冷やかな頭と熱した舌

第1回 
社会にでるうえで、とても後ろ向きな出発点

全国から注目を集める岩手県盛岡市のこだわり書店、さわや書店で数々のベストセラーを店頭から作り出す書店員、松本大介氏が日々の書店業務を通して見えてくる“今”を読み解く!

 

 15年前に書店に勤めることを選んだ、あの時の自分の選択を、自分の心の有り様を、始めに記しておきたいと思う。僕がどういう経緯で書店に勤めることになったか、その不純な動機を書かなければ、この連載を始められない。「動機はできるだけ不純なほうが、持続する」と主張する自己啓発の重鎮もいるが、あなたはこの言葉をどう思うだろうか。
 しばし個人的な回想にお付き合いいただきたい。もしよければご自身の就職時の気持ちなどを思い出しながら、お読みいただければと思う。

 大学4年の春、京極夏彦に衝撃を受けて妖怪の魅力に目覚めた僕は、卒論に泉鏡花を選び、その幻想世界に酔いしれながら「働きたくねぇな」と心の底から思った。来年の桜が散る頃に、社会人になっているなんて信じられなかった。桜が二度と咲かないことを本気で祈った。学生気分がぬけず、社会に出るのが怖かったのだと今は思う。新緑とともに芽生えた気持ちは、水も日光も与えられていないのに日々育ち続け、残念ながら枯れることはなかった。将来の選択を保留すれば、そのぶん可能性も保たれると勘違いしていたのかもしれない。周りの友達が就職活動に力を入れ始めるなか、部屋にこもってただただ卒論を書いて過ごした。
 そんな時、どこから情報が漏れたのかいまだ謎だが、当時住んでいた西荻窪のアパートの郵便受けに、入社試験の案内が舞い込んだ。いつもと違う色の封筒だったので、ついに本格的に生活インフラを止められる時が来たのか、肝を冷やした。封筒を開け中身を確認して、気持ち悪さと疑念が持ち上がる。しかし、それが好奇心に変わるのに時間はかからなかった。いち早く内定をもらったという友人に連絡を取り、部屋を訪ねて聞いた。こんなことってあるのか、と。「笑点」から目を離さずに「あるんじゃん?」と答える友人に、こんな適当な受け答えをするやつでも面接に通って、内定をもらえるのだということに勇気を得て、何の会社なのかも確かめることなく、とりあえず入社試験を受けようと決めた。きっと内心では、変化を求めていたのだと思う。外部からもたらされた変化は、進むべき方向を決められない僕にとって渡りに船だった。

