加納 Aマッソ

第32回「はじめましてぇ〜いや〜うひょひょ〜!」

 一般的に、人によって態度を変えることは良くないこととされている。たいていの場合はそうかもしれない。嫌われやすい性格、というテーマで話すときも決まってこの項目が挙げられる。
 代表的なものでいうと、部下には厳しいが上司にはこびへつらう男性、異性の前では極端にぶりっ子になる女性、などだろうか。世間の好感度は高いがスタッフには高圧的な芸能人、なんてのもある。こういった他人の二面性に嫌悪感を抱くのは、その人のより本性に近い側の一面に接触した時や、それによって自分が実害を被った時、そしてその人が取り繕った態度によって、能力以上の評価を受けているのを目の当たりにした時など、いろんな場合がある。
 自分はどうだろう、と考える。人によって態度を変える場面。
 ある。情けないけど、確かにある。
 しかし、愛ゆえに意図的に変えるパターンも存在する。「久しぶりに家族揃っておばあちゃんの家に行ったとき、過度に無邪気ぶってしまう」のがそうだ。これはよくあった。急に成長した私をみて、時の流れの早さにさみしさを感じてしまうかも、と考え、出されたごはんをむしゃむしゃ嬉しそうに食べる。「お菓子もあるから、好きなだけ食べや」と言われ、私は文字通り「わーい!」と言う。「わーい!」て言うてるで私、と内心では思うけど、悪いことをしている気はない。おばあちゃんの喜ぶ顔が見たいだけだ。万が一「こいつ、私の前でめっちゃ無邪気ぶってるやん」と思われていたらとてつもなく恥ずかしいけど、それは考えないようにした。私はおばあちゃんがかつて、おばあちゃんのおばあちゃんに無邪気ぶっていたところを想像する。あまい。全然無邪気じゃない。「私はそんなもんやないで」と闘志を燃やし、胃が千切れそうになるまで、出されたものを夢中で食べる。家に帰って寝転がり、「いや〜今日は無邪気ぶったでほんま」と言う私に、オカンは「あほ、小遣いもらおうとしただけやろ」と邪推した。おそらくオカンは「孫に比べて、感度の低い嫁」という目で見られた、という実害を被ったことに腹を立てていたのだろう。が、私は一人勝手に良い孫ができたことに満足していた。
 一方で、メリットもなければ腑にも落ちていないパターンがある。
「付き合っている人の女友達に会ったとき、ザコキャラを演じてしまう」というのがそうだ。これは、なんだ。過去、覚えている限りこういう場面が三度ほどあった。その度に私はとにかくザコキャラになった。ザコキャラ、って。正直ザコキャラという言葉が合っているのかも自信がないけど、あの時の態度は他に言いようがない。
 最初は高校生のときだった。付き合ったばかりの時期に、違う高校に通っていたその人と、学校帰りに駅で待ち合わせをした。隣に、その人と同じ制服の知らない女の子が立っていた。
 「クラスの友達やねんけど、会いたいって言うから〜」と紹介され、「はじめまして!」と言った女の子は、私のつま先から頭のてっぺんまでゆっくりと視線を這わせた。「ド、ドラマとかで見たことある目線!」と思い、焦った私はとっさに「はじめましてぇ〜いや〜うひょひょ〜!」みたいな事を言った。言い終わらないうちから「違う」という声が脳内に響いていたが、どうしようもなかった。10分ほど立ち話をしたが、こけしのように小刻みに首を揺らし、ヘラヘラと相槌を打つことしかできなかった。女の子とはその駅で別れたが、恋人にうひょひょ感を見られたショックで、その日のデートは会話もうまく弾まなかった。
 次の日、クラスの友達に話すと「なんやその女!」「威嚇せんかい!」「彼女らしく余裕ぶらんと」「うひょひょ、はまじで違う」と散々な言われようだった。そしてひとりの友達が「あんた、勝負から逃げたな?」と言った。私は雷に打たれたような衝撃を受けた。そうか、例の「上下目線這わせ」に臆し、私は10分一本勝負の試合を棄権したのか、と反省した。次こそは、と思ったが、大人になってからもその場面に出くわすたび、結局私は、うひょひょ感いっぱいのザコキャラで、危険を回避している。
 今でもつい、駅の改札口で男1女2の組み合わせを見つけては、「態度の変化」の正解を探してしまう。