地方メディアの逆襲

第3回 ドキュメンタリーは生きている

毎日放送「〈映像〉の系譜」編

地方にいるからこそ、見えてくるものがある。東京に集中する大手メディアには見過ごされがちな、それぞれの問題を丹念に取材する地方紙、地方テレビ局。彼らはどのような信念と視点を持ってニュースを追いかけるのか? 報道の現場と人を各地に訪ね歩く「地方メディアの逆襲」。ドキュメンタリー「映像」シリーズの放送を長年続ける大阪・毎日放送に迫ります。

すべては「事実」から始まる
 こうしてバッシングを受けた経験を取材で聞いても、斉加の表情に深刻さはない。まったく動じないわけでもないのだろうが、気に病んだり、逆に憤ったりしているふうでもない。強い、ということなのか。何が彼女をそうさせているのだろう。
 「最初に橋下氏の件で叩かれた時は、何が起きたかわからず、メディア関係者の反応もショックで、消耗しました。だけどその後、沖縄の基地反対運動を取材して思ったんです。彼らへのデマ攻撃に比べたら、プロである自分へのバッシングなんて、たいしたことないなって」
 フェイクやヘイトの発信者、あるいは歴史修正主義者と相対する時はどんな心境なのか。番組内のやり取りを見る限り、怒りや正義感で「追及する」姿勢ではない。きわめてフラットに見える。
 「怒りや正義感……それも少しはありますけど、もっと素朴な好奇心、知りたいという気持ちの方が強いですね。あなたにはあなたの事情や言い分があるでしょう。それを聞かせてください、と」
 取材とは基本的に、論戦を挑んだり、批判をぶつけたりする場ではない。相手の考えをできるだけ引き出し、発言内容を「事実」として伝えるためにする。ただし、発言をそのまま流せばよいわけでもない。それなら記者やディレクターはいらない。ネットやテレビの中継か、書き起こし原稿で事足りる。現場で質疑し、肉声に接した取材者として、発言の意図や背景を理解し、批評や検証や解釈を加え、再構成して伝える。報道の本質とは、その「伝え方」にあるのだろう。そして、斉加のドキュメンタリーは、事実の発掘はもちろん、伝え方においても成功している。反発も含め、多くの反響や議論を巻き起こすのは、それゆえだろう。

毎日放送本社

 と、感想を伝えると、「そうでしょうか」と腑に落ちない様子だ。自分としては、あくまで事実を提示しているだけなのだと言う。
 「わたしは番組で、自分の考えを主張しているつもりはないんです。善悪を決める立場じゃないし、結論も出さない。言い切らない。取材で集めてきた事実、現場の空気感、自分の発見や驚いたことを提示して、あとは視聴者にゆだねる。答えはあなたが見つけてください。そういうスタンスですね」
 取材者の意識は、あくまで「事実の提示」。しかし、それが「強い主張」や「偏向」に映り、ある層からは「反日」や「左翼」と叩かれる。沖縄の新聞社と同じようなことが大阪でも、いや日本全体で増えているのかもしれない。事実を事実と受け入れられない時代──?
 上司である澤田は、どう見ているか。斉加の番組や取材姿勢について聞いた。
 「斉加の取材テーマは教育や歴史認識、沖縄やメディアですが、もっと大きく言えば、民主主義や言論状況ということになるでしょう。われわれの社会が大事にしてきた普遍的な価値観が今、政治によって歪められようとしている。どこかおかしくなっている。そういうテーマに取り組む人間は、今のテレビには少ないんです。どちらかと言えば、関わりたくない。面倒くさいからです。政府や自民党の圧力もあるし、ネットをはじめ市民からの反発もある。テレビは今、双方から挟み撃ちに合っている。
 そういう状況で斉加のようなテーマを取り上げれば、批判や抗議、ネット炎上もあるでしょう。会社は嫌がるやろうなあと思いつつ、私も歳のせいか、番組に対してネットで攻撃されようが、炎上しようが、まあ別にかまへんわという心境になってきましてね。いちいち気にしてもしょうがない、と。ただし、番組が提示した事実にだけは誤りがあってはいけない。そこだけはしっかり押さえようと言っています。ファクトさえ、こちらがしっかり持っていれば、批判や攻撃に動じる必要もないですから」
 主張や評価ではなく、あくまでファクトを──。この連載で取り上げてきた秋田魁新報や琉球新報と同じ報道姿勢が、大阪のテレビマンである澤田の口から語られるのは心強い。
 斉加は、自身の取材手法を「ママチャリ流」と称し、こんなふうに書いている。
 〈どんな食材を集めればいいか、どこの店に行き、何を手にするかは、ペダルをこぎつつ考える。行先は誰からも命じられないし制限もされない。自由である。どこへ行こうか悩み、チャリを押して歩くこともある。「メニューをさっさと決めて走れ」、周囲はそう思うことだろう。だが、頭の中より現場のリアルが番組を作ってくれる。これまでもそうだった。現場をじっくり観察し、気づきながら前へ進む〉(『調査情報』2018年11~12月号)
 「わたしの場合、最初から番組構成を見通せていることはなくて、取材で得た事実によって、番組の構成も変わっていく。非効率ですよね。だけど、無駄なことは一つもないと思っているんです。これは、保健室登校を取材している時に先生から聞いた言葉です。『教育に無駄なことなんて一つもないのよ』って。すごくヤンチャで、先生のお尻を蹴ったりしていた子が、叱られたり、反発したり、ケンカしたり、いろんな関わりの中で少しずつ変わっていく。驚くほど成長していく。
 ドキュメンタリーも、そうやって時間をかけて、できる限り丁寧に取材し、事実を積み上げていくものだと思う。頭で思い描いた通りに進んだ番組は面白くない。取材で驚くような言葉や場面に出会い、想定をはみ出してゆく。経験上、そういう時の方が視聴者に届く、面白い番組ができます。だから、わたしはよく言うんです。ドキュメンタリーは生き物だって」

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 今月4日、大阪市内で「コロナ禍から考える大阪都構想」と題する学習会が開かれた。斉加をはじめ在阪局有志で作る「放送法研究会」が主催し、大阪維新の会が主導する大阪市廃止・特別区設置構想について、市民やメディア関係者がさまざまな角度から検証と議論をした。11月1日に二度目の住民投票が迫る中、情報が公正に伝えられず、「二重行政解消」「大阪の成長」のようなイメージ宣伝ばかり飛び交うことへの危機感が、その場にはあった。維新の「教育改革」を取材し、橋下徹氏と対峙した斉加は言う。「おかしいと思えば、ファクトを持って異を唱え続けるしかない」と。
(おわり、次回更新は11月中旬)