ちくま新書

日本にも依然としてある、レイシズムとはなにか

アメリカを中心に巻き起こったBLM運動。そこで再度、注目を集めたのが、レイシズムという差別である。それは、一般的には人種差別として理解されており、そのため日本には人種差別はないと単純に考えることも多いが、実態はそのような単純な話ではない。人種はなくても人種差別は存在するのである。そういった背景を説明した「レイシズムとは何か」の冒頭を公開します。

「できるだけたくさんのメキシコ人を撃ちたかった」
「できるだけたくさんのメキシコ人を撃ちたかった」――。二〇一九年八月三日、米南部国境に近いテキサス州エルパソのウォルマートで、メキシコ系移民を狙って銃乱射事件を引き起こした犯人は警察にそう語ったという。その日のうちに二〇名を殺した犯人は二一歳の白人男性だった。彼は白人至上主義者が頻繁にヘイトスピーチ(差別煽動言説)を書き込むインターネット掲示板「8ch」(元々日本の「2ちゃんねる」を真似たもの)に犯行声明を投稿している。それによるとヒスパニック系の移民のほうこそ「テキサス州を侵略」してきた側であり、そして自分の銃撃は侵略への対応策であると公然と主張していた。
 いったい若き白人男性に、メキシコ系移民を侵略者だと思わせ、移民をできるだけ多く撃ち殺すことをそれが義挙であるかのように確信させたのは何だったのか。銃乱射事件を夢見るだけでなく、実際に計画させ、犯行声明を書かせ、自宅から一〇〇〇キロの道のりを一〇時間以上かけて車でドライブしてまで実行させたものとは何だったのか――。
 その答えこそ、レイシズムである。
 レイシズムは単なる差別ではない。レイシズムは最悪の暴力現象を組織する差別だ。
 その秘密はレイシズムが一種の「正義」に依拠している点にある。人種差別や暴力を引き起すとき、人は「社会は防衛しなければならない」というレイシズムの正義に衝き動かされているのである。もし「メキシコ人」が米国に「寄生」して社会福祉や職を奪ったり、「侵略」して国家を蝕むのなら、どうしてそのような「敵人種」を積極的に差別して追放してはいけないのだろうか?そのような「敵人種」などむしろ殺すべきではないか?いやむしろ殺さない限り「私たち」の社会の安全が保てるはずがないではないか?
 エルパソの犯人のように「敵人種」を「できるだけたくさん」殺すようレイシズムに衝き動かされ、世界各地でヘイトクライム(差別を動機とする犯罪)が頻発している。このままでは世界はレイシズムによって社会と民主主義を徹底的に破壊されてしまうだろう。
 本書はレイシズム(racism 人種差別/人種主義)が偏見や差別にとどまらず、最悪の暴力に結びつくメカニズムを分析するという課題に、正面から取り組む。これが本書の第一のテーマである。

日本にレイシズムは存在しない?
 ところで読者の中には、次のような疑問を持たれている方もいるのではないだろうか。「日本にレイシズムは本当にあるのだろうか?」と。

 人種差別とは、欧米での黒人差別のような、肌の色が異なる人種の間で起こる差別のことだろう。けれども日本にいる朝鮮人やアイヌや沖縄もみな、日本人と同じ肌色をした黄色人種じゃないか。だから朝鮮人差別、アイヌ差別、沖縄差別があっても、それはあくまでも民族差別であってレイシズムとは言えないんじゃないか……。

