地方メディアの逆襲

毎日放送「〈映像〉の系譜」編② 大阪から「沖縄」を取材し伝える

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 報道の現場と人を各地に訪ね歩く「地方メディアの逆襲」。ドキュメンタリー「映像」シリーズの放送を長年続ける大阪・毎日放送に迫ります。

「大阪ジャーナリズム」はいつ変質したか
 『沖縄 さまよう木霊』ではもう一つ、テレビが流した沖縄ヘイトを取り上げている。琉球新報編でも少し触れた『ニュース女子』(東京MX)の問題だ。「基地反対派に日当が出ている」「取材すると襲撃される」などと、基地反対派=暴力集団というイメージを植え付ける“現地レポート”を流し、BPOに「重大な放送倫理違反」と指摘されたこの番組にも、大阪の番組制作会社が関わっていた。
 大阪の人気番組の構成作家出身の百田尚樹然り、やはり関西ローカルの情報番組で基地反対運動を中傷した司会者の辛坊治郎然り、大阪のテレビはなぜこうなってしまったのか。かつて存在した「大阪ジャーナリズム」とは、中央や権威に反発し、庶民や弱者の側に立っていたはずだった。
 先述したように、澤田はその時代を知る一人だ。高校生だった1979年、通学路で発生した三菱銀行立てこもり事件で取材や電話送稿に追われる新聞記者の姿を見て、報道を志した。入社した85年、いきなり豊田商事会長の刺殺事件があり、返り血を浴びたカメラマンから現場の模様を聞かされた。同じ年の夏、グリコ森永事件の犯人が終結を宣言し、東京から大阪へ向かう日航123便が墜落。秋には阪神タイガースが23年ぶりにリーグ優勝を果たし、大阪中が熱狂に包まれた。
 こうした事件や社会現象を追いながら、庶民の喜怒哀楽を伝えるのが当時の大阪の記者たちの仕事だった。もちろん、野次馬的な事件報道に理性や秩序があったとは思えない。取材ルールや人権感覚も今とは比べ物にならず、もっと傍若無人だっただろう。ただ少なくとも、弱い立場の者を叩き、デマで貶めるようなことはなかったのではないか。東京のように国会や中央官庁もなく、それゆえ政治部もない。お上を信じず、権威に頼らず、リアルな生活の現場から物事を見るのが在阪メディアだったはずだ。
 それがいつから、なぜ変わったか──。そう問うと、澤田は「うーん」と唸り、考え込んだ。

澤田報道主幹 

 「よく言われることですが、あまりにも視聴率にとらわれすぎる問題はあると思う。その象徴が、各局とも長時間化している夕方のワイドニュース番組です。かつてローカルニュースは30分だったのが、今は2時間半ぐらいになっている。そうすると、ニュースだけでは毎日埋まらない。芸人さんのトークやグルメ情報に頼り、報道がバラエティー化していく。そういうコーナーの方が視聴率が上がるものだから、さらにバラエティー化が進む。悪循環ですよね」
 澤田は報道一筋の経歴ながら、『テレビの未来と可能性~関西からの発言』(2013年刊行、大阪公立大学共同出版会)という在阪民放関係者の寄稿集の中で、お笑い番組の安易な作りとタレントの短期集中消費、その背景にある局側の問題を指摘している。私は、日頃感じていることを問うてみた。お笑い芸人の多用と、それによる「空気を読む」文化の蔓延が、弱い者をネタにして笑ったり、場の空気を読めない者を嫌ったりする風潮を生んでいるのではないか。話さえ面白ければ、事実を誇張しても、嘘が混じってもいいという考えにつながっていないか。だが、澤田は「うーん」と考え込むばかりだった。
 在阪局OGとして沖縄から大阪を見る三上は、親友の斉加が経験した橋下会見でのバッシングを知り、〈大阪の反骨精神も地に落ちたと愕然とした〉と同じ本で書いている。〈お上のやることを疑い、風刺して庶民の力に変え、決してひるまない。それが関西文化に根ざした大阪発の放送局の誇りではなかったのか。東京一極集中で失われるものがある。その大切さをどこよりも知り、豊かな表現手段で対抗してきたのが準キー局ではなかったのか〉と。
 あらためて問うと、こんな答えが返ってきた。
 「東京に反発することはできても、大阪の勝ち組=維新批判はできないのでしょうか。視聴率を持っている橋下氏に嫌われてもいいことはないという空気が、当時から毎日放送にもあり、その影響は報道にも出ていたと複数から聞いて、わたしは古巣を美化していただけなのか?と、落胆したのを覚えています」
 これは新聞についてもよく言われる、「地方メディアは、地域の権力者を批判できない」という指摘に通じるものだろう。
 斉加は、先の『ニュース女子』問題を語る中で、制作会社の「下克上」という表現を口にした。テレビ局から発注を受けてコンテンツを作る彼らは、同じ仕事をしていても立場が弱く、待遇や労働環境も劣る。さらに、バラエティーやお笑い番組などは、報道やドキュメンタリーなどの「硬派」な番組に比べて格下に見られてきた歴史がある。
 だが、大阪では、バラエティー番組の常連だった橋下が首長になり、その橋下がレギュラーだった『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)は、民主党政権下で下野していた安倍晋三元首相を繰り返し出演させ、応援した。その番組を作っていた制作会社の関係者が、後に『ニュース女子』にも関わっていくのだ。テレビ局の社員、それも報道の人間が手の届かない権力者を、自分たちは呼ぶことができる。視聴率も稼げる。つまり、「下剋上」というわけだ。
 その過程で、反権威・反骨精神の矛先が、社会的弱者や権力の批判者、そして基地に反対する沖縄に向いていったということだろうか。「さまざまな支援を受けられる弱者こそ、実は強者だ」と見なす主張は、1990年代後半から見られた。生活保護受給者を「既得権益」と攻撃するのも、その一例だろう。大阪で維新人気が続くのは、そうした時代の空気を捉えたことにもあるかもしれない。
 だが、斉加も今の大阪の「空気」やメディアの「変質」については、考えあぐねているようだった。

         ◇         ◇          ◇

 『沖縄 さまよう木霊』の放送後、斉加は基地反対派住民から、「自分たちに投げられた嘘やデマを暴いてくれた、この番組は僕らの希望です」と声をかけられた。三上や琉球新報の記者たちをはじめ、沖縄とのつながりは今も続く。在阪局の有志を集めて基地問題の勉強会を開いたり、現地を訪ねたりもしてきた。19年には、女性の右翼活動家と沖縄の関わりを描く『ガチウヨ~主権は誰の手にあるのか』を制作し、話題を呼んだ。記者の原点に立ち戻った「沖縄」は、今後も斉加のテーマであり続けるのだろう。

(つづく、次回更新は10月中旬)