ちくま新書

江戸の国学者によることば研究。拠り所としての言霊。

本居宣長・春庭親子や富士谷成彰・御杖親子ら江戸の国学者は、大量の文献を分析し、万葉集や古事記などの古典を読みとき、日本語文法を整理しました。彼ら博学たちが拠り所とした「コトダマ」とは何だったのでしょうか。そして、彼らが到達した「ことばの深奥」とは。ちくま新書『言霊と日本語』のまえがきを公開します。

「日本には古来、言霊の考え方があり、言葉には不思議な力が宿るとされた」(二〇二〇年八月四日『朝日新聞』朝刊「天声人語」欄)というような言説を目にすることは少なくない。「コトダマ」という語は現代においても案外使われているように思われる。しかし、よく考えてみると、「コトダマ」という語がいつ頃から使われ始め、それは日本語の中でどのように使われていったのか、ということや、日本文化の中で、どのように理解されていたのか、ということについては、あまり話題にならないように思われる。
 本書は「言霊と日本語」を書名とした。「日本語・日本文化の中で「コトダマ」という語がどう使われ、「コトダマ」がどのようにとらえられてきたか」が本書のテーマということになる。

「言霊」という語を文字化したものが「コトダマ」であるが、まず中型の国語辞書である『大辞泉』『広辞苑』『大辞林』がどのように説明しているか確認しておこう。

『大辞泉』(第二版)小学館、二〇一二年
 ことだま[言霊]古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。
 ことだま- の- さきわうくに[言霊の幸ふ国]言葉の霊力が幸福をもたらす国。日本のこと。「―と語りつぎ言ひつがひけり」〈万・八九四〉

『広辞苑』(第七版)岩波書店、二〇一八年
 ことだま[言霊]言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた。万一三「―の助くる国ぞ」
 ――の- さきはう- くに[言霊の幸ふ国]言霊の霊妙な働きによって幸福をもたらす国。万五「大和の国は……―と語り継ぎ言ひ継がひけり」

『大辞林』(第四版)三省堂、二〇一九年
 ことだま[言霊]言葉にあると信じられた呪力。
 ――のさきわうくに[言霊の幸ふ国]言語の呪力によって、幸福がもたらされている国。日本の美称。「そらみつ大和の国は……―と語り継ぎ言ひ継がひけり/万八九四」

「ことだま」という見出しだけでなく、「言霊の幸ふ国〈コトダマノサキワウクニ〉」も併せて示した。「思っていた通り」という方もいれば、「知らなかった」という方もいることだろう。
 右に掲げた三冊の国語辞書は、おおむね同じような説明をしているようにみえるが、よくみると必ずしも説明が一致しているわけではない。
 たとえば、『大辞泉』と『広辞苑』とは、「コトダマ」なるものは「言葉に宿っている」と説明している。「ヤドル」の語構成は「ヤ(屋)+トル(取)」である。この理解に従えば、そもそもいれものとしての「ヤ(屋)」があることになる。
『広辞苑』は「ヤドル」の語義を七つに分けて説明しているが、その③は「他の物の内に入りとどまる」という説明で、そこには『源氏物語』東屋巻の「亡き魂ややどりて見給ふらん」という使用例が掲げられている。あるいは語義の②では「すみかとしている。住む」という説明をしている。「スミカ」とする何かがあって、そこに棲息する、居住する、ということだ。
「言葉に宿る」という説明であれば「コトバ」の内部に「不思議な力」「不思議な霊威」があることになる。そしてその不思議な力や霊威は、そもそもは「コトバ」の外部に存在していたことになる。
 こう考えた場合、「コトバ」の外に存在していた「不思議な力」「不思議な霊威」が「コトダマ」なのか、「コトバ」の内部に宿った時に、「不思議な力」「不思議な霊威」と「コトバ」が一体化して、「コトダマ」というものになるのか、あるいはまた、「コトバ」の内部に宿った「不思議な力」「不思議な霊威」そのものが「コトダマ」なのか、そこは説明されていないようにみえる。
 一方、『大辞林』は「コトダマ」が「言葉にある」と説明している。これは「コトバ」がもっている「呪力」を「コトダマ」と呼んでいたのだ、という説明にみえる。
「いやいや、「宿る」も「ある」もそれほど変わらないでしょ」というみかたもありそうだが、しかし筆者とすると、そういうことが気になる。そういうところをきちんと整理せずに、「コトダマ」について述べるのはいささか乱暴だろう。目くじらをたてるなという方もいるかもしれない。だが、そうでないと、何でも「コトダマ」だ、という話になってしまう。
 本書では、第一章で「コトダマ」という語が、どのような文献のどのような場面で、どのように使われてきたかという、使用の歴史をまずおさえておくことにしたい。
 江戸時代になると、「コトダマ」という語が何らかの考え方と結びついて大きく展開し始める。第二章では、江戸時代に焦点をあてて考えてみることにする。
 江戸時代中期以降においては、いろいろな人物が「コトダマ」をめぐって思索を行なった。その中でも、富士谷御杖という人物に注目したい。富士谷御杖は、和歌の解釈と「コトダマ」とを結びつけて、独自の「コトダマ」観を展開した。筆者も、かねてから富士谷御杖の特徴のある「コトダマ」観に興味をもっていた。
 そして第四章では、詩的言語をよむという観点から、あらためて「コトダマ」とは何かについて考えてみたい。
 

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