ちくま新書

野党という発明品を「使いこなす」

7月刊ちくま新書『「野党」論』の冒頭を公開いたします。選挙後、私たちは「野党」に何を期待すればよいでしょうか?

「野党は共闘!」――集団的自衛権を認める安全保障法案が、参議院本会議で可決された二〇一五年九月一九日の未明、数万人にもおよぶ国会前の人々の声が、議会にも鳴り響きました。「ヤトウ・ハ・キョウトウ」と、韻を踏んだスローガンは確かに耳触りがよいかもしれません。
 もっとも、ここに出てくる「野党」とは一体、何なのでしょうか。
 この文脈では、安保法制を進めた「自民党」と「公明党」以外の政党ということになるのかもしれません。
 それでは、自民党と公明党以外で安保法案に賛成していた党は、野党ではないということになるのでしょうか。
 あるいは、安保法案に反対することが、野党であるための条件ということになるのでしょうか。
 安保法案には賛成するけれども、当初案に盛り込まれていた運用規定や条項に反対していた党があったとして、それは与党でしょうか、野党でしょうか。
 これは単に頭の体操ではなく、安保法制策定の過程で実際に見られた、様々な政党の立場です。
 実は「野党」が何を指し、何を意味するかという問いに答えるのは、思うほど簡単なことではありません。政府の方針に反対するのが野党なのか。内閣を構成しない政党すべてが野党なのか。国会に議席を持たない政党は野党ではないのか。
 「野党」という存在に、かつてないほど関心が集まりながらも、野党が実際に何であるのかについては、さほど突き詰めて考えられてきたとは言えません。
 神川信彦という政治学者は、二〇世紀前半はありとあらゆる政治が行動に結びついていったのに対して、平和な二〇世紀後半は、ありとあらゆる政治がシンボルに結びついていった時代だ、としています。また、そこではその言葉が持つ正負のイメージばかりが先行して、語の厳密な定義が専門家の間でも共有されにくいと指摘していました。彼はその上で、「現代の政治的混沌が、言語の堕落と不可分の関係にある」という、文人ジョージ・オーウェルの言葉を印象深く引いています。
 野党はだらしがない、野党はもっとしっかりしてほしい、野党は反対してばかり、野党は党利党略ばかり―野党に対しては否定的なことしか言われません。その責任の半分くらいは野党の側にあるかもしれません。しかし、野党がだらしなく、しっかりできず、党
利党略で動いているように見えるのは、野党が何であるのかについて、はっきりと納得のいく説明と定義がなされていないからかもしれません。そうだとすれば、ただでさえ混沌としている政治に、さらなる混乱の種を撒くことにしかなりません。
 そこでこの本では、なぜ野党はかくも捉えがたいのか、また頼りなく見えるのか、それにもかかわらず、なぜそれは民主主義において不可欠の存在なのか、何のためにあるのかを、丁寧に説明していきたいと思います。
 結論を言ってしまえば、野党とは特定の政党ではなく、民主政治における機能と役割に還元されるものです。それは汲み尽くせぬ「民意の残余」を政治的に表出するものであり、このような「野党性」が発揮されることで、むしろ民主政治は安定し発展するのです。
 序章では、そもそも野党とはどのようなものなのかを確認します。第一章では、野党を民主政治の場においた場合、どのような機能と役割を発揮することになるのかを見てみます。第二章では、日本において五五年体制およびポスト五五年体制下の野党がどのような変遷を経てきたのかを具体的に確認します。続く第三章では、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカ、スイスなどの野党と野党性がどのようなものか、比較の観点から見ることとします。以上を通じて確認できた、「抵抗型野党」から「政権交代型野党」への進化の次に「対決型野党」が求められるようになるなかで、それがどのようなもので、そこでの与野党間の対立軸と争点がどのようなものになるのかを予測してみたいと思います。
 ご一読いただければ分かりますが、この本は「あの政党はいい、この政党はダメだ」といったことを論じるのが目的ではありません。そうではなく、野党と呼ばれてきた、あるいは現に呼ばれている存在が、どのような経緯、理由、目標、戦略でもって、民主政治の中を歩み、変遷を遂げてきたのかを、様々な理論や国の事例を借りて説明するものです。いうなれば、「野党」という存在を固有名詞で語るのではなく、その機能から明らかにしようとするのが本書です。
 本の中でも何度か参照している、現代政治学の礎を作ったロバート・ダールという政治学者は、野党とは、議会制民主主義と普通選挙権に並ぶ、民主主義の三大発明の一つだと言っています。
 もちろん野党は、政治において有用なツールの一つに過ぎません。それでも、民主主義にあって野党がなぜ発明されねばならなかったのかを知っておくことは有益です。民主主義の長い歴史において、この貴重な発明品をどう使いこなすか、それは主権者一人ひとりの「これから」にかかっています。この小著が、少しでもそのための指針になればと願っています。