地方メディアの逆襲

琉球新報「ファクトチェック」報道編③ 沖縄で新聞記者になるということ

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 報道の現場と人を各地に訪ね歩く「地方メディアの逆襲」。先の沖縄県知事選挙を機に「ファクトチェック・フェイク監視」を始めた琉球新報に迫ります。

在京メディアの政局報道と地方紙の連帯
 官僚の前例踏襲主義。政治家の無策。そして「第3の壁」は、在京メディアの政局報道──。沖縄の過重な基地負担が一向に軽減しない構造的差別の要因を、滝本はかつてこう指摘したことがある。2009年、普天間飛行場の移設先を「最低でも県外」と公約した鳩山由紀夫が首相となった民主党政権を同時進行で追った長期連載『呪縛の行方』(後に書籍化。同社刊)でのことだ。
 日米両政府が普天間返還に合意した1996年以来、いくつも移設先が浮上しては消えて行った。同年のSACO(日米特別行動委員会)協議の過程では、当時の防衛庁幹部が北海道移設の可能性を探り、98年の非公式協議では、日本側が北九州や四国などの地名を挙げて「移設は可能か」と質問したのに対し、米国側が「当然だ」と沖縄県外への移設を認めている。しかし、それらは結局阻まれ、辺野古に回帰してゆく。
 政権交代を経ても同じことが繰り返されるとすれば、そこには、自民党政権時から派閥人事や勢力争いなどの政局報道にばかりとらわれ、沖縄の事情を顧みることなく、冷笑的態度を取る政治部記者たちの責任がある、という痛烈な批判だった。
 「当時の彼らの関心は、社民党が連立に残るか離脱するか、辻元清美氏(同党国対委員長・当時)がこう言った、福島瑞穂氏(同党首)がどう動いたみたいな話ばかりで、県外移設の可能性は本当にないのかといった政策面の話は一切しない。沖縄の立場で考えてほしいとまでは言いませんが、完全に他人事というのもどうなんだと思っていました」
 県内移設に抵抗する社民は「連立政権の和を乱す厄介者」と政治部記者には映るようだ、と記事は書き、「社民斬りだ」といら立つ在京メディア記者の言葉も記している。政府や官僚と目線を揃え、一体化した〝政局記者〟たちは、沖縄など眼中にないのだろう。ワシントン勤務時代も、二度目の東京勤務となる現在も、滝本はそう感じてきたという。
 「他人事感は、今の方がさらに強いですね。首相や官房長官の会見がよく批判されますが、彼らはとにかく予定調和の質問しかしない。そればかりか、質問する記者を白眼視し、嘲笑する。僕も沖縄に関しては積極的に聞きますが、あまり要領を得ず、進行役に『簡潔にお願いします』と言われることもある。周囲の記者にすれば、場を乱す存在でしょう。だけど、そのわりに、こちらの報じ方が気になるのか、『この話、琉球新報さんとしてはどうなんですか』と、後で聞いてきたりする。どうなんですかと言われてもねえ……」
 在京メディアに対するこうした違和感、という以上に、怒りや呆れを感じているのは、滝本だけではない。琉球新報の現・編集局長である松元剛(54)は繰り返し、鋭く指摘し続けてきた。

琉球新報社

 〈「沖縄の抵抗はしぶとい。力で組み伏せるしかない」「基地反対は振興策ほしさだ」。この発言の主は政治家や官僚ではない。一部の在京大手メディアの政治部記者が、外務省や防衛省の官僚や政権与党の幹部に進言した内容だ。権力のチェックを忘れ、弱い立場にある沖縄の声を組み敷けと進言することをためらわない。何様なのだろうと悲しくなるが、こうした話は誰が発言したかも含めあちこちから耳に入る〉(『REPORT』2013年6月号)
 〈(沖縄の)民意を一顧だにしない政権のありようと、客観報道に安住して安倍政権の強権性への検証、批判が乏しい大手メディアの報道も相まって、沖縄と本土の心理的距離は開くばかりだ。盛んに用いられてきた「温度差」という言葉ではフォローできない域に達している〉
 〈政権幹部ら有力者の意向が過度にクローズアップされ、総じて沖縄に妥協を迫る「落としどころ報道」「鋳型報道」の構図は変わっていないようだ〉(いずれも『Journalism』2017年8月号)
 一方で、松元は地方紙の報道や論説に希望を見出し、記事交流を通じた連帯に期待すると書く。先の『REPORT』では、米軍基地がないにもかかわらず、琉球新報の記事を転載し続けた高知新聞編集局長の「沖縄の基地問題は、けっして沖縄という地方の問題ではなく、日本の民主主義の成熟度を映す鏡だ」という言葉を引いている。13年に安倍政権が定めた「主権回復の日」は、沖縄にとっては日本から切り離された「屈辱の日」だが、その落差を指摘した琉球新報の記事は、高知新聞をはじめ、東京新聞、北海道新聞、河北新報、山陰中央新報、佐賀新聞などに転載されたという。
 滝本や松元の言葉にうなずきながら、ふと自分はどうだったかと振り返る。ライターとして、かつて地方紙に在籍した記者の端くれとして、沖縄に目を向けてきたか。基地が沖縄の人びとに強いる危険や苦痛を想像したことがあるか。何かを伝えようと取材や発信をしたことがあるのか。そう問われれば、返す言葉がない。