 疑問にズバリ答えよう。二つの答え方ができる。
 最初の答えは「はい、日本にレイシズムはありますよ」である。朝鮮人差別、アイヌ差別、沖縄差別はすべてレイシズムだ。国連人種差別撤廃委員会からそれら差別は全て人種差別だと公認されており、包括的差別禁止法を制定するよう勧告されている。
 日本社会に人種差別は存在する。それなのに、見えない。なぜだろうか。
 わかりやすい原因の一つは日本政府によって人種差別が隠されていることだ。国内で頻発している人種差別について、日本政府は調査もせず、統計もとっていない。もし交通事故や犯罪が、調査もされず統計も取られない場合、交通事故や犯罪は存在じたいが政府によって隠されてしまう。ちょうどこれと同じことが人種差別では長年にわたり続けられている。これは政府がヘイトクライム統計を公表する米国や英国の場合、政府がレイシズムを隠すことができないことと対照的である。
 実はレイシズムは反レイシズムという対抗的な社会規範があってはじめて「見える」ものだ。例えば今年五月のジョージ・フロイド殺害事件を機に米国のみならず全世界に燃え広がったブラック・ライブズ・マター(BLM。「黒人の命を軽くみるな」の意)運動は、警官による暴力はじめ深刻なレイシズムの存在をあらためて社会的に可視化した。逆に日本のように人種差別が頻発していても、ほぼ誰も反対せず批判もしなければ、それは社会の差別的慣習として文化的に固定されるだけで「人種差別」としては決して見えない。
 そして第二の答えはこうだ。「はい、あなたの疑問にもレイシズムが隠れています」だ。
 日本人も朝鮮人も同じ「黄色人種」だということ自体がレイシズムである。
 というのも、人種など存在しないからだ。本文で述べる通り生物学では遺伝的な意味で人類をサブカテゴリに区分できる人種は存在しないことが定説となっている。
 重要なことは、人種は存在しないが人種差別は存在する、ということだ。人種が存在したうえで人種差別が起こるのでは全く無い。逆に人種差別という実践や慣習があるからありもしない人種がつくられるのだ。これが本書で述べるレイシズムの人種化作用である。
 たとえば「肌色」という言葉を考えてみよう。日本で市販されているクレヨンや色鉛筆にも長らく「はだいろ」が使われていた。バンドエイドの場合、未だパッケージに「肌色」と書いて堂々と市販されている。
 このような「肌色」というクレヨンやバンドエイドの無批判的な使用は幼稚園や小学校や家庭などで幼少期のうちから、日本社会に暮らす者がみんな同じ「肌色」であるのが「普通」だと教え込む。だからこそ「肌色でない人」が「外国人」として人種化されてしまう。ハイチ出身のアメリカ人の父と日本人の母を持つプロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手が話題になるたびに、「日本人ではない」などという人種差別がSNSでもマスコミでも飛び交い、それを疑問にも思えなくなるのは、実はレイシズムのせいなのである。

「日本人」とは何か?――国民か人種か
 このような人種差別は、日本の国技である相撲のニュースにもみられる。
 二〇一六年に「日本人」の琴奨菊(福岡出身)が優勝した時、あるスポーツ紙は「二〇〇六年初場所の栃東以来、日本出身力士として一〇年ぶりに優勝した」と奇妙な書き方をした。「「日本人」でなく、「日本出身」と表記する」理由を記事は次のように説明した。

〔それは〕二〇一二年夏場所で、旭天鵬(現在は引退して大島親方になっている)が優勝したからだ。/一九九二年にモンゴルから来日した大島親方は二〇〇五年に日本国籍を取得し、翌年に日本人女性と結婚。優勝した時は、日本人だった。/旭天鵬が優勝した日を境に、「栃東以来途絶えている日本人力士の優勝」の「日本人」の部分が、「日本出身」「日本生まれ」「和製」などに変わった。〔強調引用者、「/」は改行表す。以下同〕

 もしも「日本人」が国民(=日本国籍者)を指すのなら日本国籍を取得した旭天鵬が優勝した二〇一二年当時に堂々と「日本人力士の優勝」と称賛してよかったはずだ。しかしそうせずに、わざわざ「日本出身」「日本生まれ」「和製」という表現を使ってまで「日本人=日系日本人」の優勝を待望した。つまり人種としての「日本人」を礼賛したのだ。
 同じ記事によると旭天鵬優勝直後、「久々に日本人が優勝するチャンスだったのに、なんてことするんだ」という手紙が、所属していた友綱部屋に三通も届いていたというが、これも人種差別だ。実は先の「大坂なおみは日本人ではない」というレイシズムが出てくるのも、「日本人」=「(純)日系日本人」という等式が社会慣習に、しかも意識されないほど根深く成立しているからこそだ。
 ここではベネディクト・アンダーソンがいう「想像の共同体」としての「ネイション(国民)か否か」を選別するナショナリズムが、「日系か否か」を選別するレイシズムと節合(異なるものの結びつき)している。しかも前者ナショナリズムの形式が、後者レイシズムの内容を覆い隠しているのだ。
 これは偶然ではない。フランスの哲学者エティエンヌ・バリバールが指摘する通り、近代のナショナリズムとレイシズムは互いにとって不可欠な支えなのである。詳しくは第七章で論じる。
 このナショナリズムとレイシズムの節合を分析することが本書の第二のテーマである。

ナショナリズムとレイシズムを切り離す――反レイシズムの可能性
 大坂なおみや旭天鵬が「日本人(国民)内部のマイノリティ」ではなく、直接に「外国人」とされてしまうのは、「日本人=日系日本人」という国民=人種の強固な癒着があるからだ。その原因はどこにあるのか?
 ここでもし「日本人がレイシスト(人種差別主義者)だからだ」と言う人がいるなら、私はそれに断固反対する――このような決めつけはそれこそレイシズムであろう。
 問題は差別より反差別にある。日本には差別と闘う社会規範がないのだ。それは「反差別」や「差別に反対する」という言葉の意味にも表われる。次の二つの説明のうち、どちらに賛同できるだろうか。

