弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第四十回 「夜の街」という名前の街は存在しない――ホスト達のクラスター対策

クラスター発生源のひとつとしてネガティブに報じられることの多いホストクラブ。「夜の街」と「それ以外」として、そこで働いている人々が分断させられるばかりで、実際に彼らがどう行動し、どのようにクラスター対策を講じてきたかはあまり知られていません。今回は新宿区歌舞伎町の老舗ホストクラブ「ロマンス」でお話をうかがいました。

  第四十回 ホストクラブ「ロマンス」(1)

※ホストクラブの記事については拙著『夢幻の街~歌舞伎町ホストクラブの50年』(角川書店)の取材を参考にしています。詳細は下記URL。
『夢幻の街』連載サイト
 
https://kadobun.jp/trial/kabukicho50/k1cyqgerkxsw.html

 ホストクラブは、早い段階で国や都から「夜の街」関連の店の一つとして、新型コロナウイルスの感染拡大に寄与していると名指しされてきた。
 クラスターが起きたというホストクラブは、これまでにいくつもあるが、その内情はほとんど表に出てこなかった。だからこそ、社会から「無責任に営業をつづけている」「社会のことを考えていない」など非難の声が上がったという側面もあるだろう。
 だが、どれだけの人が、ホストクラブにおけるクラスター対応について知っているだろうか。
「ロマンス」は一九九〇年代の後半から二〇〇〇年代の前半に、ホストクラブ業界を牽引した老舗店だ。詳細については拙著『夢幻の街』をお読みいただきたいと思うが、この店でもまた、比較的早い段階でクラスターが発生した。
 ロマンスで起きたことを明らかにすることで、ホストクラブと新型コロナウイルスについて見ていきたい。

 ロマンスは、一九九七年に、人気ホストだった森沢拓也が二十五歳で立ち上げたホストクラブだ。
 九十年代の初頭まで、歌舞伎町には十軒ほどのホストクラブがあり、いずれも暴力団とがっちりと手を組んで裏世界に根を張っていた。当時そこに来る客の多くは大金を稼ぐソープランド嬢、銀座のクラブの有名ママ、もしくは裏社会の人間が主だった。
 ところが、バブルの崩壊後、それらの老舗ホストクラブが倒産し、代わりに二十代の若者たちが次々とスタイリッシュで新しいタイプの店をつくっていった。その先陣を切った店の一つがロマンスだった。
 ロマンスは、老舗ホストクラブの給与体系を大幅に見直すことで、ホストがプロ意識を持って店内の順位争いができる環境を整え、多額の経費を広告宣伝費に投じてアンダーグラウンドだったホストの地位を一般に認知されるまでに押し上げた。テレビや雑誌もそれを後押しした。加えて写真集の出版、イメージビデオの制作などを手掛け、これまでのホストクラブのイメージを一変させた。
 こうした店に客として集まっていたのが、当時は「ニュー風俗」と呼ばれるヘルスやファッションマッサージ店で働いていた風俗嬢や、援助交際に走り社会問題となっていた少女たちだった。若い彼女たちにしてみれば、古い伝統が残る老舗店より、まったく新しい店の方が遊びやすかったのだろう。
 その後、ロマンスは一九九〇年代末から二〇〇〇前半のホストブームの波に乗り、業界の旗手として急成長を遂げていく。この頃のロマンスは、まさにホストクラブ業界の中心を担っていたと言えるだろう。
 だが、それ以降、ロマンスの勢いに陰りが生じる。ライバル店のグループダンディやエアーグループがグループ戦略を押し進めて巨大化していく一方で、ロマンスはグループ化に失敗して後塵を拝すようになったのだ。それでもロマンスは一時代を担った店として知名度は高く、一店舗のみの独立系ホストクラブとして歌舞伎町で営業をつづけ、現在に至るまでそれなりの人気を得ていた。
 新型コロナウイルスの感染拡大が起こる前、ロマンスには総勢三十人強のホストと十人弱の内勤(裏方業務)など合計約四十人が働いていた。週休一日で、営業時間は十九時から二十四時半。ファーストチャージは一時間二千円からと安いが、一般的なホストクラブ同様にホストを指名して、それなりに遊ぶとなれば一回につき数万円は必要になる。
 二〇二〇年二月までは、ロマンスはさほど新型コロナウイルスの影響を受けてはいなかった。だが、三月に入ると内外の空気が日に日に変わっていくのを感じずにいられなかった。
 まず女性客がだんだんと感染を恐れて店に来なくなった。ホストが営業の電話をかけても、なんだかんだ理由をつけて来店を拒む。そのうちにホストの方からも「お客さんが不安がっているので、感染防止策をとるべきじゃないか」という声が上がりはじめた。
 店の幹部もそれに応え、一般の飲食店のように入り口に消毒薬を置き、内勤は全員マスクを着用して業務に当たることを決めた。ただ、接客の邪魔になるという理由で、ホストや客にまではマスクの着用は求めなかった。このままなんとか客足を維持できればいいというのが、みんなの漠然とした願いだった。
 だが、四月に入って緊急事態宣言の発令が迫ると、ホストクラブを取り巻く環境はより一層厳しいものとなった。国や都からナイトクラブの一つとして名指しされるだけでなく、歌舞伎町からも人が激減した。ホストクラブは法律上午前一時には完全に客を出して閉店しなければならないのだが、ホストと女性客がアフターで行くバー、カラオケラウンジなども続々と早じまいしていく。
 社長の三上麗は語る。
「四月になった時点で、緊急事態宣言が出るのは確実でした。あの時は、国全体の雰囲気もあって、うちとしては宣言が出たら休業するということを決めていて、そこに向けて準備も進めていました。自粛期間の補償については、ホスト一人に対して一週間につき二万円を支払うことを決めました。当初、国としては五月のゴールデンウイーク明けには宣言を解除するという方針だったので、一カ月くらいの辛抱だろうという想定でいました。延長されるかどうかまでは考えていませんでした」

