかしたらまたもうひとり、ほんの少しでも、動かすことができるかもしれない。小さいことかもしれないけど、それもひとつの運動だと思うんです。個人としての応答が可能だから。記憶を聞くとか証言を聞くというのは、そういう行動だと思います。

うんうん死ぬまで押す
 まとめます。ある人の人生を、私たちはなぜ聞くことができるのか。それは、その人がどんな人であるかがわかり、その人の話を聞きに行く人がいたり、その人がその人として話ができたりする状況ができるからです。そのこと自体、歴史的な事件です。そして、その人は、何百万人もの人生を変え、あるいは消し去った歴史的な大惨事すら、今のその場における自分自身の話を成立させるための条件に変えることができます。
 だから、人間は歴史より大きいのです。そして、そんな大きな人間に出会ってしまった私は、次にどうすればいいのか。いろんな方法があるでしょう。みんなでワイワイ活動してもいい。しんどかったらやめてもいい。話を聞いて、変えさせられてしまったひとりとして、別のひとりを動かすよう試みてもいい。話を聞いて、何かを受け取ってしまったのなら、それに応えなければなりません。
 最後に、京都大学教育学研究科の駒込武先生が、フェイスブックでご紹介しておられたのですが、とてもいい文章だったので、引用させていただきます。夏目漱石が芥川龍之介と久米正雄に書いた手紙です。

「あせつては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか与へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。决して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。さうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません」(夏目漱石、1916年)

 話の通じる「文士」を、かっこいい言葉で押すほうが、ずーっと楽なんですけどね。何か立派なことをしたような気分になれるし。でも、それじゃ世の中は「一瞬の記憶しか」与えてくれないんだそうです。私が知っている、話をしてくれた人たちは、彼ら自身の方法で、文士ならざる人たちを、「うんうん死ぬ迄押」してます。だから、私もそのように、自分なりの方法で、毎日毎日、うんうん死ぬ迄押さないといけないんだろうと思います。

2020年9月16日更新

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永野 三智(ながの みち)

永野 三智

1983年、熊本県水俣市生まれ。2008年、一般財団法人水俣病センター相思社職員となり、水俣病患者相談の窓口、水俣茶やりんごの販売を担当。同法人の機関紙『ごんずい』に「患者相談雑感」を連載する。2014年から相思社理事、翌年から常務理事。2017年から水俣病患者連合事務局長を兼任。著書に『みな、やっとの思いで坂をのぼる―水俣病患者相談のいま』(ころから)がある。

朴 沙羅(ぱく さら)

朴 沙羅

1984年生まれ。専攻は歴史社会学。単著に『家(チベ)の歴史を書く』(筑摩書房)、『外国人をつくりだす――戦後日本における「密航」と入国管理制度の運用』(ナカニシヤ出版)、編著に『最強の社会調査入門』(ナカニシヤ出版)、訳書にポルテッリ『オーラルヒストリーとは何か』(水声社)がある。1984年生まれ。専攻は歴史社会学。単著に『家(チベ)の歴史を書く』(筑摩書房)、『外国人をつくりだす――戦後日本における「密航」と入国管理制度の運用』(ナカニシヤ出版)、編著に『最強の社会調査入門』(ナカニシヤ出版)、訳書にポルテッリ『オーラルヒストリーとは何か』(水声社)がある。

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