ちくまプリマー新書

ひらめきを信じ、常識をくつがえす
『よみがえる天才5 コペルニクス』はじめに

長く天文学の伝統であった天動説を否定し、地動説を唱えたコペルニクスは、どのようにして固定観念を打ち破ったのか? ちくまプリマー新書『よみがえる天才』シリーズ最新刊より「はじめに」を公開します。

 天動説では間違いや理論として不十分な点があったはずだから、それは何だったか……と考えて、たとえば、天動説では地球は平らだと思っていた(船で遠くまで出てしまうと、いつか世界の果てに来て船もろとも落っこちてしまうんじゃなかったかな?)とか、春夏秋冬の季節変化が説明できないとか、日食や月食は神様が引き起こすと考えていたとか、惑星の不規則な運動が説明できなかったとか、理論と観測データとのズレがひどくなりすぎ、それを取り繕うために複雑な理論になってしまったとか、などなど。あるいは「中世ではキリスト教が人々の考えを束縛していたので、その教えに反することが言えなかったし、そもそも、それに反することを想像することすらできないほど科学的に未熟だった」という意見があるかもしれない。そして「天動説が間違っていたのは、地球が動いているという正しい事実を否定しているからだ」と考えた人もいるかな?

 さて、君の答えはこの中にあったかな?

 あったという人は、残念ながら、ブッブーッ(不正解の擬音)。

 天動説でも、地球は丸いと考えていたし、季節変化や日月食も正しく説明していたし、その予測もなされていた。惑星の運動もそれなりに説明していた。というよりも、昔から天動説でも、惑星の変則的な運動を説明するのが重要な課題になっていて、それが説明できなければそもそも天文理論としての資格を持ち得なかったのである。

 理論と観測データの関係については、微妙な問題があるので後で改めて取り上げることにして、ここで述べておきたいのは、「観測データとのズレを解消するために修正を加えていった結果、天動説という理論は複雑になり過ぎ、もっと理論的に単純な地動説に取って代わられた」という考えの背後には、「自然は単純だ」という信念が潜んでいることだ(この主張自体は単純だろうか?)。そして科学と宗教の関係を考えた人は、科学と宗教は、水と油のように、本来相容れないものだ、と考えてはいないだろうか(有名なガリレオの宗教裁判は、コペルニクスが亡くなってから九〇年後のこと。つまり、現代の常識はコペルニクスよりずっと後に成立したのだ)。

 すると、地球が動いているという「事実」を否定しているから天動説は正しくない、つまり地動説が正しいから天動説は間違っている、ということになる。しかし、僕らの答えようとした問いは、「天動説はどこが間違っていたから否定されたのだろうか」だった。

関連書籍