 鏡花の非現実的な世界から抜け出てメールを送ると、数日後に社へ来て欲しいという返事が来た。東京駅近くのオフィスを指定されて、のこのこ出かけてみれば、どうやらそこは当時ITバブルに沸くソフトウェア開発の会社らしく、広い会議室にたったひとりで座らされ筆記試験を解いた。学生時代の大半を、無駄な読書に費やしたかいもあって、雑学問題全般だけはよく解けたと思う。その後、日をおかずに2回の面接を経て内定をもらった。働きたくないはずだったのに、自分自身がなにか価値ある人と認められたようで素直に嬉しかった。ブラック企業という概念すらなく、腹黒でおなじみの円楽が楽太郎だった時代の話だ。友人の見立ては正しかった。
 10月に、内定者説明会があるとのお達しを受け出かけてゆき、10人くらいの「同期」とともに一緒に説明を受け、その後社内を見学して回った。昼時に重なり、「社員食堂で好きなものを」という流れのなかで、おごりなのに一番安価なラーメンを頼み、昼食の時間中、誰とも口をきかなかった。同じ空間に知らない人が増えれば増えるほど無口になるべし、とDNAに刷り込まれた東北人の悲しい性だ。
 その後、案内役の人事部の人が社員の生の話を聞かせたいと、仕事中のオフィスへとドカドカと入ってゆき、パーテーションで区切られた小部屋の人物へと声をかける。数秒の間を置いて迷惑そうに振り向き、目元に厳しさを漂わせながら、聞かれるままに仕事の内容を話してくれた人が、「ラーメンの鬼」と呼ばれた佐野実に似ていたことを記憶している。
 彼の口から「留学」という言葉に続いて、「シリコンバレー」「MBA」と予想外の単語が飛び出した時点で、進むべき道の厳しさを予想した。この時期、IT革命という言葉ばかりが一人歩きして、誰しもがインターネットに対して過剰な期待を寄せていた。バブルではじけ飛んだはずのなけなしの金がかき集められて、ITっぽい空気をまとっている海千山千の会社に大量に流入していた。
 僕が受けた会社もそのうちの一つであるのか、佐野実似のデキる社員も、能力以上の頑張りを見せなければ評価されないと推測される「能力給」に縛られ、相当ストレスを溜めこんでいるように見えた。眉間に深く刻まれた縦ジワと、説明の最中に何度も繰り返される溜息が、如実にそれを表していた。
 同期の連中は皆、目を輝かせて社員の話に耳を傾けていた。自分の能力へ絶対の自信をよせ、可能性を信じる彼らはきっと、決められた形に自身を当てはめてゆくことに疑問を抱かない。そういう人間もいる。だが、不純な動機の意識低い系の自分には、そんな苛烈な競争に身を投じることは不可能だと思った。
 その日、アパートに帰ってから、人事の人に「郷里の母が倒れたので内定を辞退します」と噓の電話を入れ、戸惑う先方に対して、こちらの事情ばかりを謝罪を間に挟みながら繰り返し述べて、なんとか内定辞退を承諾してもらった。
 ほんの一瞬だけ人生が交差した同期たちに対して僕は早々と敗北を宣言し、彼らとの軋轢を未然に回避して、自分のフィールドである文学の世界へと逃げ帰り、卒論制作に勤しんだ。

 インターネットによって、私たちの生活は便利にはなったが、当時まだ黎明期を脱していなかったIT業界は、三木谷氏や、ホリエモンのように時代の風を読んでうまく波を捉え、チャンスを生かした一部のIT長者を生み出した一方で、未来における富める者とそうでない者との間に見えない線引きをしたのだと、いま振り返ってみて思う。それまでの生活にはなかった「通信費」という、21世紀のいわば新しい年貢が課せられることになって、そうでない者の生活はより圧迫されることとなった。いま取り上げられる格差は、元をたどればここから始まったと私は思っている。
 僕が内定を辞退した会社は、事業を拡大し続けている。あの同期たちは、年貢の恩恵を受ける側へともぐりこみ、僕は年貢を徴収される側を選んだ。

 このように根性はなかったが、時代の逆をゆく感性と使える時間だけはあったので、提出枚数の3倍の原稿用紙150枚もの量の卒論を書いた。しかし、対象作品の梗概が一切記されず、自説を述べているばかりで、読む者に優しくない論文を150枚も書いたことで教授を驚かせたものの、高くはない評価を得た。
 年が明けた21世紀最初の年。何の見通しも希望も持たないまま、北の実家へと帰る。東京では散った桜が、車窓からみえ、降り立った盛岡ではまだつぼみだった。
 帰って来た故郷で、すごろくの「ふりだし」にもどったつもりで求人情報誌を買った。実家に住まわせてもらっている手前、金を稼ぐ姿勢を見せなければならなかった。「働きたくねぇけど、これなら楽そうだな」と、まえに広末涼子の写真集を買ったことのある本屋「さわや書店」に面接に行き、目は笑っていないが目元が優しげな店長と面接をして、採用された。同期はいなかった。動機は変わらず不純だった。

 東北にある決して人口が多いとは言えない都市で、僕は本を読んで20代を過ごし、本を売ってもらった給料で暮らし、所帯を持って30代を迎え、現在39歳。楽かと思っていた本屋の仕事は、当たり前だが楽ではなかった。子どもが生まれてからは、働くということは「傍(はた)」を「楽(らく)」にすることだ、という言葉を知ってちょっとだけ心を入れ替えた。
 家庭でも職場でも責任は増していっているけれど、それと反比例するように社会における本の価値や重要性は徐々に低くなっているように感じる。
 そんな危機を迎えているのに15年経っても及び腰だが、僕なりに冷ややかに、そして時に熱く、本にまつわる事柄を語ってゆきたいと思う。

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