地方メディアの逆襲

毎日放送「〈映像〉の系譜」編① 標的にされる「教育」と「メディア」

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 報道の現場と人を各地に訪ね歩く「地方メディアの逆襲」。ドキュメンタリー「映像」シリーズの放送を長年続ける大阪・毎日放送に迫ります。

橋下会見でのバッシングから見えてきたこと
 「勉強不足。そんなことも知らずに取材に来るな」「ふざけた取材すんなよ」「とんちんかん」「話が無茶苦茶」
 取材に答えるというより、相手を蹴散らそうとする橋下市長は苛立ちを募らせ、どんどん攻撃的になっていった。声を荒らげ、指を差す、その先にいたのが斉加だった。2012年5月8日、大阪市役所で行われた登庁時の囲み取材。遊軍記者だった斉加は、ニュース番組の特集取材のため、市政担当記者の放列に加わっていた。テーマはやはり教育。
 この年の府立高校卒業式で、一人の民間人校長が教職員の国歌斉唱時に「口元チェック」をした。橋下が府知事時代に制定した全国初の国旗国歌条例を徹底するためだという。だが、斉加が府下の高校校長にアンケートを取ったところ、回答者の半数以上が「やりすぎだ」と答え、8割以上は「起立斉唱をひとつと捉えればよい」と考えていた。その結果をどう見るか、橋下に尋ねたのである。
 これに橋下が激高した。「起立斉唱命令は誰が誰に出したのか」と論点をすり替えて逆質問を畳みかけ、斉加が回答を拒んで質問を続けようとしても、「まず答えてください。事実確認が不十分な取材には答えません」と拒否。斉加が府の教育長だと答えると、鬼の首を取ったように語気を強めた。
 「とーんでもないですよ! もっと調べてくださいよ。教育長が命令出せるんですか」
 命令は教育委員会が出したと橋下は言い、「自分は条例を作っただけ。教育委員会に聞け」と突き放したが、これは誤りである。斉加の言う通り、府の教育長名で全教職員と府立学校校長・准校長宛てに2通の通知文書が出ていた。だが、この件において、そこは本質ではない。橋下の意向で作られた条例の運用について、本人が見解を問われるのは当然であり、「質問に答えた記者にだけ応じる」などということがまかり通れば、権力者への取材など成り立たない。

大阪市役所の慣例だった橋下市長の囲み取材(2013年5月)

 だが、ネット世論は違った。会見の動画が流れると、「この失礼な記者は誰だ」と激しいバッシングが始まった。午後3時頃、何者かが匿名掲示板2ちゃんねるに斉加の実名を書き込み、それを機に顔写真や経歴が拡散。「反日極左記者」「こいつは在日で本名は違う」「MBSは解雇しろ」と、事実無根の情報に基づき、愚劣な誹謗中傷や罵詈雑言が大量に書き込まれていった。
 「取材相手に怒鳴られるようなことは、事件取材などで経験していますから、まあそういうこともあるかなと思ったんです。橋下さんの強い言葉には、嫌な質問をする記者を黙らせようとする意図を感じたので、逆にしつこく同じ質問を繰り返したところもある。『黙れ』と言われたら、反射的に『黙りません』となるのが、記者の本能というか。少なくとも、わたしは先輩からそう教わってきた。ネットの反応にも驚きはしましたけど、当時はそれほど熱心にネットを見ていなかったので、鈍感だったかもしれません」
 それよりショックだったのは、同業であるメディア関係者の反応だったと斉加は言う。橋下が彼女を面罵し続けた26分の間、周囲に数十人いた記者は他人事のように傍観し、黙々とパソコンにやり取りを打ち込んでいた。MBSの市政担当記者がわずかに一言フォローしたが、それ以外に「おかしい」と声を上げる者は一人もいなかった。
 「会見後、『なんで途中で切り上げなかったんだ』『仕事がやりにくくなった』と言う人もいました。同じ社内でも。自分の感覚がずれていて、変なことを聞いてしまったのかと一時は考え込みましたね」
 私は以前、在阪メディアと維新の関係を取材した際、この一件をどう見たか、メディア関係者に尋ねて回ったことがある。たしかに、斉加を擁護する者は皆無に等しかった。「市長も大人げなかったけど、あれは記者の勉強不足」「市長という立場の後ろには有権者がいるんだから、敬意を持って質問しないと」と語る者から、「彼女は市政クラブの担当じゃないから囲み取材の雰囲気がわからなかったんでしょう」と、斉加の「空気の読めなさ」を指摘する声まで。誰もが橋下の剣幕と詭弁に気圧され、その場の空気やネット世論に、いとも簡単に飲み込まれていた。それは現在も、国政取材の場でも、続いているように思える。
 教育とメディア。民主主義を支える二つの現場が政治の標的にされている。権力者や声の大きな者に付き従い、異論を許さぬ不寛容な社会になっている──。自身の経験から、斉加はそう考えるようになる。そして数年後、ドキュメンタリーの作り手となった時、それらが主要なテーマとなっていく。

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 ネットのバッシングは3カ月以上にわたって続き、検索窓に「さ」と打ち込めば、斉加の名前が出るような状況だった。その最中、心配して電話をくれたのは「ママ友」だったという。「焼肉店を経営する在日コリアンの女性です。彼女の夫もネットでひどく中傷されたことがあったそうで、わたしの2人の息子を家に来させて、と。ネットには事実に基づかない中傷や悪意がいかに多いか、言って聞かせるからって。嬉しかったですね」と、斉加は微笑む。地域で暮らす生活者であるからこそ、自分のことを知り、支えてくれる人がいる。あの電話に救われたことが今も忘れられない、という。
(つづく、次回更新は10月初め)