 国が緊急事態宣言を出した四月七日、ロマンスは他の大手ホストクラブ同様に休業に踏み切った。その期間は、幹部同士のテレビ電話による会議や、LINEなどをつかった従業員への連絡などで、じかに接する機会を極力減らすことにした。
 もともと売れていたホストは、自粛期間中、指名客を離さないようにこまめに連絡を取り、時折オンライン飲み会などを行った。営業再開に当たってすぐに客を呼ぶには、休みの間もしっかりとつながっておく必要があるからだ。貯金もそれなりにあったことから、収入がなくなっても、しばらくは生活の見込みが立っていた。
 だが、まだ売れていない若手ホストからは、生活苦に関する悲鳴が上がるようになった。彼らは普段から手取り十万円以下で生活をしていて貯蓄はゼロだ。これにコロナ禍が加わったことで、携帯電話代さえ払えないような状況に陥ったのだ。店側はそういう者たちにはウーバーイーツなどの副業を許可なしに行っていいとつたえた。
 三上は言う。
「若いホストは大変だったと思います。このままの状況がつづけば、田舎に帰らなきゃならなくなるみたいな子もいましたから。みんなでこまめに連絡を取り合って、宣言が終わるまで耐え抜こうと励まし合っていました。
 歌舞伎町のホストクラブの中に、営業自粛をせずに店を開いているところがあるという話は聞いていましたよ。やるところはやると思っていたので驚きはありませんでした。ただ、うちはそれで方針を変えるようなことはしなかったし、ホストの方もそっちに移るようなことはなかった。みんな、ゴールデンウイーク明けまで辛抱すれば何とかなるという一心で自粛を守っていたんです」
 四月の終わりに差し掛かかる頃、ホストたちの間には営業再開への思いが膨らんでいたに違いない。
 そんな中で、ロマンスはゴールデンウイーク明けを迎えるのである。

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