弱き者が見殺しにされる国 -新型コロナウイルスの猛威の陰で-

第四十四回 コロナ禍、もうひとつの命の危機

――増える未成年と女性の自殺

今年の7月以降、自殺件数が3か月連続で、前年同月より大幅に増加していることが厚労省と警察庁の統計から分かりました。コロナ禍による急激な生活の変化が、体調の悪化をもたらしたり、生と死の間を揺れ動いている人を追いやる可能性があるとして、自殺予防に取り組む専門家たちが相談を呼びかけています。今回から、日本自殺予防学会の理事長を務める張賢徳(帝京大学医学部附属溝口病院・精神科科長)先生にお話をうかがっていきます。

  第四十四回 コロナと自殺(1)

 警察庁の統計によって、今年七月から九月の自殺件数が三カ月連続で増加していることが明らかになった。九月に限っても、一カ月の自殺者は千八百五人。前年同月比で八・六%増だ。
 近年、日本の自殺率は減少の傾向にあった。それがここにきて急増した背景にあるのは、むろんコロナ禍だ。新型コロナウイルスの感染拡大によって様々な形で生活が激変したことで、一部の人たちが精神的に追い詰められて自ら命を絶っている。
 この「コロナ自殺」で顕著なのは、女性と未成年の自殺率の高さだ。コロナ前の統計と比べると、両者の自殺数が格段に増えているのだ。
 この数字の背景には、いかなる問題が横たわっているのか。
 一般社団法人日本自殺予防学会の理事長を務める張賢徳(帝京大学医学部附属溝口病院・精神科科長)に話を聞いた。

 コロナ禍での自殺の詳細を見る前に、そこに至るまでの日本における自殺の流れを追っておきたい。
 一九七〇年代~八〇年代まで、日本の年間自殺者数はおおよそ二万人~二万五千人くらいを推移していた。その数が急激に増えたのは、一九九八年だ。その前年、日本ではバブル崩壊から五年ほど経って山一證券の破綻による「山一ショック」が起き、世界では「アジア通貨危機」が起きた。これによって稀に見る不況の波が人々の生活に襲い掛かってきたのである。

 日本の自殺者数が一気に増えたのが、まさにこの最中だった。一九九七年度の統計では二万四千三百九十一人だったのが、翌年度には八千人以上も増えて三万二千八百六十三人になる。実に三十五パーセント増だった。
 張は語る。

 九八年に起きた自殺率の急増は、精神科の関係者にとっては忘れられないほどのショックでした。自殺者の主な年齢層は、四十代~六十代の働き盛りの人たちでした。健康不安で自殺をする高齢者と比べて、この世代の人たちは社会で活躍している年齢であるために、仕事や生活が理由で自殺をする傾向にあります。そうしたことを踏まえると、不景気による企業の倒産やリストラといったことが引き金になって自殺者が急増したと考えられます。
 これ以降、日本では「平成不況」だとか「失われた十年」だとか呼ばれる期間がつづき、年間の自殺者数は三万人から三万五千人くらいにまで増えます。もっとも多かったのは、二〇〇三年の三万四千四百二十七人。十年くらい前と比べて約一万人の増加です。いわゆる「自殺者三万人時代」と呼ばれていた時期ですね。
 日本政府がこの問題を危惧して対策に乗り出したのが、二〇〇六年のことでした。この年に自殺対策基本法が公布、施行されたことで、国を挙げて自殺予防対策に乗り出すことになった。
 自殺対策基本法で行ったのは、本当にあらゆることです。国、地方公共団体、医療機関などの連携、自殺予防にかかわる民間団体への公的支援、自殺遺児や未遂者のサポート、こうした流れの中で職場のメンタルヘルス対策なども行われるようになります。
 これによって、高止まりしていた自殺者数は徐々に減少し、二〇一二年にようやく三万人を切りました。前年比で九・一パーセント減少の二万七千八百五十八人。十五年ぶりの二万人台でした。
 それ以降も自殺者数は年々減っていき、二〇一九年には一九七八年に統計を開始して以来、もっとも低い二万百六十九人を達成しました。前年比でも四・二%減でした。
 二〇一九年まで、日本では自殺者の抑え込みには成功しつつあったと言えるでしょう。私自身もそう思っていましたし、今後も自殺者数はゆるやかに減少していくと希望的観測を持っていました。

