PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

キャラクターがはじまる場所
落書きから考える・1

PR誌「ちくま」11月号より岩下朋世さんのエッセイを掲載します。

 いい歳をしていまだにそんなことをしているのかと笑われたり、呆れられたりしてしまうだろうか。それでもついつい手が動いてしまう。
 それは退屈な会議の時かもしれないし、逆に集中して話に耳を傾けながらメモをとっている時かもしれない。いずれにしろ、机上に紙があり、そこに余白があって、片手にペンを握っていると、いつの間にやらなにげなく、そこに線を引いて、なにかしらのかたちをとらせてしまう。要するに落書きなのだが、幼い時分から今になっても、一向にこれをやめることができない。
 クセというか性分というか困ったもので、あとから回収するようなプリントにもぼんやりと落書きをしてしまう。そして、途中で気づいては、内心あわてつつ素知らぬ顔で消したりする。ここだけの話なのだが。
 そうやって手遊びに紙に線を走らせて、一体なにを描いているのかといえば、大方はなにかの、あるいは誰かしらの顔である。といっても、著名人であれ顔見知りであれ、世間に実際いる人物の似顔絵を描くのかといえば、そういうことはまずほとんどない。紙の上に姿を見せるのは、たいていの場合、「キャラクター」なのだ。
 大きくて丸い目をふたつ。これも丸く小ぶりな鼻。くるりと頭部の輪郭線を引いてそこに先の尖った角のようなものをふたつ。お世辞にも上手いとは言えないし、誰かが目にしてそれと分かるか心もとないが、次第にかたちになってくるその顔は、自分としては『鉄腕アトム』の主人公、人類の良き友人たるロボットであるアトムのつもりだったりする。その他、ドラえもんであったり、鬼太郎だったり、スヌーピーだったり、そういう知名度抜群のキャラクターたちが、かなり不格好に崩れた顔で余白の上に現れる。
 もっとも、落書きが生み出すのは、こういう名の知れたキャラクターの顔ばかりではない。ペンを握った手をそぞろに動かしていると、しばしば正体不明、経歴不明の何者かがひょっこり顔を出すことになる。
 とりあえずの目鼻、とりあえずの口元、それをとりあえずの輪郭線でくくって、そこになんとなく髪型めいた線をいくつか付け加えたり、帽子をかぶせて見せたり、ウサギの耳でも生やすかもしれない。さて、これまで何かのマンガやアニメに登場した経験もないし、世間にいる誰かを模したわけでもないこの新顔は、果たしていったいどこのどいつで何者なのか。
 どうもはじめまして。ところで君はいったいぜんたい誰ですか。そうたずねてみても、もちろんなんにも答えてはくれはしない。それでもそうたずねたくなるのは、この顔もまたキャラクターだから、あるいはキャラクターになりかけている何かだからなのだろう。
 拙い手付きで描かれたまだ名前もない誰かを眺めながら、こいつは果たしてどんなやつなのか、どんなことをしでかしそうか、そんな想像をしてみる。落書きをするというのは、すでに名前を得たキャラクターを楽しむためのよく知られたやり方のひとつでもあるし、時には新しいキャラクターが旅をはじめる場所でもある。
 

PR誌「ちくま」11月号

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