地方メディアの逆襲

第2回 大阪から「沖縄」を取材し伝える

毎日放送「〈映像〉の系譜」編

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 報道の現場と人を各地に訪ね歩く「地方メディアの逆襲」。ドキュメンタリー「映像」シリーズの放送を長年続ける大阪・毎日放送に迫ります。

沖縄の記者たちに見た「報道の原点」
 毎日放送(MBS)の『映像』を専属で担当するドキュメンタリー報道部へ、斉加尚代が異動したのは2015年7月のことだ。橋下会見でのバッシングの後に司法キャップを2年務めたが、その間は、自らの「軸足」の置き場に迷う時期だったという。
 「ニュース判断や特集企画をめぐって、後輩のデスクと意見が合わなくなってきたんです。わたしは先輩が相手なら、いくらでもケンカできるんですが、後輩から『視聴者はそんな話に興味ないですよ』『視聴率取れませんよ』と言われると、そうなのかなあ、と。メディアと社会の関係が変化していく中で、自分の座標はどこなのか、物の見方や取材手法はこれまで通りでいいのか、目が曇ってきたんじゃないか……と考え込んでしまって」
 そんな中、最初に手掛けることになったのが、沖縄の琉球新報への密着ドキュメンタリーだった。同年6月、自民党の勉強会で作家の百田尚樹が「沖縄の二紙は潰さなあかん」と廃刊をけしかける暴言を吐いた。ならば、沖縄の新聞の現場と報道姿勢を一度きちんと伝えようと企画した。ここには、部長でプロデューサーだった澤田隆三(59、現・報道局報道主幹)の助言があった。澤田が語る。
 「百田発言への反発はもちろんですが、あの場では『マスコミを懲らしめるには広告料を断て』という自民党議員の発言もあった。これは圧力で報道を捻じ曲げようとするジャーナリズム全体への挑戦だと思いました。沖縄の新聞社を孤立させてはいけない。メディアの枠を超えて連帯するべきだ。そう思って、斉加に企画を持ち掛けたんです。少し仕事の方向に悩んでいるようにも見えたので」
 澤田はテレビ局には珍しく、報道一筋の経歴を持つ経験豊富な取材者である。いわゆる「大阪ジャーナリズム」が隆盛だった時代の最後を記者として過ごし、ドキュメンタリーのディレクター時代には数々の秀作を制作した。斉加と相談し、いくつかの理由で、沖縄の二紙のうち琉球新報に照準を絞った。2人で取材交渉に行った日を、こう振り返る。
 「編集局長と局次長が出てこられたんですが、条件は一切なく、自由に撮っていいと言われたんです。報道機関だから秘密にしたい部分もあるだろうと予想していたので、豪胆さに驚きましたね。野武士くさいというか、自由闊達な雰囲気を感じました」
 斉加はすぐ、カメラマンとともに琉球新報編集局に入った。この連載にも登場した松永勝利が当時、政治部長を務めていた。彼と、その指揮で米軍基地報道に奔走する記者たちに1カ月間密着した。取材中、通告のない米軍の降下訓練やヘリの墜落事故があった。米軍が「ハードランディング(激しい着陸)」と発表し、事故を「できごと」と言い換えたヘリ墜落は皮肉にも、翁長雄志知事と菅義偉官房長官(いずれも当時)が辺野古新基地をめぐる集中協議を始めた日に発生した。
 駆け出しの若手記者から基地担当の中堅、編集幹部まで何人ものインタビューを重ね、ラストシーンは松永の印象的な語りで締めた。
 「何のために仕事をしているのか、なんで記者をやっているのか。一番大切なところだと思う」
 故郷を二度と戦争の島にしてはならないという言論のために、沖縄の新聞社は存在している。だから、沖縄の記者は沖縄戦を忘れてはいけないし、戦争から続く基地問題としっかり向き合わねばならない。それは偏向などではない。当たり前の日常なのだ。真っ赤な目で、言葉を詰まらせ、松永は言う。
 「沖縄の新聞社っていうのは、取材することを先輩から学ぶんじゃないんですよ。沖縄戦で辛い思いをした人から取材を学ぶんです」
 斉加の『映像』専属としての第一作『なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち』は、15年9月に放送された。私も当日に見て感銘を受け、ちょうど執筆中だった書籍『誰が「橋下徹」をつくったか』(140B刊)のあとがきで触れた。この番組に込められたメッセージは、在阪メディアの維新報道を検証した本の締めくくりにふさわしいと思った。

JCJ賞表彰式でスピーチする斉加ディレクター

 〈番組のディレクターは斉加尚代。第3章に書いた橋下の囲み取材で〝吊るし上げ〟に遭ってもひるまなかったMBSの女性記者である。ドキュメンタリー制作部門へ異動になり、最初に撮ったのがこの作品だったという。彼女もまた、すべてのメディアに問いかけているのではないか。
 何のために仕事をしているのか、なんで記者をやっているのか、と〉
 今あらためて訊けば、それは斉加の自問自答でもあったという。
 「琉球新報で目にしたのは、記者の基本でした。当局の発表を鵜呑みにしない。現場で検証する。人びとの声を丁寧に聞く。苦しんでいる人の側に添う。誰のためにニュースはあるのか、きちんと考えて報じる。振り返れば、わたしも20代の頃、先輩に教えられてきた。それがいつの間にか、大阪では政治家の言葉がそのまま流される状況になっている。おかしいことをおかしいと言えない空気ができている。沖縄の記者たちの姿を見て、わたしも原点に戻れたんです」
 斉加は、この作品で「軸」を取り戻した。澤田にとっても、プロデューサーとしての第一作だった。「あれを2人で作り上げたことで、信頼関係が構築できた」と言う。同番組は、2016年度の日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞するなど、高い評価を得ることになった。