 ①反差別とは被害者の権利を守ることだ。当事者に寄り添うのが反差別だ。
 ②反差別とは加害者の差別を止めることだ。差別行為を禁止するのが反差別だ。

 多くの人は①に賛成できても、②に賛成するのにはためらいがあるのではないか?
 欧米では①と②は反差別の両輪だ。特に②の差別行為の禁止は①の被害者の権利回復の必要条件となるから当然だ(たとえばセクハラが起きた職場を考えてみてほしい)。反レイシズムが社会正義として加害者の差別する自由を否定するからこそ、社会防衛を掲げるレイシズムの正義にはじめて対抗しうる。
 だが日本にはそのような反レイシズム規範がない。日本の反差別は②の差別行為の禁止がないまま①被害者に寄り添おうとする。加害者の差別する自由を守る限りでしか、差別される被害者の人権を守ろうとしない日本の反差別こそ、日本で反レイシズム規範形成を妨げ、日本人=日系日本人という国民=人種の癒着を切り離せない元凶である。これを日本型反差別と呼んでおこう。
 本書は右の日本型反差別から脱却し、差別する権利・自由を否定する反レイシズム規範を日本社会でどのように打ち立てたらよいかという課題と向き合うための基礎となるレイシズムの入門書をめざした。反レイシズムによってナショナリズムとレイシズムを切り離すこと。これが本書の第三のテーマである。

レイシズムとは何か
 レイシズムとは何か。これに答えるのは簡単とも言えるし、非常に困難だとも言える。
 レイシズムとは「人種差別」や「人種主義」と訳される。
 簡単に答えられるのは前者の人種差別という意味でのレイシズムの定義である。ファシズム防止の大原則のうえに成立した戦後国際社会では世界人権宣言や人種差別撤廃条約などの国際人権法で、人種差別を明確に定義し、各国の市民社会がそれと闘うことを義務とした。人種差別撤廃条約では「人種差別」racial discrimination を人種にまつわるグループへの不平等な効果をもつものとした(第一条。第二章参照)。たとえば黒人差別やユダヤ人差別やアジア系差別などが典型例である。
 本書もこの国際人権規範にならってレイシズムを右の人種差別を指すものとして用いよう(人種差別としてのレイシズム、あるいは狭義のレイシズムとしておこう)。
 問題は人種主義と訳される際の、人種差別を引き起す原因としてのレイシズムとは何なのか、である。半世紀以上、世界中の人文社会科学が苦闘し、議論を続けているが、「うまい答え」は未だ見つかっていない。わかりやすく「レイシズムとは何か」に答えること自体にワナがある。この問いにはまだ答えず、本書全体を通して答えていくことにする。
 そうは言っても、読み進める上で手がかりとなる簡単な定義がなければ、この本も読んでもらえないだろう。ここでレイシズムを次のように定義しておきたい。
 本書はレイシズムを、人種差別を引き起すチカラのこととしておく。人種差別という行為を可能にする権力関係として本書はレイシズムを定義する(人種主義としてのレイシズム、あるいは広義のレイシズムとする)。レイシズムはありもしない人種をつくりあげ人間を分断する人種化を行う。人口にとっての生物学的危険として劣等人種をつくりあげ、社会防衛を掲げてその人種を排除し、最終的には殺そうとする。短く言えばこうなる。

 レイシズムとは、人種化して、殺す(死なせる)、権力である。

本書の構成
 右のレイシズムの定義は『監獄の誕生』や『知への意志』などで近代の資本主義社会から登場した人間を従属させる特殊な権力のあり方を分析した、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの議論に大きく依拠している。「レイシズムとは何か」という問いへの本書なりの答えはフーコーの議論を紹介する第二章で詳しく述べることにする。その準備として第一章では近代のレイシズムの歴史を駆け足でおさえる。
 レイシズムの概念規定を終えた後は、第三章と第四章とで、人種差別が暴力に結びつくメカニズムを、差別アクセル(第三章)と反差別ブレーキ(第四章)の対抗関係から分析する方法を身につけよう。その上で第五章と第六章では、在日コリアンへのレイシズムを題材にして日本のレイシズムをその特殊性に焦点を当てて分析する。
 そして結論の第七章では、レイシズムとナショナリズムの関係、レイシズムがセクシズムはじめ他のあらゆる差別・抑圧と不可分に絡み合っているインターセクショナリティの問題に加え、資本主義とレイシズムの関係を考察する。未曾有の気候危機や新型コロナウイルスの世界的流行に直面する今日、資本主義と闘うラディカルな反レイシズム闘争であるブラック・ライブズ・マター運動の実践的意義について分析した。
 本書は主に在日コリアンに向けられた差別を題材としているものの、できるかぎり普遍的にレイシズムを分析するよう心掛けた。日本の反レイシズム闘争はグローバルな反レイシズム運動から学び、連帯しなければならないと考えたためだ。それができなければ、日本のレイシズムによる社会と民主主義の破壊を食い止めることはできないだろう。

 

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