 そんな中で二〇二〇年、新型コロナウイルスが世界を席巻したのである。
 メディアがこのウイルスの流行を報じたのは一月だった。だが、当時はまだ中国の一部地域で起きている感染症という認識でしかなく、精神科の臨床現場ではそこまで大きな変化は見受けられなかった。
 日本で感染拡大が懸念されるようになったのが、二月の大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で起きたクラスターだろう。ここから三月にかけて、国内でも散発的にクラスターが起こるなどしたことで、ようやく一般の人の間にも危機感が生まれた。
 ただ、この時点においても自殺の増加は数字としては表れていなかった。社会変化が人の生活環境を変え、さらに精神的に追い込んでいくには多少のタイムラグが生じるためだ。

 二〇二〇年になっても、日本における自殺率は低いままで、前年月比と比べても減少の傾向にありました。一月、二月に関しては、大部分の日本人にとって新型コロナはよその国の出来事で、影響を直接的に感じることが少なかったからでしょう。
 本格的に風向きが変わったのは、三月から四月にかけてです。多くの日本人にとって同じ町で感染者が出て、飲食業が時短営業や営業自粛に追い込まれ、影響が目に見えて現れるようになった。そして四月七日に行われた緊急事態宣言で、自粛を余儀なくされるわけです。
 精神科医の間では、この頃からすでに日本人の中にいろんな精神的な問題が現れるだろうと言われていました。これだけ大きな社会変化が起きれば、人の心が不安定にならないわけがありませんからね。そのため、早い時点から「コロナうつ」という言葉が生まれ、自殺率についても注目されてきました。
 でも、四月から六月にかけての自殺者数は、増加どころか前年比で約十三パーセントの減少でした。緊急事態宣言の後も下がっていたのです。冷静に考えれば、これは驚くべきことではありませんでした。
 人は自身を取り巻く状況が変わったからといって、必ずしも衝動的に自殺するわけではありません。研究では、自殺者の多くが「うつ病」と診断のつく状態だったことがわかっています。それ以外の精神疾患を含めれば、自殺者の九十%以上が自殺時に何かしらの精神疾患に罹っていたことがわかっています。自殺行動の最終段階ではうつ状態が深く関係していると考えられています。
 逆に言えば、人が自殺をするまでには、ある出来事によって心を病み、それが悪化していく期間が必要なのです。つまり、新型コロナの流行によって、生活環境が大きく変化したことで心の病になってから、それが重症化して自殺に至るまでには、それなりの時間がかかる。四月から六月にかけて自殺者が前年月比で減少していたのは、そうしたことがあったためだと考えられます。

 コロナ禍において精神を病むパターンは大きく二つにわけられる。
 一つ目が、もともと精神を病んでいた人たちがコロナ禍の不安によって重症化するケースだ。たとえば、ただでさえ家から出るのを怖がっていた人々が、新型コロナに感染することへの不安から一歩も出られなくなったり、パニックになったりするなどだ。四月から六月にかけて臨床現場で増えたのは主にこちらの人たちだった。
 二つ目が、コロナ禍の直接的なダメージによって心を病むケースだ。こちらの人たちは四月から六月にかけて倒産やリストラといった問題に直面して心を病み、受診控えもあって潜在的に少しずつ病気を悪化させていった。
 いずれにせよ、こうした人たちが自殺をするまでには、相応の時間が必要になる。そういう意味では、四月から六月の時期は、それ以降にはじまる自殺者増加の助走期間だったとも言えるのである。
 そして七月、ついに自殺者増加が目に見える形で統計に表れることになるのである。

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