地方メディアの逆襲

琉球新報「ファクトチェック」報道 編③ 沖縄で新聞記者になるということ

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 報道の現場と人を各地に訪ね歩く「地方メディアの逆襲」。先の沖縄県知事選挙を機に「ファクトチェック・フェイク監視」を始めた琉球新報に迫ります。

県外出身記者たちの葛藤と責務
 今年2月に刊行された『沖縄で新聞記者になる』(畑仲哲雄著、ボーダーインク刊)という本がある。元新聞記者で、現在は地域ジャーナリズムの研究者である著者が、琉球新報と沖縄タイムスの本土出身記者約20人に取材し、〈沖縄人ではない者が、沖縄で新聞記者になるとはどういうことなのか〉を深く考察している。
 同書によれば、両紙とも本土出身記者の割合は約2割。ともに戦後まもなく創刊(復刊)し、発行部数も拮抗する両紙は、互いに強烈なライバル意識を持ち、〈沖縄人の沖縄人による沖縄人のための〉報道を長く続けてきた。それが、県外出身者が5人に1人となった現在は、徹底して地元に根差す姿勢は不変ながら、視点の多様性という意味では〈すでに異なる段階にある〉という。
 そこに、琉球新報ファクトチェック取材班のデスクを務めた松永勝利と、記者の滝本匠も登場する。松永は東京の下町出身。高校卒業後は肉体労働者になるつもりだったが、ひょんなことから沖縄大学に進学し、そのまま新聞記者になった。自分は「よそ者」「植民者」である、沖縄に米軍基地を押し付けてきた加害者に連なる側であることを自覚的に語る松永の経歴と内省は大変に興味深いが、それは同書に譲る。ここでは、滝本の話を紹介したい。
 地方紙の記者になるということは、その地域の生活者、そして共同体の一員になることでもある。沖縄のように固有の歴史と文化を持つ──沖縄戦で本土の「盾」にされ、戦後は米軍に土地を奪われ、望まぬ基地を押し付けられてきた──地域で、ヤマトンチュ(本土の人間)がどのような立ち位置で取材し、記事を書くのか。きわめて重要な問題だと私も思い、滝本に質問を重ねていた。

知事選ファクトチェック報道が平和・協同ジャーナリズム基金賞を受け、スピーチする滝本記者

 滝本は大阪府岸和田市出身。京都の大学・大学院を経て、1998年に入社した。木材の研究をし、探検部に所属した学生時代から八重山の離島に通い、その風土に惹かれて就職先に沖縄の新聞社を選んだ。同じ県内でも、離島では基地問題は遠く、意識したことがなかったという。
 「1996年にあった前回の県民投票の時、たまたま那覇にいましてね。県庁前で東京のテレビ局が中継していたのを覚えています。当時はただの観光客で、他人事でしたが……」と苦笑する。ただ、米兵による少女暴行事件をきっかけに普天間飛行場の返還と移設の方針が決まったその時代を境に、琉球新報では県外出身者が増えていったという。
 沖縄の記者は、どんな仕事を担当しようと基地問題と無縁ではいられない。滝本も入社1年目で、いきなり直面する。稲嶺恵一知事(当時)による普天間飛行場の辺野古移設受け入れ表明を追う特別専従班として、松永と2人で名護市に詰めることになったのだ。2005~06年には同社初のワシントン特派員となり、米国防総省や国務省の会見に出席。在日米軍再編について広く取材した。帰国後は4年にわたって政治部の基地担当、通称「キチタン」を務めている。こうして入社から約10年の間に、滝本は基地問題のエキスパートになっていった。
 記者として、生活者として、基地と隣り合わせで暮らす県民の危険と不安、そして、日米安保体制の不平等に苦しめられる沖縄の現実を思い知らされた。米軍機の飛行ルートや夜間制限は守られず、騒音と危険にさらされる日常。生活圏への部品落下は珍しくなく、墜落事故もある。実弾演習場からの流弾や跳弾。県や市に通知のない降下訓練。米兵が交通事故や事件を起こしても、基地に逃げ込めば日本の法律で裁かれず、取材しても情報がまともに開示されない。日米地位協定の厚い壁──。
 「自分には沖縄の血は流れておらず、沖縄戦を経験した親族もいない。だから、沖縄の〝思い〟を語れない、矩をこえてはいけないと無意識的に考えてきたところもあります。でも今現在、沖縄に住む者として、日々実感し、目にする基地被害というファクトがある。それを取材し、背景にある原因や歴史的経緯を調べ、県民読者に伝えることはできる。僕にも許される。ヤマトから来たお前の責務、役割は何かと問われれば、そこかなと思っているんです」
 もちろん、県外出身記者の考え方も一様ではない。エイサー(お盆の伝統舞踊)に参加し、三線を弾き、地元に溶け込む者もいる。「ナイチャー(内地の人間)はやめました」と笑って語る者もいる。
 さらに言えば、県内出身者でも地域や世代によって、「沖縄アイデンティティ」や基地問題をめぐる意識に濃淡はある。たとえば、ファクトチェック取材班の池田哲平は石垣島出身で、やはり基地のある生活が想像できなかった。それが、沖縄国際大学の1年生だった04年、校舎に米軍ヘリが墜落する事故に遭遇し、「当事者」になったという。
 出身地もルーツも多様化する沖縄紙の若い記者たちは、それぞれの現場で沖縄の現実に直面し、取材を重ねることによって、まぎれもない「沖縄の新聞記者」になってゆく。